(以下は『週刊金曜日』2014年7月4日号に掲載された「右派の『慰安婦』問題歪曲の卑劣」の元原稿を、同誌編集部の許可を得て転載したものです。雑誌掲載分とはタイトル、小見出し、その他一部の表現に違いがありますが論旨に変わりはありません。)
『産経新聞』(以下『産経』)が今年の四月から「歴史戦」と題して開始した連載は、旧日本軍「慰安婦」問題についての歴史修正主義の集大成とでも言うべきものとなっている。五月二一日掲載の「第2部 慰安婦問題の原点2」では、大学教育にも矛先が向けられた。広島大学の一般教養科目講義で、元「慰安婦」らの証言映像を用いたドキュメンタリー映画『終わらない戦争』(二〇〇八年、韓国)が上映されたことを、担当者の准教授が韓国籍であることをことさら指摘しつつとりあげたのだ。「草の根」保守による抗議を煽動して大学当局に圧力をかけ、教育現場で「慰安婦」問題をとりあげることを「自粛」させる狙いがあることは明白だ。いわゆる河野談話において日本政府が表明した「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意」を反古にしようとする右派の攻勢は着々と進んでいる。
先の記事は「朝日は慰安婦問題が注目されるようになった〔平成〕3年半ばからの1年間に、吉田を4回も紙面に登場させている」と、あたかも『朝日』が大キャンペーンを展開したかのように書き立てているが、朝日新聞社のインターネット・データベース「聞蔵IIビジュアル」で検索可能な一九八五年から今日までに「吉田清治 慰安婦」をキーワードとして検索したところ該当する記事はわずか一〇件にすぎない(ちなみに『産経』のデータベース「The Sankei Archives」では同様の条件で三八件が該当する)。そのうち氏の「証言」を詳しく紹介しているのは九一年の二つの記事であり、それ以外のものには氏の訪韓や講演活動を知らせるだけのものが含まれている。その程度のことであれば、例えば九二年八月一五日の『読売新聞』(以下『読売』)夕刊が、大阪で開かれた市民集会で吉田氏が「証言」したことを伝えている(読売新聞社のデータベース「ヨミダス」による)。そして九三年以降『朝日』が吉田氏の「証言」に依拠した記事を掲載したことはない。吉見義明・中央大学教授らの研究者も彼の「証言」を資料としては用いていない。九一年八月に元「慰安婦」の金学順さんが名乗り出たのを機に文字通り桁違いに増えた「慰安婦」報道のなかでは、吉田「証言」の重要性は極めて低い。
また『産経』の五月二一日付け記事は、いわゆる河野談話が吉田「証言」などの「強制連行説」を「下敷きに」作成されたとしているが、去る六月二〇日に発表された河野談話「作成過程」の検証報告書「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯〜河野談話作成からアジア女性基金まで〜」はこうした主張を否定している。報告書に吉田「証言」への言及はなく、むしろ「いわゆる『強制連行』は確認できないという認識」に日本政府が立っていたことが強調されているからである(このことは、当時すでに明らかになっていた「スマラン事件」についての裁判記録を日本政府が無視していたことを意味するが、ここではこの点には立ち入らない)。
例えば月刊誌『SAPIO』(小学館)の二〇一二年八月二二・二九日号に掲載された西岡力・東京基督教大学教授の「世界中にばら撒かれた『慰安婦問題』が捏造である『完全なる証拠』」は、金学順さんの名乗り出を伝えた『朝日』一九九一年八月一一日朝刊の記事のリードに見られる「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺身隊(ていしんたい)』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり」という記述について、「吉田証言に乗っかった悪意を持つ誤報だった」としている。だが「慰安婦=女子挺身隊」という認識は、日本軍「慰安所」制度についての歴史学者やジャーナリストによる調査が十分に行われていなかったこの時期に、漠然と持たれていた認識を反映しているにすぎない。その証拠に、『読売』も「女子挺身隊」と題する舞台公演を紹介した一九八七年八月一四日の記事で「従軍慰安婦」について「特に昭和十七年以降『女子挺身隊』の名のもとに、日韓併合で無理矢理日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた」としている(弁護士の小倉秀夫氏のご教示による)。
