2016年10月31日月曜日

wamからの呼びかけ文「言論を暴力に結びつけない社会を」

10月29日、「産経新聞社、及び日本軍「慰安婦」問題を報道する各メディアの方々へ」と題した呼びかけ文を、「女たちの戦争と平和資料館」(wam)が産経新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日経新聞、東京新聞、共同通信、時事通信あてに送付し、30日にホームページで公表しました。 

呼びかけ文には、2016年10月5日、wamに、「朝日赤報隊」を名乗る者からwamの爆破を予告する葉書が届いたこと、さまざまな形での嫌がらせは今までも日常的あったものの、このような爆破予告は初めてであること、その背景として、最近、特にユネスコ記憶遺産(「世界の記憶」)に「『慰安婦』の声」を被害国とともに登録申請して以降、産経新聞やそのデジタルニュースでwamを名指しした記事が増加していることがあるのではないかと記されています。 

また、産経新聞が歴史認識の違いを「歴史戦」と名付け、歴史をめぐる言論を「戦争」という暴力に結び付けて語っていることの影響は計り知れないとし、「言論を暴力に結び付けない社会」の実現を、産経新聞及び報道に携わる人たちに呼びかけています。 

爆破予告といった卑劣な脅迫は許されないことです。さらにそうした行動を煽り、歴史をめぐる言論を暴力に結びつけて語るような報道のあり方も大問題です。ぜひこの呼びかけ文を読み、広げてください。

wam「産経新聞社、及び日本軍「慰安婦」問題を報道する各メディアの方々へ」 

そして、メディアの方々はこの呼びかけにぜひしっかり答えていただきたく思います。 

関連記事

2016年8月1日月曜日

アジア連帯会議の歩みについて



 2016年7月19日、早稲田大学にて日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議(以下、アジア連帯会議)の歩みについて検討する会が持たれた。これまでアジア連帯会議に参加されてきた池田恵理子、柴洋子、柴崎温子氏から、アジア連帯会議の1回(1992年)から14回(2016年)までの流れがわかるような膨大な資料コピーや、英語、ハングルを含めた決議文の全回分が提示された。さらにアジア連帯会議の開催時期、開催地、参加国、参加人数、主要なテーマなどの項目からなるわかりやすい一覧表等なども示された。
  お三方からこれまでどのように連帯会議と関わってきたか、及び連帯会議の流れなどについて興味深いお話を伺った。例えば、アジア連帯会議の流れは、国民基金が出てきたこと、その後の女性国際戦犯法廷とも切り離せないものであるということや、旧ユーゴの紛争下の性暴力やドイツ収容所の強制売春問題などに取り組む人たちから、アジアでの連帯した活動が力になったと聞いている、などアジア連帯会議が与えた影響などである。そして、今後どうやって資料を集めたり、当事者の方たちからお話を伺ったりすればいいかについて話合った。資料の収集については、運動の歴史をきちんと記録し、資料を整理することの重要性を痛感した。

 
  まとめ:斉藤正美




2016年6月21日火曜日

 去る2016年6月7日、「『国民基金』とはなんだったのか」をテーマとして研究会を開催した。2015年末の日韓「合意」に関する各種メディアの論説(リストは省略)を資料として踏まえつつ、改めて「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」を考えなおそう、という趣旨である。永山聡子による冒頭の報告の要旨は以下の通り。



簡易版レジュメ

「慰安婦」問題を巡る報道を再検証する会 読書会

2016/06/7(火)
報告者:永山聡子
テーマ:「国民基金」とはなんだったのか

話題提供:12.28「合意」を受けて、再び検討するべき、「国民基金」。この両者を類似としてみる向きもあり、その考察も理解できる。その一方で、アジア女性基金は、一応・社会党党首 が首相であった時代であったことを考えると、今回の問題と同様と簡単には整理できない。そこで、戦後日本のリベラルが、なぜこのような結論(=国民基金)を出したのか、それについて流れを確認しながら、現代日本社会におけるリベラル(左派も入ってよいが)と言われる人々の、日本軍「慰安婦」問題への対応・バッシングについて考えたいと思う。
1.社会党の一人負け  1989 年参議院選挙と 1990 年総選挙の結果、社会主義研究会の解散し、五月会以来の伝統ある派閥であったが、協会問題が正面切って問題になる前後に三つに割れた。  日本新党は 39 名を獲得、新生党は 20 名増の 55 名、新党さきがけは3名増で 13 名であった。他、公明党は 6 増で 52 名、民社党も6増の 19 名であった。 大きく減ったのは選挙前の 137 名から 77 名へ、ほぼ半数の 60 名減となったのは社会党であった(1)。この結果、第5党の党首・細川を首相とする内閣が誕生した。

