2015年4月22日水曜日

『帝国の慰安婦』における日本免罪論について

 『帝国の慰安婦』を特徴づけているのは「日本に対し『法的責任』を問いたくても、その根拠となる『法』自体が存在しない」(319ページ)という認識である。この認識は本書の各所で繰り返されている。「〔慰安婦の〕需要を生み出した日本という国家の行為は、批判はできても『法的責任』を問うのは難しい」(46ページ)、「強姦や暴行とは異なるシステムだった『慰安』を犯罪視するのは、少なくとも法的には不可能である」(172ページ)、「日本国家に責任があるとすれば、〔人身売買を〕公的には禁止しながら実質的には(個別に解放したケースがあっても)黙認した(といっても、すべて人身売買であるわけではないので、その責任も人身売買された者に関してのことに限られるだろうし、軍上層部がそうしたケースもあることを認知していたかどうかの確認も必要だろう)ことにある」(180ページ)、「『慰安』というシステムが、根本的には女性の人権にかかわる問題であって、犯罪的なのは確かだ。しかし、それはあくまでも〈犯罪的〉であって、法律で禁じられた〈犯罪〉ではなかった」(201ページ)といった具合である(その他、33-34ページも参照)。  この議論の奇妙さは、「法的責任」を考えるにあたって刑法(〈犯罪〉)しか考慮に入れていないことと、さらに刑法の中でも略取誘拐の罪や強姦罪などしか考慮に入れていない、という点にある。  まず後者について述べると、周知のように当時の刑法においても「帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買シ又ハ被拐取者若クハ被売者ヲ帝国外ニ移送シタル者」は「二年以上ノ有期懲役ニ処ス」とされていた(海外移送罪、刑法226条後段)。また「営利又ハ猥褻ノ目的ヲ以テ被拐取者若クハ被売者ヲ収受シタル者」は「六月以上七年以下ノ懲役ニ処ス」ともされていた(収受罪、同227条後段)。この海外移送罪と収受罪(軍「慰安所」が「営利又ハ猥褻ノ目的」を持っていることは疑いの余地がない)が略取誘拐の被害者の海外移送・収受だけでなく人身売買された者の海外移送・収受をも処罰の対象としていることは重要である。朴裕河氏は「軍上層部がそうしたケースもあることを認知していたかどうかの確認も必要」としているが、平時の公娼制においても人身売買によってセックス・ワーカーが集められていたことは当時の常識に属することであり、略取誘拐ならばともかく人身売買の被害者を移送し、「慰安所」に収受していたことを軍中央が「認知」していなかったなどという弁明は、そうした常識を踏みにじるものだからである。  また91年以降の日本軍「慰安婦」問題において「補償」が焦点の一つだったことを考えれば、刑法に絞って「法的責任」を考えるのも奇妙と言わざるを得ない。元「慰安婦」たちが起こした訴訟の経緯を参照してみれば、『帝国の慰安婦』の誤りは直ちに明らかになる。アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟(1991年提訴)の高裁判決は、金学順さんら3名の元「慰安婦」の請求を棄却しつつも、日本政府の責任に関して次のように判断している(下線は引用者、引用文中の「被控訴人」は日本政府を指す)。
(4)民法の不法行為に基づく請求について、現行憲法下では、国家賠償法施行前における公務員の権力的作用に伴う損害賠償請求についても民法の不法行為による損害賠償請求を、いわゆる国家無答責の法理で否定すべきものと解されない。しかし、被控訴人が戦争を遂行する国の権力作用として命じ、ないしはそれに付随した行為に基づき軍人軍属関係の控訴人らに生じた損害につき、被控訴人が民法上の不法行為責任を負うか否かは、結局、安全配慮義務違反の事実があるか否かの判断と同じである。軍隊慰安婦関係の控訴人ら軍隊慰安婦を雇用した雇用主とこれを管理監督していた旧日本軍人の個々の行為の中には、軍隊慰安婦関係の控訴人らに軍隊慰安行為を強制するにつき不法行為を構成する場合もなくはなかったと推認され、そのような事例については、被控訴人は、民法 715 条 2 項により不法行為責任を負うべき余地もあったといわざるを得ない。
 日本の司法において日本軍・日本政府の「法的責任」を追及する試みが不発に終わったのは事実だが、それは「その根拠となる『法』自体が存在しない」からでは決してなかったのである。

(文責:能川 元一)

