2015年2月27日金曜日

ソウル地裁『帝国の慰安婦』書籍の出版等禁止及び接近禁止の仮処分決定

 ソウル東部地方裁判所が2月17日、『帝国の慰安婦』が被害者の名誉を毀損しているとして出版停止を求めた裁判において、「著書内容のうち34カ所を削除しなければ出版、販売、配布、広告などをできない」と一部訴えを認めた仮処分決定文が、「東アジアの永遠平和のために」とのブログサイトにて、原告の申請目録などを除いた、ほぼ全文が掲載されております。



決定の判断について

 朴裕河氏の支持者たちは「禁書処分」、「言論弾圧」などと主張しておりますが、仮処分決定文を読むと、原告が削除を要求していた53箇所のうち、被害者の名誉毀損に関わる34箇所のみに限定されています。また「慰安婦」被害者への接近禁止の請求を却下するなど、原告の主張の一部しか認めていません。決定については原告側、被告側それぞれに主張があるでしょうが、決して「表現の自由」をむやみに制限した決定ではありません。
 決定文では、「慰安婦」に関する研究の蓄積を無視した同書内の記述に対しても、「具体的事実の指摘というより、法律の専門家ではない被告・朴裕河の単純な意見表明として憲法上保障される学問の自由や表現の自由の保護領域内にあると見られ、このような見解について裁判所が事前的にその表現を禁止するよりも、自由な議論と批判などを通じて市民社会が自らの問題を提起し、これを健全に解消することが好ましく、韓国社会の市民意識は十分にこれらの解決が可能なほど成熟したものと見られる」と判示しています。

被告・朴裕河氏側の主張について

朴祐河氏側の「被告らの主張要旨」には、「たとえこの事件の書籍の内容が原告の名誉を毀損したとしても、被告は、日本軍慰安婦問題の解決策を提示するために、この事件の書籍を執筆・出版したのであり、その内容が事実であり、その目的はもっぱら公共の利益のために該当し違法性はない」と記されております。

「慰安婦」被害者である「原告の名誉を毀損したとしても」、優先される「日本軍慰安婦問題の解決策」、「公共の利益」のためだとの被告(朴裕河氏擁護)側の主張を読むと、朴裕河氏が目指す「解決策」には、被害者の名誉回復が含まれていないのかと考えさせられます。

2015年2月25日水曜日

金富子氏報告「朴裕河『帝国の慰安婦』への疑問」

15年2月17日に当会が開催した、朴裕河『帝国の慰安婦』についての読書会は、金富子氏(植民地朝鮮ジェンダー研究)による報告(「朴裕河『帝国の慰安婦』への疑問」)から始まった。

 同氏の報告は、朴裕河氏が、朝鮮人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」であり、朝鮮人「慰安婦」を日本人「慰安婦」に限りなく近い存在として描いていることに疑問を呈した。朴氏は、植民地期朝鮮や朝鮮人「慰安婦」への事実関係に関する研究の蓄積をふまえずに、多くの事実誤認をしていることを指摘した。以下はその例である。

 一点目は、朴氏の記述には、植民地朝鮮での「挺身隊」に関する歴史的事実への混同や誤解があるにもかかわらず、「挺身隊と慰安婦の混同」を「植民地の<嘘>」等と決めつけたことである。二点目は、被害女性の証言等を恣意的に選別することで朝鮮人「慰安婦」の大部分が「少女」であった事実を否定し、さらに「性奴隷」を記憶の問題にすり替えることで「性奴隷」にされた実態を否定する論法であることである。最大の問題は、日本軍より朝鮮人業者の責任が重いとしたことであり、「慰安婦」制度を立案・管理・統制した日本軍の責任を軽視・解除しようとしたことだ、とした。兵士との恋愛や同志的な関係、多様な「慰安婦」像を強調してリベラルとフェミニズムを装うが、日本軍の責任と植民地支配責任を否定する歴史修正主義的な「慰安婦」言説であると述べた。