(1) 共産党は1名減、社民連が横ばい。
2.「補償」に対する宮沢内閣の見解  1992 年の7月、第一次調査報告書(「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について」)を出し、当時の加藤紘一官房長官は、元「慰安婦」の方々に「補償に代わる措置を講じたい」と言明し、1993 年8月第二次調査報告書(「いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について」)発表。
3.第2回アジア連帯会議と細川政権の見解
 自民党崩壊後の細川政権、羽田政権においても同様の政策が引き継がれた。 ・ 「生活支援募金」構想
構想:第3回連帯会議の3ヶ月前の7月に、「実施計画の確定」から始まり、1994 年 11 月事務局解散スケジュールも準備もされていた。 構想側:ところが、1994 年6月、7月にこの構想の存在が知れ渡り、日本側支援団体も反対をかかげ、当時の広中和歌子氏(当時公明党)、上野千鶴子氏らと話し合いを行った。その際に、 「コーヒー一杯節約すれば」といった表現を使用し、募金活動に日本市民が関わることによっ て、歴史の真実を知る機会になると発言している(鈴木 2013:26)。のちに上野(1998:224) は、『ナショナリズムとジェンダー』で「わたしは何人かの仲間たちと語らって、ひそかに生存 者の生活支援のための募金運動を NGO として組織する準備を進めてきた。あまりに多くの困難と障害のためにこのアイディアはついに実現しなかった」と振り返っている。 市民運動側:この構想では、被害者への真の謝罪・賠償にはならず、国家の犯罪を隠蔽し、 かつ募金運動では歴史の真実・歴史教育にはなり得ないとした。
4.村山政権と「見舞金」構想  1994 年6月(羽田内閣発足後1ヶ月)「従軍慰安婦問題に関する補償にかかわる措置」として「青少年交流基金」創設の構想が浮上し、戦後 50 年事業の柱になると報じられた(「アジアからの留学生支援 交流基金構想が浮上 対「慰安婦」措置政府計画」『日本経済新聞』1994年6 月6日付)。さらに、自民党・社会党・さきがけ3党の連立政権村山富市(社会党委員長)内閣 は、成立して1週間後のナポリ・サミットの直後 7 月7日、「補償」にかかわる措置として「ア ジア交流センター」措置の方針を固めたと報じている(『読売新聞』『朝日新聞』、NHK など)。  この構想を先述として8月中旬に「平和友好交流事業」「民間基金(見舞金)」構想が出る(『朝 日新聞』1994 年8月 13 日、19 日)。  村山氏は「一方、与党3党で構成する、戦後処理のプロジェクトのなかに慰安婦問題小委員会をつくって検討してもらった。小委員会での検討を見ますと、2つの意見が対立しているわけです。主として自民党や官僚の意見というのは、日本は戦後の責任はサンフランシスコ条約 と二国間条約ですべて解決している、いまさらくりかえしてやるなんてことはできない。あくまでもこれは解決済みの問題だという主張である。一方、いやそれでは済まない、「慰安婦」は 女性の尊厳を深く傷つけた問題で、解決済みと無視するわけにはいかない、国が責任を持って 補償すべき。とくに社会党—新党さきがけも一緒だと思いますけど、という主張があった。しかし、 これが対立して、結論が出なかったわけです。」(「これらかのアジアを考えるために」、『慰安婦問題への問い』、pp220~221)
5.「国民基金」の発足
  「見舞金」構想が明らかになると、日本側の多くの支援団体も、反対の声をあげた。1995 年2 月、ソウルの第3回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議が開催され、「見舞金」(韓国では「慰労金」)案撤回のために反対し、ILO への働きかけなどを行った。

6.評価(資料参照……省略)

関連資料

関連政権

第 82 代 橋本 龍太郎 1996.1.11~1996.11.7 第 81 代 村山 富市 1994.6.30~1996.1.11 第80代 羽田 孜 1994.4.28~1994.6.30 第 79 代 細川 護煕 1993. 8. 9~1994. 4.28 第 78 代 宮澤 喜一 1991.11. 5~1993. 8. 9