2015年4月16日木曜日

秦郁彦『慰安婦と戦場の性』読書会報告

 2015年3月31日に当会が開催した、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』についての読書会では、宋連玉氏(朝鮮近現代史, ジェンダー史研究)による報告に続いて参加者による意見交換が行われた。主な意見や議論を主題別に紹介する(以下、敬称略)。 1. 日本の「慰安婦」制度と「国家」の関わり  安倍首相が3月27日の『ワシントン・ポスト』紙で、「慰安婦」制度について「人身売買」という表現を使った直後でもあり、また前回の読書会で扱った朴裕河『帝国の慰安婦』でもテーマになった「業者」の問題が本書でも課題となることから、この日の議論でも、日本の「慰安婦」制度における軍及び業者との関係、および「慰安婦」制度と公娼制との関係についての議論が行われた。  本書での著者の主張は、「慰安婦」制度というのは、国家が許可し、業者がやっている、そして国家がやっていることは常に正しい、というものである。だが、そもそも公娼制度も、警察(国家)の管轄で行われており、慰安婦制度も警察と軍隊が協力して女性たちを集めていたことから、「業者」がやったことと切り捨てるような著者の主張は是認できないことが確認された。  さらに、日本の慰安婦制度の特徴については、報告者より、軍隊は典型的な単身赴任(制度)であり、若い男性の軍への単身赴任に、性売買をセットすることが労働力としての兵士の管理として安上がりであった、特に、日本の近代軍隊というのは後発の帝国なのでお金がなかったから、いかに取り分を残していくかが課題であったという見方が示された。戦前では、公娼制から上がってくる税金は大きかった。戦前に風俗警察が非常に力を持っていたのは、業者の生殺与奪の権限を持っていたからであったなど、軍や警察という「国家」と業者との関係が切っても切れないものであることを著者らが見ないようにしているという議論が参加者によってなされた。  また、民間の公娼制度と慰安所との違いに関する議論で、戦時の慰安所では、性病検査の必要性などから軍が全面的に前に出て行かざるをえなかったことが指摘された。 2. 民族差別、性差別の発露  本書についての議論では、「読むのがつらかった」「読書会がなかったら再読はしなかったかも」などの声が何度となく上がった。これは、本書が「慰安婦」の「生態」などという記述に見られるように、(報告でも指摘されている)慰安婦被害女性への蔑視のまなざしが散見されるためと思われる。女性差別、男性中心性に鈍感な記述が多く見られることについては、研究者でも、研究者である前に、自分のジェンダー(やセクシュアリティ)を疑わない人が多く、さらにメディアも同様に男社会であるので、秦の主張がすんなり受け入れられる土壌があることへの危機感が共有された。    さらに、本書には、フェミニストの発言例が表にまとめられて載っているなど、フェミニズムに関する記述の多さが話題になった。発言例のリストアップは、フェミニストへの批判の際に便利な一覧となるからではないかという指摘もされた。また、各所で上野千鶴子の主張を、それがあたかも慰安婦問題で発言するフェミニストの代表するものであるかのように書いていることへの違和感が出され、いずれにしろ著者がフェミニズムを嫌っていることは明らかだという認識が共有された。 3.史料の扱い方の杜撰さ 慰安婦問題について調査研究や支援に関わる人が参加者に多くいたことから、参加者や知人についてどう本書の中で書かれているか、という個別具体例に基づいて、本書における史料の扱い方の杜撰さが指摘された。著者自身の主張に親和的な人については実名を挙げ、肩書きなども丁寧に紹介する一方、異なる見解の持ち主については、誰のことかわからないように実名を挙げないという恣意的な扱いが見られる上、自説に都合のいい部分だけをピックアップするなど研究として正当ではない扱いが散見されるという指摘があった。各所それぞれに詳しい人が読めばおかしいとわかるところが多く出てくるだろうという指摘も出た。 4.兵士と被害者を対等であるかのように扱う現状への懸念  本書は、被害者が名乗り出て以来、「過熱」してきた「慰安婦」問題の「バランス恢復」となる書だと(版によって異なるが、初版などの)裏表紙に書かれている(法哲学者、嶋津格のコメントとして)ように、「慰安婦」被害にあった女性にたちの語りに対し、兵士たちの語りを多く採用したものである。  だが、それを「バランス恢復」というのはおかしいのではないか、という声が上がった。「慰安婦」問題は、ずっと隠されてきたもの、権力で隠されてきたものがやっと出てきたものである。しかしながら、本書およびそれに同調する世論は、その権力差を考えずに、兵士は裏付けがあるが、被害者の語りは裏付けがない、とその時点で並列に扱うこと自体がおかしい趣旨のものである。  とりわけ、兵士の発言というのは、その前提として、多くの兵士が死んだ中で、自分が「生き残ってきた」ことへの後ろめたさがあり、他の兵士のことを悪くは言わない、言えない、ということがある。特に、性暴力の場合は命令されて強姦するのではないから、個人の問題でもあり、余計に言いづらいところがある。そうした背景をまったく考慮に入れない本書が影響力を持つ現状が憂慮されるという指摘もあった。 5. 本書と朴裕河『帝国の慰安婦』との共通性とその背景  前回取り上げた朴裕河『帝国の慰安婦』との共通性も多く指摘された。朴裕河を読んだ時と今議論している内容がかぶって見えてしまうという意見もあった。だが本書は、日本軍「慰安婦」問題についての右翼の種本であり、朴の本はリベラルに影響を与えている。本書で著者が書いているようなことを『帝国の慰安婦』で朴が言い方を変えて言っているに過ぎないにもかかわらず、リベラルが朴に同調している。これは、左派がひどい話ばかり言ってきたのではないかと、朴の本を待望するリベラルの右振れが起きているということであり、それ自体、深刻な問題だというコメントも出ていた。 (まとめ:斉藤正美)