 また、朴の著作には方法論的に大きな限界があるとし、研究史の最初期に位置する千田夏光(1973)や森崎和江(1976)などに依拠しているが、1990年代以降に被害女性の証言・公文書の発掘等によって飛躍的に進んだ「慰安婦」制度に関する研究をはじめとする膨大な歴史研究の成果を軽視したものである。事実とフィクションを混同する手法は、朴氏が「文学研究者だから」では言い訳できないレベルであるとも述べた。さらに、同書には、事実関係の誤解・誤用・憶測、不明確で恣意的な根拠・出典、引用のずさんさ(根拠なき「〜考えるべきだ」「〜はずだ」「違いない」の乱発)などがあることも指摘した。

 にもかかわらず、この著作が日本のリベラル系、フェミニズム系の知識人、メディアに絶賛されるのは、植民地朝鮮の実相や朝鮮人「慰安婦」、植民地主義に対する理解の浅さ、思想性に根源的課題があることを問題視した。つまり、朴氏の著作は、「朝鮮人は日本人」であり対等だった、植民地支配は「合法・有効論」だった、という日本で有力な植民地支配認識から導きだされた「帝国の慰安婦」説であるが、これは実際にあった民族の支配/被支配の関係性(植民地主義)をみえなくさせる効果がある。さらに本書は、韓国側が日本軍の責任、植民地支配責任を問えなくする構造をつくっているため、これに向き合いたくない(主に)日本側にとって都合のよい言説になっている、とまとめた。

(まとめ:斉藤正美)


2015年2月18日水曜日

日本軍「慰安婦」問題の現在と『帝国の慰安婦』

なぜ、こういうことが起こるのだろうか? その理由を推測するに、朴裕河の言説が日本のリベラル派の秘められた欲求にぴたりと合致するからであろう。
徐京植、「和解という名の暴力−−朴裕河『和解のために』批判」
(『植民地主義の暴力』、高文研、2010年)

 まるでデジャ・ビュを見ているように、かつてと同じ事態が繰り返されている。右派が声高に「慰安所」制度に対する日本軍・日本政府の責任を否認し被害者への二次加害を繰り広げている最中に、一般には「右派」とは認識されていないメディア、言論人が一冊の本を激賞している。

「朴がやろうとしたのは、慰安婦たちひとりひとりの、様々な、異なった声に耳をかたむけることだった。そこで、朴が聞きとった物語は、わたしたちがいままで聞いたことがないものだったのだ。」
(高橋源一郎、『朝日新聞』、14年11月27日 
「この本は、「慰安婦」を論じたあらゆるものの中で、もっとも優れた、かつ、もっとも深刻な内容のものです。これから、「慰安婦」について書こうとするなら、朴さんのこの本を無視することは不可能でしょう。そして、ぼくの知る限り、この本だけが、絶望的に見える日韓の和解の可能性を示唆しています。」
(高橋源一郎、Twitter、14年11月27日

「苦境の中で、複雑な問題に極力公平に向き合おうとした努力は特筆に値する。この問題提起に、日本側がどう応えていくかが問われている。」
(杉田敦、『朝日新聞』、14年12月7日

「『和解のために−−教科書・慰安婦・靖国・独島』(2006年)で大佛次郎論壇賞を受賞した韓国・世宗大学校教授が、慰安婦たちのさまざまに異なる声に耳を傾けながら、対立する左右の議論の問題点を考えた。」
(岸俊光、『毎日新聞』、14年12月28日 
 慰安婦問題で光ったのは、朴裕河(パクユハ)の『帝国の慰安婦』(日本語版)だった。植民地の故郷を離れ、日本女性の代替品として戦場に置かれた女性たちの重く多様な現実を考察した。  慰安婦は物理的に強制されたのか/それとも自由意思だったのか、君は愛国者か/非愛国者か――。そんな二分法の議論と一線を画していくための道を、「帝国」という概念を導入することで朴は示した。植民地出身の慰安婦は、帝国支配の被害者であると同時に帝国への協力者としての性格も帯びるという、複雑な立場に置かれていたのだ。 (塩倉裕、『朝日新聞』、14年12月30日 
「この問題について避けて通れない書物の日本語版がついに出た。朴裕河(パクユハ)さんの「帝国の慰安婦」である。韓国では元「慰安婦」の名誉を傷つけたとして出版差し止め訴訟が起きた論争的な書物である。前著「和解のために 教科書・慰安婦・靖国・独島」(平凡社)にわたしは「あえて火中の栗(くり)を拾う」と題した解説を書いたが、本書もそのとおりの本、それより自ら「火中に入る」ごとき本である。書き手も読み手も火傷(やけど)を負わずにはいない。」
(上野千鶴子、『毎日新聞』、15年1月20日