参考文献: 大沼 保昭,和田 春樹,下村 満子(1998)『「慰安婦」問題とアジア女性基金』東信堂 石川 真澄,山口 二郎(2010)『戦後政治史 第三版 (岩波新書)』岩波書店 木村 幹(2014)『日韓歴史認識問題とは何か (叢書・知を究める)』ミネルヴァ書房. 鈴木裕子(2002)『天皇制・「慰安婦」・フェミニズム』インパクト出版会. 鈴木裕子(2004)『フェミニズムと朝鮮』明石書店 鈴木裕子(2013)『日本軍「慰安婦」問題と国民基金』梨の木舎 曽我 祐次(2014)『多情仏心 わが日本社会党興亡史』社会評論社. 徐 京植(2010)『植民地主義の暴力―「ことばの檻」から』高文研. 鄭 栄桓(2016)『忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任』世織書房. 村山富市,和田春樹編集(2014) 『デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金』青灯社. 水野 均(2000)『検証 日本社会党はなぜ敗北したか―五五年体制下の安全保障論争を問う』並木 書房. 山口 二郎,石川 真澄 編集(2003)『日本社会党―戦後革新の思想と行動』日本経済評論社. 前田 朗(2016)『「慰安婦」問題・日韓「合意」を考える (彩流社ブックレット) 』彩流社. 前田朗 , 徐京植 , 今田真人 , 鈴木裕子 , 能川元一 , 早尾貴紀 , 金富子(2016)『「慰 安婦」問題の現在―「朴裕河現象」と知識人』彩流社. 和田 春樹 (著), 大沼 保昭 ,岸 俊光 (編集) (2007)『慰安婦問題という問い―東大ゼミで「人間 と歴史と社会」を考える』勁草書房.


2016年2月4日木曜日

日韓「合意」にいたる経緯

2011.08.30 韓国憲法裁判所、韓国政府が日本軍「慰安婦」被害者の賠償請求権に関し、具体的解決のために努力していないことは「被害者らの基本権を侵害する違憲行為である」との決定[1]
2011.12.18 李明博大統領(当時)、野田佳彦首相(当時)に「慰安婦」問題の解決を提案
2012.5.24 韓国大法院(日本でいう最高裁)は初めて、日本の国家権力による反人道的不法行為による「個人の請求権は消滅していない」と判断した
2014.04~ 日韓外務局長協議を12回行う(李相徳(イ・サンドク)東北アジア局長と伊原純一アジア大洋州局長のち2015年~石兼公博局長)
2015.06.22 尹炳世(ユン・ビョンセ)外相が訪日し、日韓外相会談。
日本側)打開策を示す条件として、「少女像」の撤去や、現政権で最終決着して再び外交問題にしないと事前に約束するよう求めた(朝日新聞2015.6.22
韓国側)「「蒸し返さない」との確約がとれるのか」との疑念がぬぐえず、立ち消えとなった(同上)
「被害者と国際社会が求める方向で適切に処理す」(연합뉴스2016.6.22)「今回の解決策が合意されればそれを最終決着とし、再び提起することはない」(NHK 2016.6.22)
2015.11.02 日韓首脳会談。国交正常化50周年に「慰安婦」問題の早期妥結を目指して、「将来の世代の障害にならないようにすることが重要」との認識を共有した。 (外務省)
2015.12.23 韓国の憲法裁判所で日韓請求権協定を違憲とする訴えが、国内司法対象外として却下。(ハンギョレ新聞2015.12.24
(水面下) 谷内正太郎・国家安全保障局長と李丙琪(イ・ビョンギ)・大統領秘書室長(元国家情報院長2014.72015.2
〈谷内プロジェクト〉2014.102015.6に谷内が訪韓し、慰安婦問題や韓日首脳会談の開催について話し合った。水面下の接触が明らかになることを警戒しソウルの金浦空港内で協議も。李丙琪が駐日大使時代(2013.42014.6)から「安倍首相の外交策士」の谷内局長と懇意に。2014年1月には、日本で国家安全保障局を新たにつくる谷内局長を李丙琪が助けたこともあった。(東亜日報2015.12.26
2015.12.28 日韓外相会談、「慰安婦」に関する「合意」発表。(外務省
同日 ケリー米国務長官、日韓が決着したことを「歓迎する」との声明を発表。「米国の最も重要な同盟国である日韓関係の和解を促し、改善を後押しする」。ライス米大統領補佐官は日韓和解への「包括的な解決策だ」と評価。(日本経済新聞2015.12.30
2016.1.19-21 石兼局長、訪韓し李相徳局長と極秘に会談。 FNN 2016.1.21
*2016.03.31-04.01 米国核安全保障サミットの際に、日本政府は日米韓首脳会談を開く方向で検討している。そこで正式に「合意」を文書化する方向。(日本経済新聞2015.12.30
 