だが西岡・池田両氏も指摘するように、金学順さんが「キーセン」(注)であったことは日本政府を相手取った訴訟の訴状にも「一四歳からキーセン学校に三年間通った」として記載されており、提訴以降は誰もが知りうることであった。にもかかわらず、『産経』を含む全国紙五紙は金さんらの提訴を伝える九一年一二月六日夕刊の記事において、「キーセン」としての経歴にはまったく触れていないのである(『産経』のみ国立国会図書館収蔵のマイクロフィルム、他は縮刷版による)。
(注)厳密に言うならば、金学順さんは「妓生(キーセン)学校」に通ってはいたものの妓生(キーセン)として働いたことはない。右派メディアの記事の中にはこの点で事実誤認を犯しているものがみられる。しかしことさら「キーセンではなかった」と強調することは妓生(キーセン)への偏見を助長するおそれもあり、紙幅の都合もあってここでは「 」つきで「キーセン」としておいた。
各紙が「キーセン」としての経歴に触れなかったのは当然のことにすぎない。金学順さんの訴えは「そこへ行けば金儲けができる」と言われて連れていかれた日本軍「慰安所」での強制売春についてのものであって、「キーセン」であったことは無関係だからである。そしてこの当たり前のことを「捏造」だと攻撃するところに、「慰安婦」問題否認派の根深い女性差別が露呈しているのである。
そもそも否認派が執拗に“軍官憲による、人さらいのような強制連行の有無”にこだわるのは、彼らが「責任はひとえに彼女らを売春婦にした者にある」という認識をもっているからだ。軍慰安所に来た時にすでに「キーセン」だったのなら日本軍に責任はない、というわけだ。これは「売春婦」を「穢れた」存在と見なし、「売春婦」に対する人権侵害を軽視する意識を反映している。東京都議会での女性蔑視ヤジ問題に関して、被害者たる塩村文夏都議に「グラビアアイドル」としての過去があったことを言い立てる動きがあったことにも通じている。問われているのは日本社会の「いま」なのだ。
「吉田清治」記事への攻撃
この日の記事でも槍玉に挙げられた固有名詞が二つある。「吉田清治」と「朝日新聞」だ。吉田氏(二〇〇〇年没)はアジア太平洋戦争中に朝鮮半島で「慰安婦狩り」を行ったと「告白」したものの、後にその証言の信憑性が疑問視されるようになった人物である。『産経』に代表される「慰安婦」問題否認勢力によれば、「慰安婦」問題とは『朝日新聞』(以下『朝日』)が吉田「証言」などを利用して“捏造”したものなのだ、とされている。先の記事は「朝日は慰安婦問題が注目されるようになった〔平成〕3年半ばからの1年間に、吉田を4回も紙面に登場させている」と、あたかも『朝日』が大キャンペーンを展開したかのように書き立てているが、朝日新聞社のインターネット・データベース「聞蔵IIビジュアル」で検索可能な一九八五年から今日までに「吉田清治 慰安婦」をキーワードとして検索したところ該当する記事はわずか一〇件にすぎない(ちなみに『産経』のデータベース「The Sankei Archives」では同様の条件で三八件が該当する)。そのうち氏の「証言」を詳しく紹介しているのは九一年の二つの記事であり、それ以外のものには氏の訪韓や講演活動を知らせるだけのものが含まれている。その程度のことであれば、例えば九二年八月一五日の『読売新聞』(以下『読売』)夕刊が、大阪で開かれた市民集会で吉田氏が「証言」したことを伝えている(読売新聞社のデータベース「ヨミダス」による)。そして九三年以降『朝日』が吉田氏の「証言」に依拠した記事を掲載したことはない。吉見義明・中央大学教授らの研究者も彼の「証言」を資料としては用いていない。九一年八月に元「慰安婦」の金学順さんが名乗り出たのを機に文字通り桁違いに増えた「慰安婦」報道のなかでは、吉田「証言」の重要性は極めて低い。