朴裕河『帝国の慰安婦』を丁寧に読了した。これは凄い本である。なかでも韓国の右派、日本の左派への批判は渾身のものである(正しくは右派左派と呼ぶべきではないがとりあえずこう書く)。この本で何か新しい次元が開かれるのかもしれない。私は支持する。
(森岡正博、Twitter、15年2月14日
 かつて『和解のために』に向けられた批判に著者がどう応えているのか(あるいは応えていないのか)の検討すらなしに本書を賞賛する論者たちには驚くほかないが、右派のメディアや論者が概ね本書を無視するか否定的に評価する(「著者の歴史観は古く、論理が混乱している」とする池田信夫など)状況では、本書が「中立的」なものとして受け容れられてゆく可能性は高い。

 『帝国の慰安婦』と、やはり昨年出版された『慰安婦問題』(熊谷奈緒子、ちくま新書)、『日韓歴史認識問題とは何か』(木村幹、ミネルヴァ書房)の3冊に共通しているのは、この問題の歴史において日本の右派が果たした役割を非常に過小評価していることである。そのため、これら3冊は「歴史認識問題がこじれたのは韓国のせいではないのか」という、この社会のマジョリティの間で広く共有されていると思しき感覚を“裏づけてくれる”ものとなっている。

 敗戦から70年、日韓国交正常化から50年となる今年、『朝日』による一部報道撤回により「慰安婦の『強制連行の事実は否定され、性的虐待も否定された」(自民党・国際情報検討委員会の決議)とするような極右路線とは別に、より「現実的」な−−なによりもアメリカの反対を招かないような−−かたちでこの問題に“解決”をもたらそうとする試みが、この社会の支配者層によってなされるであろうことは間違いないだろう。表面化した幾つかの事実の断片から浮かび上がってくるのは、アジア女性基金を肯定的に再評価させる路線であり、そのためにアジア女性基金を批判してきた支援者たちをスケープゴートにすることが目論まれているのではないだろうか。このような路線への支持を取りつけるうえで『帝国の慰安婦』は最も強力な手段となるだろう。

 本書が抱える問題点についてなるべく早く、またできる限り広く情報発信してゆくことが不可欠だと考える所以である。


(文責:能川元一)

2015年2月12日木曜日

熊谷奈緒子『慰安婦問題』についての補足:「冷静な議論」とは?

本稿は「読書会のまとめ」に対する能川元一による補足です。


 本書の帯には「冷静な議論のためにいま何が必要か?」という、またカバー見返しにも「冷静な議論のための視点を提供する」との謳い文句が記されている。この文言そのものは著者に帰責できるものではないだろうが、本書がどのような文脈で受容されることを目指して企画されたのかをうかがうことはできる。すなわち、「慰安婦」問題を巡っては冷静でない議論が行われているという認識を前提とした文脈、である。すべてのアクターが「冷静」に議論しているという認識のもとでは「冷静な議論のために……」は謳い文句たり得ないからである。では、「冷静でない」議論をしているのは誰なのだろうか? これについては、著者自身が(少なくともそうしたアクターの一部を)明らかにしている。2014年12月30日の『朝日新聞』でのインタビューにおいて熊谷氏は「法的補償を求める韓国や日本の一部団体は『道義』という言葉を「責任逃れ」と拒否するかもしれないが、法も超越した倫理観としての道義と、それに基づくお詫びの姿勢を冷静に見てほしい」(下線は引用者)と語っているからだ。

 まず頭に浮かぶのは、熊谷氏がいったいどのようにして「韓国や日本の一部団体」のメンバーの(あるいは「冷静でない」議論をしているその他のアクターの)心理状態を知り得たのか、という疑問である。仮に著者の観点から見たとき「韓国や日本の一部団体」の主張に誤りなり偏りなりがあるとして、それが「冷静さ」の欠如に由来すると判断した根拠は何なのだろうか? 本書にはその根拠らしきものは見いだすことができない。見解を異にする者の主張に対して具体的な根拠なしに「冷静でない」というレッテルを貼るのが建設的な議論の進め方であるとは思えない。