(文責:李杏理)
 

[1] なお、日本政府もシベリア抑留被害者の個人請求権が日ソ共同宣言により消滅したわけではない(外交保護権を放棄したに過ぎない)と1991年3月26日第120国会参議院内閣委員会で表明している。(補足:能川元一)

2016年1月13日水曜日

韓日外相会談に対する、市民社会の反応

――水曜デモ世界連帯行動を中心に


〇『newsis』2016.01.06 *朝鮮語
(13大学の総学生会、「慰安婦合意廃棄」要求の時局宣言)
 
 
*以下、日本で行われた韓日「合意」に対するアクションの報道を中心に紹介
 
〇『聯合ニュース』2016.01.06 *朝鮮語
(「少女像を撤去してはならない」 日本の外務省前で水曜集会連帯デモ)
 
〇『京郷新聞』2016.01.06  *朝鮮語
(日本の外務省前に「慰安婦」少女像が…)
 
〇『レイバーネット日本』2016.01.06
 
〇『日刊スポーツ』2016.01.06
 
〇『The Japan Times』2016.01.06
(東京で抗議者ら 「慰安婦」合意を非難)
 
〇『NBC NEWS』 *英語
Protesters Gather in New York Outside Japanese Consulate to Denounce 'Comfort Women' Deal
( 「慰安婦」合意抗議者集結ーー在ニューヨーク日本領事館前)
 
〇『朝鮮新報』2016.01.07
 
(在日朝鮮女性たちが外務省前で水曜デモ連帯行動)
 

 
〇『レイバーネット日本』2016.01.07
「被害者ハルモニの声を聞け!~世界一斉に「日韓合意」反対アクション」

〇『神奈川新聞』2016.01.07紙面
「合意を破棄し謝罪と賠償を 外務省前で抗議集会」

〇『ohmynews』2016.01.07 *朝鮮語
(ヨーロッパ・北米の僑民たちも立ち上がった 「慰安婦合意は無効」11カ国30余都市に広がった水曜集会の風景)

 
〇『THE HUFFINGTON POST KOREA』2016.01.07
(日本外務省前に登場したデモ隊の少女像扮装(写真))

〇『ハンギョレ新聞』2016.01.07

〇『조선중앙통신(朝鮮中央通信)』2016.01.08 *朝鮮語
(海外各地で世界連帯行動  展開)
 
〇『통일뉴스(統一ニュース)』2016.01.08 *朝鮮語
(在日同胞女性ら  日本外務省前  水曜デモ連帯行動〈朝鮮新報〉)
 
 

2016年1月10日日曜日

韓日外相会談に対する、「慰安婦」サバイバーたちの反応

(イ・ヨンス)「慰安婦」ハルモニたちのために、という考えがないようだ。(交渉内容は)すべて無視する。

天国に逝かれたハルモニたちに対し、面目がない。(日本は)どこまでも補償ではなく、賠償が必要である。金で解決しようとするのであれば受け取らない。

(イ・オクソン)
こんなに苦労して待ち望んでいたのに、政府に対し残念に思う。私たちは金銭よりも名誉回復を求める。
 


(キム・ボクトン)「被害当事者である私たちハルモニのことを無視していなかったら、私たちに一言も相談もなく、両国政府同士で話し合って妥結したと言えないはずだ」
「安倍首相が直接謝罪し、私たち名誉が回復できるように、死ぬまで戦う」
 
(イ・ヨンス)「安倍首相が敵のように憎らしくても、一度でもいいから少女像の前に行って、申し訳ないと言えば、良心はあるなと思えるだろうし、いくらか心が和らぐかもしれない」
「(そうなるように)すでに天国に行ったハルモニたちの分まで、さらに力を込めて戦う」
 
*以下、「オーマイニュースTV」リンク先の映像をもとに編訳。

〇 李玉善(イ・オクソン)
 