2015年4月10日金曜日

『帝国の慰安婦』における「性奴隷」概念について

 本稿では『帝国の慰安婦』における「性奴隷」概念をめぐる議論の多岐にわたる問題点をとりあげることにする。いうまでもなく、日本軍「慰安所」制度が「性奴隷制」であったという被害者支援団体、研究者、および国際社会の評価こそ日本の右派がもっとも否認しようとしているものの一つであり、この点に関する『帝国の慰安婦』の議論を検討することは同書が日本の言論空間でもつ意味を問うことにもつながる。 1. 「性奴隷」概念の誤解・曲解  まず驚かされるのは、日本軍「慰安所」制度を論じるうえで重要な意味をもつことになる「奴隷」の定義(「自由と権利を奪われ他人の所有の客体となる者」)をなんと韓国語版ウィキペディアから引用していることである(143ページ)。大学生がレポート課題においてウィキペディアに依拠することすら多くの大学教員によって問題視されているというのに、研究者が執筆し、「クォリティ・ペーパー」と目される新聞社の出版部門から刊行された著作にこのような引用があるというのは、著者の志を疑わせるに足る事実である。なお、韓国語版では「挺身隊」に関する記述についても日本語版ウィキペディアが出典とされている箇所があることを、鄭栄桓氏が指摘している(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)」)。  さて、朴裕河氏は上記のような「奴隷」の定義に基づき、「ほとんどの慰安婦は奴隷である」ことを認める(142ページ)。ところが彼女は同時に「朝鮮人慰安婦は必ずしもそのような『奴隷』ではない」とも主張する。これは一体どのような論理によるものだろうか?  一見すると対立する二つの主張の併存が可能になっている第一の理由は、「性奴隷」を定義する際に同書が「慰安婦=『性奴隷』が〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉ということを意味する限り」(142ページ、下線は引用者)と、「無償で」という要件を付け足していることである。確かに、右派が喧伝する「慰安婦=高収入」説に対して支援者や研究者は「お金はもらえなかった」といった被害者の証言を紹介したり、支払いに用いられた軍票の問題点(激しいインフレ、日本円ないし朝鮮銀行券との交換制限など)を指摘し、反論してきた。しかしこれは事実に照らして「慰安婦=高収入」説が誤りである(そのようなケースも確かに存在した一方で、一般的に高収入だったとは言えない、という意味で)からであって、「性奴隷」状態にあったことを裏付けるためではない。「〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉ということを意味する限り」という仮定そのものが不当なのであるから、その仮定に基づく主張ももちろん成立しない。  第二の理由は、「監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された」という状況にあったとしても「それが初めから『慰安婦』に与えられた役割ではないから」性奴隷ではない、というものである(143ページ)。「(朝鮮人)慰安婦」の役割は“擬似日本”の提供であった、という本書の主張が、それが日本軍の意図についてのものと解する限り史料的根拠が皆無であることはすでに別の記事で指摘しておいたが、それを措くとしても“実態がどうであれ最初から企図されたことではないから性奴隷ではない”などという論法が通用するのであれば、「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う『人づくり』に協力することを目的」としている技能実習制度の下で奴隷労働が強制されていても、日本政府は免責されてしまうことになってしまうだろう。  第三の理由は、「奴隷」の「主人」は日本軍ではなく「業者」であったというものである。問題は、朴裕河氏が永井和・京都大学教授により明らかにされた(注1)、1937年9月の野戦酒保規程の改正を無視して論じている点にある。第1条で野戦酒保に「必要ナル慰安施設ヲナス」ことを可能にした改正野戦酒保規定に基づいて設置された軍「慰安所」は「軍の後方施設の一種」(永井)ということになる。さらに第6条が「野戦酒保ノ経営ハ自弁ニ依ルモノトス但シ已ム得ザル場合(一部ノ飲食物等ノ販売ヲ除ク)ハ所管長官ノ認可ヲ受ケ請負ニ依ルコトヲ得」としている点の重要性も永井氏の指摘するところである。なぜなら、軍の直営ではない「慰安所」についても、軍の内部規程たる改正野戦酒保規程に基づいて経営を業者に委託したものということになり、「軍の後方施設の一種」である点では軍直営の「慰安所」と変わりがないことになるからである。  『帝国の慰安婦』は女性たちの「自由と権利」を奪った「直接的な主体」は「業者」であったとし、「構造的権力と現実的権力の区別」をすべきだとする(143ページ)。軍の「慰安婦」に対する関係は「『女性は家父長制的な家庭の奴隷だ』というような、大きな枠組みの中でのこと」だと矮小化される(同書)。しかし女性たちが奴隷状態におかれていたのが「軍の後方施設の一種」においてである以上、その奴隷状態に対する軍の関係は「家父長制」のような構造的なものにとどまるとは到底言えない。廃業を許可制とするような「慰安所」運営規則を日本軍自身が定めていたこと(馬来軍政監部、「慰安施設及旅館営業取締規程」など)を考えれば、なおさらである。  なお『帝国の慰安婦』は「慰安婦」が外出や廃業を「許可」された事例があったことをもって「外出や廃業の自由がなかったとするこれまでの考えを翻すものだ」(95ページ)という驚くべき主張をしている(79ページも参照)。廃業に「許可」が必要ならそれを「廃業の自由」などとは呼べないことは、先行研究において常識に属することである(当時の日本の公娼制においても建前上廃業は「届け出」ればそれで足り、許可を得る必要はないとされていた)。  これに関連して、朴裕河氏が「慰安婦が、国家によって自分の意思に反して遠いところに連れていかれてしまった被害者なら、兵士もまた、同じく自分の意思とは無関係に、国家によって遠い異国の地に『強制連行』された者である」(89ページ)と主張しているのも、「性奴隷」概念への無理解を示すものだ。当時において兵役は憲法上の根拠をもつ帝国臣民の義務であり、かつ社会的にも名誉なこととされていた。