 しかし本書が「フェミニズム」や「ポストコロニアリズム」の視点を重視していると謳っている[i] 点をふまえるなら、ここには議論が建設的であるか否かを超える問題が孕まれていると考えることもできる。周知の通り、「冷静・理性的/感情的・非理性的」という対比は女性差別と植民地支配を正当化するために常に持ち出されてきたものだからである。「韓国人=感情的」というステレオタイプが今日でもなお根強く生き残っていることは、書店に並ぶ「嫌韓」本やインターネット上のヘイトスピーチを観察すれば容易に知ることができよう。元「慰安婦」を支援する運動の中心を担ってきたのは日韓いずれでも女性たちであったし、日本の「一部団体」には在日コリアンが多数参加している。著者の言うところの「韓国や日本の一部団体」を構成するのは、「感情的、理性的でない」というステレオタイプと戦うことを強いられてきた人々なのである。そうした人々の主張に対して、具体的な根拠なしに「冷静でない」とレッテル張りをすることは、著者が重視しているはずの「フェミニズム」や「ポストコロニアリズム」といった視点への裏切りではないのだろうか?

 本書の記述を一つ、具体的に取り上げてみよう。20ページには「法の支配を貫く日本政府は、請求権問題は解決済みで紛争は存在しないとの立場をとり」とある。ここでは「解決済み」という認識の是非は問うまい。問題は日本政府のこの立場を著者が「法の支配」によって説明しているところにある。「解決済み」という立場をとるにしても、新たな立法措置による被害者への補償は「義務付けられてない」だけであって禁じられているわけではないのだから、仮に日本政府が法的手続きを踏んで補償を行ったとしても「法の支配」に反するところはまったくないはずである。逆に、2011年8月30日の憲法裁判所の判決[ii] をうけて韓国政府(当時は李明博政権)がそれまでの方針を転換したことはなぜ「法の支配を貫く」と評されないのだろうか? 大統領が憲法裁判所の判決に不服だからといってそれを無視するならそれこそ「法の支配」が踏みにじられたことになるではないか。


 “近代的な法意識の欠如”もまた、宗主国が植民地支配を正当化するために用いた「未開人」の表象の一要素であったことを想起せざるを得ない。「フェミニズム」や「ポストコロニアリズム」の視点を重視するというのであれば、差別的なステレオタイプを再生産しかねないような議論の進め方には、もう少し慎重な姿勢が求められよう。




[i] カバー見返しには「民族主義、ポストコロニアリズム、フェミニズムの三つを重ね合わせる多面的な理解の必要性を訴え」とある。ただし「フェミニズム」と比べて「ポストコロニアリズム」という語の方は、本文中ではほとんど用いられていない。もっとも、日本軍「慰安婦」問題の「主要なポイント」の一つとして「日本の戦争植民地責任」が挙げられてはいる(42ページ)。
[ii] この判決は本書では「一九六五年の日韓基本条約及び請求権・経済協力協定において個人の請求権の存否について日韓の間で解釈に対立があるにもかかわらず、それを解決するための手続きを履行していないことは韓国政府の不作為であり、それは違憲であると判断した」と紹介されている(19ページ)。

2015年2月5日木曜日

「植村応援隊」発足

 去る1月9日に『週刊文春』その他を提訴し、日本軍「慰安婦」報道に対するバッシングと戦う姿勢を明らかにされました元朝日新聞記者の植村隆氏(現北星学園大学非常勤講師)を支援するための団体が新たに結成されました。趣旨説明と参加呼びかけのご案内(PDFファイル)をこちらからご覧いただけます。活動内容、参加方法及び連絡先、カンパ用口座番号等の記載があります。

提訴と前後して、植村氏は下記の通り手記を発表しておられますので、そちらもご参照ください。

・「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて 元朝日新聞記者 植村 隆 売国報道に反論する」、『文藝春秋』、2015年新年特大号
・「私は闘う──不当なバッシングには屈しない」、『世界』(岩波書店)、2015年2月号
・「小さな大学の大きな決断──脅迫には負けないことを表明した北星学園大学」、『創』(創出版)、2015年緊急増刊号

(文責:能川 元一)