こんなことなら終わらせてしまえ、私たちが言葉を間違えたのか、どうなんだ。
大統領を変えなきゃならない。大統領を。親日派の娘、朴槿恵を。
 
世界を見渡すと(人びとは)こう言うよ。私たちが解放されて国を取り戻したから政府があるって。
でも自分の国の娘たちが苦労してるのに、政府がこんな有り様だから、どんな言葉も出ないよ。
日本人が私たちと話すのも嫌みたいだから。
政府は韓日協定のときに解決したって。韓日協定のときに個人は知らなかったのに、誰が知りますか?私たちは見ることも聞くこともできずに、金を全部もっていかれて、本人たちは知らずにどんな謝罪と賠償ができますか。
 
日本人たちとは勝手に集中討論をして、言わなきゃいけないことはいって。
(韓国の)大統領もそうでしょ。自分たちだけで内密に協議をして、ハルモニたちを騙すんだから、ハルモニたちも黙ってられないでしょう。これが正しいですか。私が思うに、韓国政府が間違ったんですよ。
私たちだって平穏に暮らしたいのに。そうでしょ、ハルモニたちと似たような先生たちがこうやって補償しろといいます。
これがどれだけ不当かわかりますか?今後、私たちの声を聞く耳をもってほしいと思います。
今後どうなろうが私たちの言葉を聞くのが嫌な先生たちも、もう少し耳を傾けて力を貸してくれたらいいと思います。
その点ぜひお願いします。
 

〇 李容洙(イ・ヨンス)
 
政府を信じてたんで。今はとても虚しい。
市民たちを信じて、また力を振り絞らないといけないです。
こんな合意、ありえないでしょう。
安倍は正気じゃないんですよ、今。
最後まで嘘だ嘘だと言っておいて、
これも嘘です。嘘。
 
もうこれ以上…デモはやりますけど。安倍に対して解決しろと叫ばなきゃいけないんだけど、もうそれすらも嫌なんです。
やりたくないけど、(韓国の)市民たちがたくさん参与してくれるじゃないですか。
それでもう一度考えたんです。
市民たちが力を貸してくれるので市民たちの力で私はもう一度、力を振り絞って最後まで日本の公式の謝罪と法的な賠償…
これだって24年間日本大使館前で賠償しろといってきたことです。それを理解してくれなくちゃ。
長官たちがそこにいるのに、こんな風にしてくれたらいいとハルモニたちが大使館前で叫んでいるのに、それをそのまましてくれたらいいんですよ。
そうしなきゃいけないのに、この合意は違う。一方的に政府でしたんだから、もう信じられない。政府がしたら解決されると思ってましたよ。
日本が真に罪を認定して、法的な賠償と公式の謝罪をさせるために私は最後まで闘います。
 

〇 姜日出(カン・イルチュル)
 
私の慶尚道の家は干し柿をつくってました。お母さんもお父さんもみんな死にました。
日本に来たから。
だけどこの国は、私たちの子孫がいるじゃないですか。守るんですよ。
私たちの子孫の土地が日本人に奪われてたでしょう。
でもこれからは絶対に、故郷(땅)を奪われてはならないんですよ。
私たちが死んでどんなことをしてもこれを請求するんですよ。
私たち国民は二度と日本人を信じてはならないし、
二度と同じ目にあってはならないんですよ。
 
それなのに私たちが日本人にやられたこと、国民のみなさんは胸が痛くならないんですか?
私の息子二人と娘と韓国にみんな連れてこようと。それでみんな連れてきて、ソウルに来ている。
私は以前、ナヌムの家の所長と米国に行って来た。
あっちのハルモニたちはどこに行って来たのかわからない。でも私がまた行ってこなきゃいけない。
私たち4人は言わなければならないんです。私たちがじっとしていたら子孫たちがまた同じ目にあうのに
じっとしてなんていられない。私が死んだら分からないけど、生きている限りこの国の成り行きに目を見開いてるよ。
私たちの子孫が少しも痛めつけられることがないように政府でも頑張ってくださいよ。

私たちだってバカじゃないんだ。私たちが年老いたからってバカだと思ってるんですか?全部わかってますよ。
私たちが中国に引っ張られ、翻弄されたんだ。

お母さんお父さん慶尚北道サンジュ。私たちの家には干し柿もナツメも栗もたくさんあった、山に
それなのにお父さんお母さんが居ないんだよ。だから私の心には血の涙が流れているんだ。
胸が痛すぎる。お兄ちゃんも居ないし今や何を願えばいい。
 

(編訳:李イスル、李杏理)