これに対して強制売春は当時においても違法であり、かつ売春そのものも「醜業」としてスティグマ化されていたのであって、単に「自分の意思に反して」という共通点をもって両者を同列に扱うのは詭弁というしかない。一切の兵役を「奴隷的拘束及び苦役」として批判し、また兵役によらねば可能とならない一切の戦争を批判する立場から従軍を「強制連行」とするならともかく、「慰安婦=性奴隷」という認識を否定するためにこのような相対化を行うことは欺瞞的ではないだろうか。なお、「外出が許可されていた」も「強制というなら兵士も同じ」も、日本の右派がしばしば主張することである、ということも付言しておく。 2. 「慰安婦」問題否認論者の「記憶」?  「慰安婦問題を否定してきた人たちが〈強制性〉を否定してきたのは、慰安婦をめぐるさまざまな状況のうち、自らの記憶にのみこだわるためである。そしてその多くは「強制連行」や「二〇万人」という数字に反発した」(144ページ)とか「慰安婦問題を否定する人たちが、民間人が勝手に営業したと主張するのは、このような記憶が残っているからだろう」(104ページ)(注2)というのも、「慰安婦」問題否認論の実態に即さない議論である。  そもそも否定論者の「記憶」とはなんだろうか? 「慰安婦問題を否定してきた人たち」の主張が具体的にとりあげられることがないため、まずもってこの点が曖昧である。もしこれが自身の体験についての「記憶」を意味するのであれば、1991年の段階でそのような「記憶」をもっていた日本人は圧倒的な少数派であったことをまず指摘しなければならない。敗戦時に15歳だった人がすでに60歳を越えていた時期である。戦中に成人していた世代でも従軍して「慰安所」を見聞した体験を持つ日本人は日本人全体の中では少数派にとどまる。軍が一切関与しない「慰安所」しか見聞しなかった日本人はさらにその一部でしかない。否定派の主導的イデオローグのうち戦後生まれの西岡力氏はもとより、戦中生まれの秦郁彦氏ですら「慰安所」についての実体験はもっていない。他方、軍人として「慰安所」設置に関わった実体験をもつ中曽根康弘元首相などは、かつて自ら慰安所開設に関わったことを明らかにしていたにもかかわらず、07年に海外メディアにその点を追及されると自らの記憶に反して売買春施設としての「慰安所」への関与を否認したのである(その後、主計将校だった中曽根氏が「慰安所」を開設したことを示す公文書が発見された)。
 さらに、もし戦前世代の「記憶」を引き合いに出すのであれば、公娼制が当時においても「事実上の奴隷制度」として批判されていたこと、戦前・戦中においてすでに過半数の都道府県で公娼制が廃止されるか廃娼決議がなされていたことについての「記憶」も問題とされねばならないはずなのに、否定派がそうした「記憶」に依拠することはない。このような、極めてイデオロギー的な「記憶」の選別を『帝国の慰安婦』は看過している。
 ではこの「記憶」は「国民の記憶」と理解すべきなのだろうか? 「二〇万人ではない」という記憶のベースとなるような個人的な体験を持ちうる人間はほとんどいないので(注3)、朴氏の言う「記憶」は「国民の記憶」と理解した方がよいようにも思える。しかし「慰安婦」問題が浮上した1991年末〜92年初頭の時期において、「強制連行ではない」「二〇万人ではない」「民間人が勝手に営業した」などといった「国民の記憶」が成立していたとは言えないだろう。そこにあったのはむしろ「記憶の欠如」と言うべきである。日本の「慰安婦」問題否認派は「強制連行ではない」「二〇万人ではない」「民間人が勝手に営業した」という「国民の記憶」を創造すべく活動していたのであり、すでに成立していた「国民の記憶」に依拠していたわけではあるまい。
3. 被害者を盾にした「性奴隷」否認  おそらく日本の“リベラル派”にもっとも評価されるであろう主張は、次のようなものであろう。
 何よりも、「性奴隷」とは、性的酷使以外の経験と記憶を隠蔽してしまう言葉である。慰安婦たちが総体的な被害者であることは確かでも、そのような側面にのみ注目して、「被害者」としての記憶以外を隠蔽するのは、慰安婦の全人格を受け入れないことになる。それは、慰安婦たちから、自らの記憶の〈主人〉になる権利を奪うことでもある。他者が望む記憶だけを持たせれば、それはある意味、従属を強いることになる。(143ページ)
152ページでも同様の主張が繰り返されている。一見すると被害者の主体性に配慮したもっともらしい主張に思えるこの議論が無視しているのは、「性奴隷」というのが被害者に貼られたレッテルではなく、日本軍「慰安所」制度の人権侵害性を告発するための概念だ、という点である。被害者となった女性たちの体験がことごとく「性奴隷であった」ことに還元されると主張している者など存在しない。「慰安所」における女性たちの体験が多様であるのはもちろんのことだし、さらに「慰安所」での体験を自分の個人史の中にどう位置づけ、どう意味づけるかも本人に委ねられるべき問題である。しかしそのことと、旧日本軍がつくりあげた軍「慰安所」制度をどう評価するかという問題とは別である。
 2013年6月13日放送の TBS ラジオ「荻上チキ・Session-22」において行われた秦郁彦・吉見義明両氏の討論(「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」)で露呈した両者の認識の食い違い(注4)もこの点と関わっている。公娼制について秦氏が「娘たちは騙されたと感じるのもあるでしょう」「自由意志か自由意志でないかっていうのは非常に難しいんですね。家族のためにっていうことで、誰が判定するんですか」などと女性の意識に焦点をあわせているのに対して、吉見氏は一貫して公娼制が人身売買を前提としたシステムであったことを指摘している。身売りされたことを「家族を助けられてよかった」と考える公娼が存在したとしても公娼制という制度の人権侵害性が否定されないのと同じように、日本軍「慰安所」が人身売買や略取誘拐による徴集や廃業を許可制とする規則等によって機能していた制度であることは、「慰安婦」の体験や記憶の多様性によって否定できることではない。  また、現実が持つ多様な側面のうちの一部しか捉えきれないというのは「名指し」という行為がはらむ原理的な問題であって、「帝国の慰安婦」という呼称もまたそうした限界を免れているわけではない。「帝国の慰安婦」という用語法がなにを「隠蔽」しているのかも問われることになるだろう。