2015年1月31日土曜日

熊谷奈緒子『慰安婦問題』についての補足:先行研究の扱い方における不備について

本稿は「読書会のまとめ」に対する能川元一による補足です。

 新書という媒体で出版された本書は日本軍「慰安婦」問題について詳しい知識を持たない、一般の読者を主な読者層として想定していると考えられるが、ならばこそ河野談話(1993年)発表以降の研究成果については幅広く目配りをして、読者に日本軍「慰安所」制度についてのより正確な歴史記述を提供することが期待される。『朝日新聞』が「慰安婦」問題報道の一部を撤回したことなどをきっかけに新たにこの問題に関心を持った読者が、2014年に刊行された本書で最新の知見が紹介されていることを期待するのは当然であろう。しかしながら、極めて重要な先行研究のいくつかが本書では完全に無視されてしまっている。
 その代表的なケースとして、永井和・京都大学教授の業績が無視されていることに由来する問題点を指摘しておきたい[i]。 日本軍「慰安所」制度とドイツ軍の軍管理売春制度とを比較した箇所で、同書は秦郁彦の「日本軍の慰安所関与は、輸送関係以外では出先部隊の低いレベルで決定が下され(……)」という主張を紹介している(61ページ)。その直後に広範な範囲に及ぶ「陸軍省、海軍省の関与」を主張する吉見義明の主張も紹介されてはいるものの、「出先部隊」の決定という見解が“諸説の一つ”としてなお有効であるかのように読者は受けとめるであろう。しかしながら永井和が発見した陸達四八号「野戦酒保規定改正に関する件」[ii]は、1937年9月という日中戦争勃発から間もない時点で、軍「慰安所」の設置のために必要な規則改正を陸軍省が行っていたことを示している。同年12月には上海派遣軍の参謀たちが「慰安施設」「女郎屋」の設置を計画し開設に至っていたことは周知の通りである。また、2013年に発見された第35師団の「営外施設規定」[iii]は、「特殊慰安所」の設置根拠規定が他ならぬこの改正野戦酒保規定であったことを示している。もはや「日本軍の慰安所関与は、輸送関係以外では出先部隊の低いレベルで決定が下され(……)」という主張が成立する余地はないものと考えるべきであり、このような主張をことさら紹介することは読者をミスリードするだけであろう。
 また、1992年1月11日に『朝日新聞』が一面トップで発見を報じたことで知られる文書、陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第七四五号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」、通称「副官通牒」の解釈についても永井の業績は完全に無視されている。本書は副官通牒が「悪質な仲介業者を取り締まっていたこと」を示すとする右派の「善意の関与」論と、この文書の発見者たる吉見義明の主張とを併記し、「両者の着眼点と解釈の違いは明らか」だと結んでいる(140-141ページ)。しかしながら永井和は1996年12月に存在が明らかとなった警察資料に依拠して副官通牒を再解釈し、次のように結論している。

