2015年4月16日木曜日

秦郁彦『慰安婦と戦場の性』読書会報告

 2015年3月31日に当会が開催した、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』についての読書会では、宋連玉氏(朝鮮近現代史, ジェンダー史研究)による報告に続いて参加者による意見交換が行われた。主な意見や議論を主題別に紹介する(以下、敬称略)。 1. 日本の「慰安婦」制度と「国家」の関わり  安倍首相が3月27日の『ワシントン・ポスト』紙で、「慰安婦」制度について「人身売買」という表現を使った直後でもあり、また前回の読書会で扱った朴裕河『帝国の慰安婦』でもテーマになった「業者」の問題が本書でも課題となることから、この日の議論でも、日本の「慰安婦」制度における軍及び業者との関係、および「慰安婦」制度と公娼制との関係についての議論が行われた。  本書での著者の主張は、「慰安婦」制度というのは、国家が許可し、業者がやっている、そして国家がやっていることは常に正しい、というものである。だが、そもそも公娼制度も、警察(国家)の管轄で行われており、慰安婦制度も警察と軍隊が協力して女性たちを集めていたことから、「業者」がやったことと切り捨てるような著者の主張は是認できないことが確認された。  さらに、日本の慰安婦制度の特徴については、報告者より、軍隊は典型的な単身赴任(制度)であり、若い男性の軍への単身赴任に、性売買をセットすることが労働力としての兵士の管理として安上がりであった、特に、日本の近代軍隊というのは後発の帝国なのでお金がなかったから、いかに取り分を残していくかが課題であったという見方が示された。戦前では、公娼制から上がってくる税金は大きかった。戦前に風俗警察が非常に力を持っていたのは、業者の生殺与奪の権限を持っていたからであったなど、軍や警察という「国家」と業者との関係が切っても切れないものであることを著者らが見ないようにしているという議論が参加者によってなされた。  また、民間の公娼制度と慰安所との違いに関する議論で、戦時の慰安所では、性病検査の必要性などから軍が全面的に前に出て行かざるをえなかったことが指摘された。 2. 民族差別、性差別の発露  本書についての議論では、「読むのがつらかった」「読書会がなかったら再読はしなかったかも」などの声が何度となく上がった。これは、本書が「慰安婦」の「生態」などという記述に見られるように、(報告でも指摘されている)慰安婦被害女性への蔑視のまなざしが散見されるためと思われる。女性差別、男性中心性に鈍感な記述が多く見られることについては、研究者でも、研究者である前に、自分のジェンダー(やセクシュアリティ)を疑わない人が多く、さらにメディアも同様に男社会であるので、秦の主張がすんなり受け入れられる土壌があることへの危機感が共有された。    さらに、本書には、フェミニストの発言例が表にまとめられて載っているなど、フェミニズムに関する記述の多さが話題になった。発言例のリストアップは、フェミニストへの批判の際に便利な一覧となるからではないかという指摘もされた。また、各所で上野千鶴子の主張を、それがあたかも慰安婦問題で発言するフェミニストの代表するものであるかのように書いていることへの違和感が出され、いずれにしろ著者がフェミニズムを嫌っていることは明らかだという認識が共有された。 3.史料の扱い方の杜撰さ 慰安婦問題について調査研究や支援に関わる人が参加者に多くいたことから、参加者や知人についてどう本書の中で書かれているか、という個別具体例に基づいて、本書における史料の扱い方の杜撰さが指摘された。著者自身の主張に親和的な人については実名を挙げ、肩書きなども丁寧に紹介する一方、異なる見解の持ち主については、誰のことかわからないように実名を挙げないという恣意的な扱いが見られる上、自説に都合のいい部分だけをピックアップするなど研究として正当ではない扱いが散見されるという指摘があった。各所それぞれに詳しい人が読めばおかしいとわかるところが多く出てくるだろうという指摘も出た。 4.兵士と被害者を対等であるかのように扱う現状への懸念  本書は、被害者が名乗り出て以来、「過熱」してきた「慰安婦」問題の「バランス恢復」となる書だと(版によって異なるが、初版などの)裏表紙に書かれている(法哲学者、嶋津格のコメントとして)ように、「慰安婦」被害にあった女性にたちの語りに対し、兵士たちの語りを多く採用したものである。  だが、それを「バランス恢復」というのはおかしいのではないか、という声が上がった。「慰安婦」問題は、ずっと隠されてきたもの、権力で隠されてきたものがやっと出てきたものである。しかしながら、本書およびそれに同調する世論は、その権力差を考えずに、兵士は裏付けがあるが、被害者の語りは裏付けがない、とその時点で並列に扱うこと自体がおかしい趣旨のものである。  とりわけ、兵士の発言というのは、その前提として、多くの兵士が死んだ中で、自分が「生き残ってきた」ことへの後ろめたさがあり、他の兵士のことを悪くは言わない、言えない、ということがある。特に、性暴力の場合は命令されて強姦するのではないから、個人の問題でもあり、余計に言いづらいところがある。そうした背景をまったく考慮に入れない本書が影響力を持つ現状が憂慮されるという指摘もあった。 5. 本書と朴裕河『帝国の慰安婦』との共通性とその背景  前回取り上げた朴裕河『帝国の慰安婦』との共通性も多く指摘された。朴裕河を読んだ時と今議論している内容がかぶって見えてしまうという意見もあった。だが本書は、日本軍「慰安婦」問題についての右翼の種本であり、朴の本はリベラルに影響を与えている。本書で著者が書いているようなことを『帝国の慰安婦』で朴が言い方を変えて言っているに過ぎないにもかかわらず、リベラルが朴に同調している。これは、左派がひどい話ばかり言ってきたのではないかと、朴の本を待望するリベラルの右振れが起きているということであり、それ自体、深刻な問題だというコメントも出ていた。 (まとめ:斉藤正美)

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