(文責:能川 元一)

2015年4月5日日曜日

書評:秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(宋連玉)

 書評 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、1999)


                               宋 連玉 Song,Younok

はじめに
 『慰安婦と戦場の性』は、著者の秦郁彦氏によると「第二次大戦期のアジアばかりでなく、古代から現代に至るタテ軸と洋の東西にわたるヨコ軸を交差させての「慰安婦百科全書」をめざした」ものらしいが、慰安婦問題が日韓の政治・外交の懸案事項となっているおかげも被って16年たった今でも版を重ねている。

 帯文や表紙、あとがきといった目につきやすいところに踊るのは、この問題に関心を寄せる人々のイメージを操るような派手なキャッチコピーである。1999年版の表紙カバーには「慰安婦問題は嫌煙権論争に似ている。知的アプローチよりも情緒論、政治的思惑が先行して過熱気味の論争は今も続く」とあり、あとがきには、慰安婦問題が「突如として内外の耳目を衝動する大トピックに浮上した理由」として「この疑問に答える材料を私は持ち合わせていないが」としながら「少なくとも、往年の廃娼運動のように正義・人道を基調とする単純な動機から発したものではないようだ。おそらくは内外の反体制運動がかかえていた政治的課題にからむ、複合した思惑の産物であったろう」と結ぶ。
 あたかも、この問題を解決するために集まった人々が、正義や人道とは関係のない、「反体制運動」のために慰安婦問題を利用しているかのような書き方である。
 この著者の考え方は、2008年に文藝春秋社から出た『現代史の虚実―沖縄大江裁判 南京 慰安婦 フェミニズム 靖国』の帯文「マスコミが醸成し強要する扇動的な「歴史解釈」「空気」「同調圧力」に異議あり!」にもよく表れている。この書籍の本文(222p)には、「1990年代に大流行した「慰安婦」騒動」は「左翼運動家と大新聞のキャンペーンが発端」で、売春婦と同列では運動が盛り上がらず補償の対象にもならないので、「日本の官憲による強制連行」というイメージが創作された」と書かれているが、この著者が言わんとすることがここに凝縮されていると言えよう。 Ⅱ 目次から見る著者の狙い
第1章 慰安婦問題の「爆発」 第2章 公娼制下の日本 第3章 中国戦場と満州では 第4章 太平洋戦線では 第5章 諸外国に見る「戦場の性」 第6章 慰安婦たちの身の上話 第7章 吉田清治の詐話 第8章 禍根を残した河野談話 第9章 クマラスワミ旋風 第10章 アジア女性基金の功罪 第11章 環境条件と周辺事情
 目次の流れを見ると、慰安婦問題の浮上、公娼制と慰安婦制度、世界史にみる公娼制と慰安婦制度、被害者証言と加害者証言の分析、慰安婦問題を巡る政治的状況となっている。著者の専門である戦史研究にかかわるのは3章、4章であり、その前史である2章以外は慰安婦問題を解決する運動を批判する内容となっている。なぜかオランダ女性が強制連行されたスマラン慰安所については、3,4章に入れずに、第6章の被害女性の「身の上話」に一括している。
 最後の第12章は吉見・川田編著『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』への批判・反論として、7つの争点をQ&Aでまとめ、著者の見解を展開している。 Q1 「慰安婦」か「従軍慰安婦」か? Q2 女子挺身隊と慰安婦の混同 Q3 慰安婦の強制連行はあったか? Q4 慰安婦はどのように集められたか? Q5 慰安所の生活条件は過酷だったか? Q6 慰安婦は何人いたか? Q7 慰安婦の民族別構成は? Ⅲ 書評
1.秦の「慰安婦」を見る視点―貧困女性への蔑視
 まずこの著者がどんなまなざしを慰安婦被害女性に向けているのかを見てみよう。
 著者がこの書物をまとめたのは「冷静、虚心に彼女たちの生態を、それも等身大で捉えるべきだき季節が来ている」(表紙カバー)ので、事実と虚心に向き合うために「執筆に当っては、一切の情緒論や政策論を排した。個人的な感慨や提言も加えなかった」とする。
 著者の言う「生態」であるが、まず慰安婦の待遇は、戦時期に女性の取り分が25%から40%に上昇した吉原遊廓の公娼に比べてもはるかに厚遇されていたとする。また「ハイリスク・ハイリターン」を期待して戦地に赴いた慰安婦の実例として「3年足らずで2万余円の貯金をし、5千円を仕送りした」(183p、392p)という文玉珠のケースを取り上げる。慰安婦は、軍隊における公娼であり、公娼が国家公認と言ってもその責任は国家にではなく前借金で売った親や業者、女衒にあるのだと主張する。
 ここで言う業者とは自己資本による自由な商業活動を営む者ではなく、軍によって募集されたか認可された御用業者、受命業者を意味するのである。よって民間業者というのは、表現そのものが間違いであり、別の意図を持った政治用語と言える。1944年10月27日の『毎日新報』同年7月26日の『京城日報』紙上の「慰安婦」募集の求人広告も、時局柄、軍のお墨付きがなければ出せないものである。公娼制、慰安婦制度ともに国家による性管理でありながら、国(警察、軍隊)は常に関与していないポーズを取るのが近代以降の「文明的」常套手段である。ましてやアフリカの「奴隷狩り」のような暴力を行使するのは近代国家の経済効率からしてもそぐわない。暴力を行使せずとも女性を騙して集める方法は近代社会にはいくらでも存在する。