 この通牒〔警保局長通牒、内務省発警第五号〕は、一方において慰安婦の募集と渡航を容認しながら、軍すなわち国家と慰安所の関係についてはそれを隠蔽することを業者に義務づけた。この公認と隠蔽のダブル・スタンダードが警保局の方針であり、日本政府の方針であった。なぜなら、自らが「醜業」と呼んではばからないことがらに軍=国家が直接手を染めるのは、いかに軍事上の必要からとはいえ、軍=国家の体面にかかわる「恥ずかしい」ことであり、大っぴらにできないことだったからだ。(中略)
 副官通牒はこのような内務省警保局の方針を移牒された陸軍省が、警察の憂慮を出先軍司令部に伝えると共に、警察が打ち出した募集業者の規制方針、すなわち慰安所と軍=国家の関係の隠蔽化方針を、慰安婦募集の責任者ともいうべき軍司令部に周知徹底させるため発出した指示文書であり、軍の依頼を受けた業者は必ず最寄りの警察・憲兵隊と連絡を密にとった上で募集活動を行えとするところに、この通牒の眼目があるのであり、それによって業者の活動を警察の規制下におこうとしたのである。であるがゆえに、この通牒を「強制連行を業者がすることを禁じた文書」などとするのは、文書の性格を見誤った、誤りも甚だしい解釈と言わざるをえない。[iv]
 永井説に従えば吉見説も一定の修正を迫られることになる反面、「善意の関与」論については成立の余地がなくなるものと考えるべきであろう。管見の限りではこの永井説に対する「善意の関与」論主張者の実質的な反論は存在しないようである。もちろん本書の著者が「善意の関与」論をなお「諸説の一つ」として扱うことができると主張するのであれば、それも一つの立場として尊重されるべきかもしれないが、最低限永井説を考慮に入れたうえでの再検討が必要なはずである。永井説は「善意の関与」論が主張され始めた当時には発見されていなかった警察資料を参照しているという明らかなアドバンテージを有しているからである。
 先行研究が無視されている事例は他にもある。2007年に活性化した「慰安婦」問題に関する議論を紹介している箇所で、「保守」の主張を受けて「実際に狭義の意味での強制連行を示す文書がないからである」と述べている(139ページ)のもその一例である。一般に第一次安倍内閣は2007年に「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」とする答弁書を閣議決定した、と理解されている。しかし正確を期すならば、この答弁書が述べているのは「
同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」ということである(「同日」は河野談話が発表された93年8月5日を指す。下線は引用者)。そして河野談話発表以降も続けられた研究者や市民グループの調査により、「官憲が家に押し入って連行する」ような形態での「強制連行」を示す文書が、主に戦後の戦犯裁判資料から複数発見されているのである[v][vi]。
 注目すべきは、いずれの場合も河野談話発表以降の研究成果を無視することが(著者の言うところの)「保守」に有利な政治的効果を発揮している点である。「保守」と「リベラル」の主張を両論併記してみせる……これが本書において「客観性」を演出するための手法の一つである。しかし「保守」の日本軍「慰安婦」問題に関する言説は、「吉田清治証言」や「慰安婦と挺身隊の混同」といった90年代初めの話題に執着することで論点を「強制連行」に矮小化することを基本的な戦略としている。本書において河野談話(1993年)以降の重要な発見が無視されることにより、そうした「保守」の主張をもっともらしくみせることができているわけである。

(文責:能川 元一)

[i] 永井和、『日中戦争から世界戦争へ』(思文閣出版、2007年)の第五章「日中戦争と陸軍慰安所の創設」(「附 軍の後方施設としての軍慰安所」を含む)参照。なお第五章の初出は2000年であり、「見落とすのもやむを得ない」ような新しい研究成果とは到底言い難い。ほぼ同じ内容の論考が著者自身によってインターネットで公開されており、2007年以降は日本軍「慰安婦」問題に関心をもつインターネットユーザーの間では広く知られるようになっている。
[ii] アジア歴史資料センターでオンライン公開されている。リファレンスコードはC01001469500。
[iii] 歩兵第219連隊第7中隊の諸規定綴に含まれていたもので、アジア歴史資料センターではリファレンスコードC13010769700として公開されている。
[iv] 永井前掲書、427-428ページ。
[v] なお、いわゆる「スマラン事件」の裁判資料については河野談話の発表以前にすでにその存在と事件の内容が明らかとなっていた。
[vi] 河野談話発表以降に発掘された「慰安所」制度関連文書のリストが、『季刊 戦争責任研究』第83号(2014年冬季号)に「河野官房長官談話(1993年8月4日)後に発見された日本軍『慰安婦』関連公文書等資料」(第12回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議)として掲載されている。

2015年1月30日金曜日

熊谷奈緒子『慰安婦問題』についての補足:オーラルヒストリーとフェミニズムに関連して

                              
本稿は、読書会のまとめをうけた、斉藤正美による補足です。

1.  オーラルヒストリーという方法論について


 著者は、調査や研究の方法論を議論する際には、「現存する公文書のみが慰安婦制度の全体像を描けるとは考えることができない」(153)とし、それゆえに、「元慰安婦の証言」を重視する必要性を説く。さらに、公式に残された文書は、歴史学において「公文書の書き手ではなかった女性や人種、民族的に抑圧されていた人々の声によって問い直されている」とオーラルヒストリーの重要性を指摘する(153)[i]。確かに、「慰安婦」問題については、文献から歴史を調べて行こうとしても、敗戦時、文書資料が焼却されたりしてほとんど文書が残っていないことが多いことや、元「慰安婦」にされた人たちの声は公文書には載っていないために、「慰安婦」をはじめ関係者の語りが非常に重要であるという主張は、まったく正しい。
 しかしながら、その理念が本書では実践されているのかというと、どうもそうではない。その点を残念に思う。


