2015年3月21日土曜日

朴裕河『帝国の慰安婦』読書会報告(2)

承前

3. 韓国版との異同  一部の参加者からは韓国語版との異同についても指摘があった。例えば韓国語版では「挺身隊」に関する記述を行う際に日本語版ウィキペディアに依拠していること、韓国版では日本の支援者について否定的な記述がなされているが、日本語版では変えられていることなどである。さらに、日本語版では弁明的とも思える加筆が多数あり、それが先に述べたような論旨のつかみにくさに拍車をかけている、という指摘もあった。 4. 「慰安婦」問題の解決に関する著者の主張について  本書は「日韓併合=合法」、「日韓条約で解決済み」という前提に立っているが、もしそういう前提に立つなら国民基金がなぜ必要だったか、さらなる「解決」がなぜいま必要なのかが、理解できなくなってしまうのではないか、との指摘もあった。本書を読んだ日本人がさらなる「謝罪」の必要性を感じるか、疑問である、とも。  また「慰安婦」問題を日韓の文脈に限定して扱うことにより、被害者を分断することになってはいないか、との批判もあった。韓国人元「慰安婦」と連帯したいという意思を示している他国の元「慰安婦」は現に存在しているのであり、彼女たちの「声」もまた無視してはならないはずである、と。  本書の主張の基底にある認識の一つが「日本に対し『法的責任』を問いたくても、その根拠となる『法』自体が存在しない」(319など)というものである。軍や政府の命令があるものについては「当時は合法だったから責任は問えない」とし、命令がないもの(強姦など)については「命令ではない」として、いずれにしても軍、政府は免責されてしまう議論の構造になっているという指摘があった。  また「植民地」という論点を重視しているはずなのに、「米軍慰安婦」など、植民地支配下で行われたわけではない他国(アメリカなど)の軍による性暴力の事例が引き合いに出されている。「帝国」概念もそれにともなって広義にもちいられている(296など)。これは「当時の朝鮮人は日本人だった」という点に朝鮮人「慰安婦」の特殊性を見出し、日本の植民地と占領地とを峻別しようとする本書の主張と矛盾するのではないのか? さらには「他国も似たようなことをしていたのに日本だけが責められている」という右派の主張を後押しすることにはならないだろうか、との意見も出た。  本書の主張のもう一つの特徴として、「業者」の責任を強調していることがある。しかし著者は韓国の「親日派」の責任追及には批判的だったのであり、主張が首尾一貫していないのではないか、という指摘もあった。 5. 先行研究の軽視と事実誤認  連行したのは業者だから日本の責任は問えない、という主張は先行研究や戦後補償裁判に照らして明らかに誤りである。重要な先行研究の幾つかが無視されており、その結果日本軍の責任が過小評価されることになってしまっている。これについては、今後当ブログにおいて具体的に指摘する予定である。  そのほか、事実誤認や資料の誤読に由来する誤った記述(日韓条約交渉過程で日本側が申し出た補償を韓国側が拒否したかのように記述している点、徴兵が国家総動員法で行われたとする記述、日韓会談がサンフランシスコ講和条約に基づいて行われたとする記述、など)も少なくないことが指摘された。 (以上、後半。まとめ:能川 元一)
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