 さらに著者によれば、慰安婦の9割は生還し、民族別には「内地人」(日本人)4、現地人3、朝鮮人2、その他1の割合だと見積もる。しかしもっとも多い日本人女性の名乗りがないのは、「慰安婦」問題を解決しようとする運動が「内外の反体制運動がかかえていた政治的課題にからむ、複合した思惑の産物」であることを誰よりも敏感に感じとっていたからだと説明する。ここでは日本人「慰安婦」は運動団体の政治的魂胆を見抜く賢明な女性たちとして持ち上げられるが、著者自身の慰安婦だった「同胞」女性への同情は見られず、「苦界に身を沈めた」女性たちの自己責任を問うばかりである。
 著者は「女郎の身の上話」に騙されたかつての苦い経験から、慰安婦や公娼の証言に常に懐疑的である。戦争研究において実証性と中立性を堅持してきたと自負する著者は、彼女たちの悲惨な体験に容易に心を動かされない。フィリピンの慰安所開設に際し、生活の困っていた「その道の経験ある婦女子がわんさと応募」(197p)してきたことや、強制連行が認められているスマラン慰安所事件においても、その背景にある軍抑留所には「売春婦」が多く存在し、慰安所徴集における強制性を疑問視する。 このように著者は、「慰安婦」の強制性や性奴隷的な側面を相対化しようとするだけでなく、公娼制に対しても相対化しようとして、世界、とくに中国の例を持ち出す。すなわち「北京でもカラオケ屋とアンマ屋に偽装した売春業が繁昌、96年5月に北京市政府は1カ月で45の売春組織と1259人の売春婦を逮捕したが、潜在人口は1万人ぐらい」だとし、むしろ日本がすでに私娼システムへの完全移行を実現したと中国との差別化を図ろうとする(62p)。
 さらに第5章では、「軍隊用の慰安婦」が古代ギリシャにまで遡れるとし、現代に至ってはRAAからベトナムにおける韓国軍「慰安所」にまで言及する。要するに「慰安婦」制度は決して日本の近代軍隊の特殊な制度ではなく、戦場には普遍的に存在したものなのだと主張したいようだ。
 しかしながら長年戦史の研究者として多くの資料を渉猟してきた著者に、「慰安婦」の悲惨さが見えないはずはない。「マニラなど海軍占領地の至るところに慰安所と慰安婦が溢れた(134p)」「拉致まがいの徴集もあったにちがいない(137p)」「帰りたくても便が得られず、海没を恐れて残留する女性が少なくなかった」。「軍票で支払われるのが原則だったから(中略)敗戦と同時に紙屑と化してしまった」(121p)など。
 また第4章の「敗走する女群―ビルマ、比島」には「惨烈とはいえ、陸つづきのビルマはまだしもで、逃げ道がないフィリピンに慰安婦たちがなめた苦難は、より惨烈であった。厚生省の調査では60万人の守備兵のうち、50万人が戦死しているが、慰安婦たちの消息を示す統計は見当らない」(124p)とある。
 統計が見当たらないのに、民族比率や帰還率をどうやって弾き出したのか。またその数値が信頼に足るものなのか、疑わしい限りだ。時折しも秦氏がアメリカの教科書記述訂正を求める日本海外特派員協会での会見で、日本軍兵力を100万人と言ったそうだが、これに対し秦氏の歴史学者としての資質を問う声も飛び交った。
 戦地の女性たちの悲惨さと著者の公娼認識にはズレがあるが、これを解消すべく、秦氏は慰安婦は公娼だから国家的責任は問えないと言いつつ、アジア女性基金のような民間ベースの救済がもっともふさわしい(197p)と、条件的救済の必要性を認める、矛盾した発言をしているのである。 2.資料と証言に見る著者の非中立性
 著者の公文書への信頼は、国家へのそれとどうように絶大である。公文書に見られる政治的な力学を分析したり、疑うことなどはしない。林博史氏も『週刊 金曜日』(290号、1999年11月5日)にすでに指摘したように、秦氏の資料の扱いに恣意性が見られるとしたように、自説に有利なものは採用し、そうではない場合は無視する、といった取捨選択を行っている。
 例えば、禾 晴道『海軍特別警察隊―アンボン島BC級戦犯の手記』(1975太平出版社)は本書でも紹介されているが、禾がアンボン島での慰安婦集めは、現地の女性たちに強制と思わせない巧妙な強制だったと証言している個所などは引用されていない。 
 著者は、「慰安婦」に関する証言が国家としての体面や法的処理に関わるので検証するのだと言うが(177p)、「ハイリスク・ハイリターン」を期待した「慰安婦」の実例として採用する文玉珠証言は、秦氏の期待に副うものだったからか、額面通りに受け取っている。
 本書に頻出する「女郎の身の上話」という言葉だが、これ自体が貧困女性への偏見に満ちたものであり、どんな人生でも不幸で報われないものであれば、聞き手、年齢、その他の要因により、ある種の脚色は避けられないものだ。秦氏は名のり出た慰安婦の共通したパターンとして、「知力が低く、おだてに乗りやすい」ことを挙げ、<善意>のインタビュアーたちは、自分が聞きたい物語を聞き出すように、語りの図式を変形するという権力を、その聞き取りの現場において行使している」が、専門家である弁護士まで、その弊を抜け出せなかった(178p)としている。要するに、「慰安婦」証言は信じるに足りないということを主張するために、外堀まで埋めようとしているのだ。