 240頁ある本書の大半は、「慰安婦」をめぐって、今何が起きているか、という「慰安婦問題」を扱っている。オーラルヒストリーという方法を用いる意義は、著者自身、元「慰安婦」をはじめとする「抑圧されていた人々の声」(153)を表に出すことにあるという。だが、著者によれば、現在「慰安婦問題」の争点は、「強制連行があったか、なかったか」であるとし、よって「慰安婦」に「どこまで自由意志があったのか」が論点であると設定されている。本書は、被害回復を求めている元「慰安婦」女性の思いとはそもそも乖離が甚だしい。当然ながら、元「慰安婦」の語りは本書では、ほとんど活かされていない。

 具体的な「慰安婦」の募集方法や「慰安婦」に給料、行動の自由、束縛の程度などについて論じる箇所であっても、当事者女性の証言の引用は見られない。元「慰安婦」の証言が引用される箇所もないではないが、具体的な名前が書かれることはない。


 「アジア女性基金」についての50頁に及ぶ記述のほとんどを、被害者支援運動を批判する大沼保昭や政治家の書などに依拠している点でも、本書は、元「慰安婦」やその支援者の声を軽視する路線と言わざるを得ない[ii]。
 参考文献リストも同様に、女性国際戦犯法廷についての資料を若干載せているが、各国の元「慰安婦」当事者の声を拾ってきた数多くある書籍や、裁判資料、「元慰安婦」を支援する会のミニコミなど当事者の声が掲載されているものはごくわずかにとどまる。
 
  著者は、「特定の立場によらない、真の和解を目指して」(帯の文章)を掲げるが、実際には、著者が本書で誰の発言を引用し、文献として参照しているかをみれば、「一次史料に当たらず、当事者や支援団体の声を尊重しない」という「特定の立場」に依拠しているように見える。


 「抑圧された人々の声」を活かす考えだという本書が、「慰安婦」の声を軽視しているのは、至極残念である。次には、オーラル・ヒストリーを活かすという理念を最大限に貫く意欲的な著作を期待したい。


2.  フェミニズムの成果の簒奪に見える
 本書のねらいは、「民族主義、ポストコロニアリズムとフェミニズムの三つを重ね合わせる多面的な理解の必要性を訴え、冷静な議論のための視点を提供する」(カバー見返し)にあるという。だが、具体的に「慰安婦」問題を論ずる記述を見ると、著者がどのようなフェミニズムに依って立っているのか、わからなくなる。
 例えば、「慰安婦は兵士よりもよっぽど稼いでいたという指摘もある」や「問題は募集において、日本軍が直接関わった『強制連行』があったか否か、また管理においてどれほど強制的であったか否か、である」という著者の主張は、フェミニズムの主張というより、産経新聞や読売新聞(さらに言うなら、多くの保守派)の主張に添ったものである。
 本書では、被害者女性や被害者を支えてきた支援者団体などフェミニズム視点からすれば真っ先に挙げてしかるべき運動の当事者や支援団体の声が軽視されている[iv]。日本国内の女性運動については、女性運動の主だった担い手に全く言及しないのが特色である。被害者支援団体は、「すべての元慰安婦の声を汲みとれていたとはいえない」「支援者団体も被害者の声の多様性を十分に反映できるような環境と政策を準備すべきであった」という批判対象として登場する。
 女性国際戦犯法廷を評価する箇所でも、パトリシア・セラーズなど検事や判事、貞玉など海外の関係女性の名前を入れるにもかかわらず、法廷を実現させるのに最大の貢献者の一人であった松井やよりの名は一切入れないという徹底ぶりである[v]。これが一体女性の権利を擁護する「フェミニズム」なのであろうか。
 第四章「アジア女性基金は道義的責任を果たしたのか」においても、そのスタンスは変わらない。被害者の支援者団体の見解は否定的にしかとりあげず、「女性のためのアジア平和国民基金(略称:アジア女性基金)」の呼びかけ人で理事であり、韓国および日本の支援団体を強く非難する大沼保昭氏の主張に添った形で、その顛末をまとめている[vi]。
 だが、著者も参考文献にあげている鈴木裕子は、アジア女性基金が「国家補償はできない」との加害国日本の都合でつくられた日本政府のための法律で、それを承知で被害者側にのませようとするところに誤りと無理があった」とする。実際「なりふり構わぬ暴力的な受け取らせ工作」が横行し、「被害者や支援者に深い亀裂・分断・不信・葛藤を生じさせ、いまもそのトラウマに苦しむ人も多い」と述べられている(鈴木2002:277)。著者は、こうした女性運動の語りや文献を引用することは全くない[vii]。
 第五章「性暴力問題のパラダイム転換——動議とフェミニズムによる挑戦」では、フェミニズムによる挑戦というタイトルとは裏腹に、被害者支援運動については否定的な記述が顕著であった。
 国際的なジェンダー正義を求める動きを一般論として紹介する一方、国際的なジェンダー正義として求められている、責任者の処罰や真相究明・事実確認、謝罪・賠償、歴史教育・人権教育などについては、まったく触れていない。単に、韓国が日本に「誠意ある謝罪」を求めるといった、日韓問題であるかのような扱いにとどめている。
 
 先に述べたように、「元慰安婦の証言・体験を人種・国籍・性別を問わずより多くの人がまず知るべきである」(227)というにもかかわらず、具体的な証言や証言をした人の名をほとんど示していない。よく知られているように、当事者の語りを重視する立場こそがフェミニズムの依って立つところである。こうした点から、本書はフェミニズムを簒奪していることになると思った。次なる著作では、著者が理念としてもつフェミニズムを実践的にも活かしたものとなることを強く願うものである。

(文責:斉藤正美)

 参考文献
・鈴木裕子2002『天皇制・「慰安婦」・フェミニズム』インパクト出版会
・鈴木裕子2013「『国民基金』と反対運動の歴史的経緯」『「慰安婦」バッシングを超えて』大月書店、107−124
・金富子2013「『国民基金』の失敗ー日本政府の法的責任と植民地主義」『「慰安婦」バッシングを超えて』大月書店、68−85
・尹美香2013「韓国挺対協運動と被害女性」『「慰安婦」バッシングを超えて』大月書店、86−106
・梁澄子2013「慰安婦問題の解決に何が必要かー被害者の声から考える」『「慰安婦」バッシングを超えて』大月書店、183−197
貞玉2003「『女性国際戦犯法廷』を共に創って」『女たちの21世紀』34号:39−41、2003年5月




[i] 「オーラルヒストリーは重要であるという指摘も近年とくにある」の根拠が、雑誌『世界』の別テーマの記事(坂本・池1999)である。

[ii] さらに、「元慰安婦の支援団体」の「声は戦後補償裁判を準備・開始し、国家補償を声高に求めるよく組織されたグループのものであった」という記述も見られるが、「よく組織されたグループ」とは何を含意しているのだろうか。

[iii]著者は、また、中西・上野(2003)を引きつつ、専門家や知識のあるエリートのパターナリズム(温情的庇護主義)に代わり、いわゆる社会的弱者の「当事者主権」という考えが、「慰安婦問題取り組みに携わるすべての関係者に必要とされる」(158)とも論じている。

[iv] 参考文献を参照されたい。

[v]法廷を企画し、それを実行するまで血のにじむ思いで取り組んだ松井やより氏をはじめとする「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)のことは、一九九八年に「第五回「慰安婦」問題アジア連帯会議で提案し、参加NGOや被害各国から熱心に支持された。このことが女性国際戦犯法廷の出発点となった」と単なる提案団体であるかのような扱いにとどめているが、この法廷は松井やよりの発案であり、彼女の類い希な情熱とエネルギーなしに実現不可能な事業であった。たとえば、そのことについて、法廷を創ってきた人として著者も唯一個人名を挙げている貞玉は、「『女性国際戦犯法廷』は彼女(松井やより)のアイディアで、それはある朝、電球に光がパッとつくように頭の中にひらめいたのだ」(尹2003:39)と別のところで述べており、法廷が松井やよりの力に追うところが大きいことを証言している。

[vi]鈴木(2013)には、支援者団体の側に立った別の歴史的経緯が描かれているので参照されたい。

[vii] さらに、挺対協がおこなってきた、被害者同士の共感活動を通じた治癒活動や経済的支援などの被害者支援運動については、尹(2013)に詳しい。