 日本人慰安婦に関しては、「朝鮮人や他のアジア諸国の例と比較すると、記憶力や論理性は格段にすぐれている」(224p)としながらも、金文淑が聞き取った城田すず子の証言、すなわち碑を立てた動機が「日本が犯した醜い犯罪に対して自分に出来る謝罪をするため」については疑っている(226p)。
 証言に対する秦氏のバイアスが顕著に表れるのは、「慰安婦」と対極にある憲兵のそれである。あとがきに「憲兵には兵士から選抜された優秀者が多い。引き出し方にもよるが、優れた証言者が少なくない。それだけに、私の取材に対しては予期以上の熱心な協力を得ることができた」とあるが、人間は能力が高いからと言って誠実で正直とは言えず、逆にインタビュアーの期待に添うように、狡猾にストーリーを作る可能性も否めない。
 秦氏のずさんな資料扱いを批判するのは、林氏だけではない。『マスコミ市民』(99年10月) には秦氏が資料、写真を無断盗用したと批判する前田朗氏、南雲和夫氏の文章が掲載されている。   3.植民地期朝鮮に対する無知と偏見
 秦氏が本書を通じて異議を唱えたい矛先は、「慰安婦」問題に関わる運動や団体、大手新聞(朝日新聞を指す―ちなみに最新の帯文には「朝日新聞よ!真相はすべて本書に書かれていた!」とある)と並んで、朝鮮民族に向けられたものである。
 「女子に対しては、国民徴用令も、女子挺身勤労令も朝鮮半島では適用されなかったが、官斡旋の女子(勤労)挺身隊が内地に向かったこともあり、各種の流言が乱れ飛び、未婚女性の間にパニック的動揺が生まれたらしい」(367p)ことから、帝国日本の植民地政策、総動員体制下の労働力動員に朝鮮人が強い不信感を持っていたことを知るべきである。恐怖政治のもとでは、流言飛語が草の根の抵抗である。「「悪質なる流言」という表現がくり返し出てくるところから、総督府は一種の反日謀略ではないかと疑っていたようだ。それに朝鮮半島では未婚女子は戸外労働を忌避して家庭内にとどまる伝統があり(44年の就業率3割弱)(369p)」とあるが、前段部分は植民地における総督府政治の破たんを物語るものであり、後段は秦氏が朝鮮総督府の創出した植民地期の女性表象や言説を今もなお、そのまま継承していることを表している。
 日本人慰安婦が「朝鮮人や他のアジア諸国の例と比較すると、記憶力や論理性は格段にすぐれている」のは当然である。非識字とは、単に文字や言語に通じないだけで終わる話ではなく、記憶の構成や論理的能力にも影響するのである。帝国日本は、朝鮮女性への教育コストをかけない植民地経営をした結果であるが、詳しくは『「慰安婦」問題を/から考える』(岩波書店、2014年)に掲載された拙稿を参照していただきたい。
 秦氏の資料の読み替え、誤解、数字の不正確さについては、林博史氏の他に最近は永井和氏も加わって精緻に批判しているので、ここでは第2章の朝鮮の公娼制について述べてみたい。
    「総督府管轄下の公娼数は1940年末の9,580人から42年末に7,942人へ17%も激減」と(100p)とあるが、この数字は公娼ではなく、芸妓や酌婦といった、いわゆる私娼も含めたものである。秦氏からすると、公娼も私娼も同じ売春婦ということで同列に見なすところから来る間違いかも知れないが、日本「内地」や朝鮮では娼妓を公娼とみなした。
 また、41pの「朝鮮における公娼関係統計」では西暦が使われているが、原資料では元号で表記されている。これも秦氏がオリジナルの資料を見ないで、孫引きをしたまま、あたかも自分が直接資料に当たったかのように細工した馬脚が表れている。他にも元論文を読まないで引用論文を転用している部分もある。
 このような手抜きが数字の間違いに繋がったり、自分勝手な解釈を許したり、しているのだろう。自説に合う資料・証言を恣意的に選んでいるという批判は免れない。
 また秦氏は公娼制という言葉を時期や場所の違いに関係なく使用している。そのために公娼制が、明治初期から総動員体制期までどのように変化したのか、あるいは内地と朝鮮、台湾とではどのように異なっていたのか、違いを問題にしないまま、慰安婦制度と連結させている。同じ言葉を説明なく使うことで、公娼も「慰安婦」も社会に浮遊する偏見に満ちたイメージに安直に融合し、連結する。
 著者がエリート官僚出身であるとは信じられないほど、本書にはスラングやパワハラ的な表現が満載であるが、そのような言葉遣いが、既成の「慰安婦」のマイナス・イメージを補強する効果を果たしている。キャッチコピーの活用や、「慰安婦」問題の解決に奔走する人々を「左翼」「反体制運動」とレッテル張りをするところは、著者の「反共」日本の空気を読むしたたかさであろうか。
 敢えて本書の成果を挙げるとしたら、著者のエリート官僚としての経歴が「幸いして」元憲兵の証言を集めているところにあると言えようが、「慰安婦」証言と同様に検証を欠いてはいけない。
 本書が真に「慰安婦百科全書」になるためには、資料・証言・解釈の精緻な検証が全面的に必要となろう。また百科全書であっても、「慰安婦」被害者へ共苦するEQ(心の知能指数)とモラルが問われることはあらためて言うまでもない。
(文責:宋 連玉)

2015年4月2日木曜日

「慰安所」の設置目的に関する『帝国の慰安婦』の主張について

 アジア・太平洋戦争において日本軍が「慰安所」を設置した理由については、(1)多発していた占領地での強姦を防止して占領統治を円滑に進めるため、(2)戦力低下の原因となる性病の蔓延を防止するため、(3)将兵が占領地の売春施設を利用することで軍事機密が漏洩することを防ぐため、(4)兵士の不満をガス抜きし士気を維持するため、が通説となっている。一定の史料的根拠があるうえに軍人の発想についての説明として無理のないもので、日本軍「慰安婦」問題否認派からもまず異議が唱えられることはない。特に(1)などは「慰安所」制度の正当化のために引き合いに出されるくらいである。

 しかし『帝国の慰安婦』はこの通説に挑戦している。「性病防止などが慰安所を作った第一の理由に考えられているが、それはむしろ付随的な理由と考えられる」(31ページ)とか、「おそらく、軍慰安所の第一の目的、あるいは意識されずとも機能してしまった部分は、高嶺の花だった買春を兵士の手にも届くものにすることだった」(41ページ)、「女性が家のこまごまとした仕事をして、男たちがまた会社に出て働ける役割を受け持つように、軍人たちが戦争をしている間、必要なさまざまな補助作業をするように動員された存在が慰安婦だったのである」(71ページ)、あるいは「戦争開始後に軍が主導的に作った慰安所は、最初は性病防止などという至極現実的で殺伐とした目的から作られたようだが、時間が経つにつれて、身体以上に心を慰安する機能が注目されたのだろう」(85ページ)、といった具合である。

 その目的の一つは明らかに、朝鮮人「慰安婦」とそれ以外の「慰安婦」を峻別する本書の基本的態度を正当化することにある。「中国人女性たちは擬似日常の役割はしても、〈故郷〉の役割はできなかったはずで、厳密な意味では『慰安婦』とは言えない」(45ページ)という一節が朴裕河氏の狙いを端的に表現している。すなわち、「慰安所」の第一の目的を“擬似日本”の提供であるとし、この目的に照らして朝鮮人「慰安婦」と非朝鮮人「慰安婦」とを区別し、前者については「日本兵士との関係が構造的には『同じ日本人』としての〈同士的関係〉だった」(83ページ)と主張するため、である(注)。

 問題は、例によってこの主張には史料的根拠が欠けているという点である。著者が援用する元「慰安婦」の証言などは、「慰安所」が結果として果たした役割について教えてくれることはあるにしても、軍中央が「慰安所」の設置という方針を選択した理由については事情が異なる。ところが上記引用が示すように、著者は軍の意思にまで踏み込んで通説を否定してしまっているのである。(なお、軍「慰安所」設置の目的についての通説に反する主張を行う際に、明治時代の事情について記述した文献を根拠とするという時代錯誤についてはこちらを参照されたい。)

 朴裕河氏が高く評価し、また大きく依拠している千田夏光の『“声なき女”八万人の告発−−従軍慰安婦』(文庫版は『従軍慰安婦』)は繰り返し「性病の予防」という目的を強調しているだけに、これは奇異なことと言わねばならない。先に述べたような著者の意図からすれば「慰安所」が結果として果たした機能について論じれば十分であり、設置目的についての通説に挑戦する必要はないように思えるからである。

 『帝国の慰安婦』に「性病の予防」という「慰安所」設置の目的を否定、ないし過小評価する動機があるとすれば、それはおそらく同書が「『慰安婦』=『少女』とのイメージ」(61ページ)を破壊しようとしていることと関係があるのだろう。同書65ページには次のような記述がある(106ページにも類似の記述がある)。
 そして、朝鮮人慰安婦の中に少女が存在したのも、日本軍が意図した結果というより、「強制的に連れていった」誘拐犯たち、あるいは同じ村の者でありながら、少女がいる家の情報を提供した協力者たちの意図の結果と見るべきだ。(……)
なぜそう「見るべき」なのか、例によって史料的根拠は皆無である。もちろん、既婚者に比べれば未婚者を誘い出す方が容易だとすれば、少女に目をつけることは業者にとっても合理的だったろうが、そのことは日本軍の「意図」とは別問題である。千田夏光は有名な麻生徹男軍医の意見書を詳しく引用しているが、周知のようにその意見書では性病防止の観点から売春歴のない、若い女性が「慰安婦」に適しているという主張が展開されているのである。性病防止を「慰安所」設置の目的とする通説は日本軍が若い女性を望む動機をもっていたことを推察させるから、著者にとっては不都合であり、それゆえに否定されねばならなかったのではないだろうか?

 たしかに「『慰安婦』=『少女』とのイメージ」は公娼・私娼から「慰安婦」に転じた女性たちの存在を見えにくくするという問題を孕んでおり、このイメージを相対化しようとする著者の意図そのものは理解できないわけではない。しかしその相対化の作業はやはり実証的に行われねばならないはずである。なんの根拠もなく通説を否定して、軍が若い女性を動員する動機を持っていたことを隠蔽することは到底許容できる方法ではない。なお『帝国の慰安婦』が史料のずさんな利用によって「慰安婦」の年齢を実態よりも高く見せかけていた事例については別に指摘しておいた。

(文責:能川 元一)