また『産経』の五月二一日付け記事は、いわゆる河野談話が吉田「証言」などの「強制連行説」を「下敷きに」作成されたとしているが、去る六月二〇日に発表された河野談話「作成過程」の検証報告書「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯〜河野談話作成からアジア女性基金まで〜」はこうした主張を否定している。報告書に吉田「証言」への言及はなく、むしろ「いわゆる『強制連行』は確認できないという認識」に日本政府が立っていたことが強調されているからである(このことは、当時すでに明らかになっていた「スマラン事件」についての裁判記録を日本政府が無視していたことを意味するが、ここではこの点には立ち入らない)。
91年8月11日付記事への攻撃
とりわけ重要なのは、「慰安婦」問題の歴史の節目となった報道、すなわち金学順さんのカミングアウトと提訴、吉見義明・中央大学教授による軍関与を示す資料の発見を伝える記事において、『朝日』が吉田「証言」に一切言及していない点である。これらの報道は新たに明らかになった事実に基づいて行われており、吉田「証言」を根拠とはしていないのだ。しかし、これらの報道もまた右派からの攻撃対象となっている。例えば月刊誌『SAPIO』(小学館)の二〇一二年八月二二・二九日号に掲載された西岡力・東京基督教大学教授の「世界中にばら撒かれた『慰安婦問題』が捏造である『完全なる証拠』」は、金学順さんの名乗り出を伝えた『朝日』一九九一年八月一一日朝刊の記事のリードに見られる「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺身隊(ていしんたい)』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり」という記述について、「吉田証言に乗っかった悪意を持つ誤報だった」としている。だが「慰安婦=女子挺身隊」という認識は、日本軍「慰安所」制度についての歴史学者やジャーナリストによる調査が十分に行われていなかったこの時期に、漠然と持たれていた認識を反映しているにすぎない。その証拠に、『読売』も「女子挺身隊」と題する舞台公演を紹介した一九八七年八月一四日の記事で「従軍慰安婦」について「特に昭和十七年以降『女子挺身隊』の名のもとに、日韓併合で無理矢理日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた」としている(弁護士の小倉秀夫氏のご教示による)。
植村隆・元記者へのバッシングの背後にある女性差別
さらに右派は、金学順さんが「キーセン」であったことを『朝日』が報じなかったことも非難している。インターネットのオピニオンサイト「アゴラ」を運営する株式会社アゴラ研究所の代表取締役である池田信夫氏は、西岡氏の主張を踏まえて、これが「訴訟を有利にするため」の意図的な「捏造」だとまで主張している(「アゴラ」、一二年八月八日付け「慰安婦について調査委員会を設置せよ」 )。だが西岡・池田両氏も指摘するように、金学順さんが「キーセン」(注)であったことは日本政府を相手取った訴訟の訴状にも「一四歳からキーセン学校に三年間通った」として記載されており、提訴以降は誰もが知りうることであった。にもかかわらず、『産経』を含む全国紙五紙は金さんらの提訴を伝える九一年一二月六日夕刊の記事において、「キーセン」としての経歴にはまったく触れていないのである(『産経』のみ国立国会図書館収蔵のマイクロフィルム、他は縮刷版による)。
(注)厳密に言うならば、金学順さんは「妓生(キーセン)学校」に通ってはいたものの妓生(キーセン)として働いたことはない。右派メディアの記事の中にはこの点で事実誤認を犯しているものがみられる。しかしことさら「キーセンではなかった」と強調することは妓生(キーセン)への偏見を助長するおそれもあり、紙幅の都合もあってここでは「 」つきで「キーセン」としておいた。
各紙が「キーセン」としての経歴に触れなかったのは当然のことにすぎない。金学順さんの訴えは「そこへ行けば金儲けができる」と言われて連れていかれた日本軍「慰安所」での強制売春についてのものであって、「キーセン」であったことは無関係だからである。そしてこの当たり前のことを「捏造」だと攻撃するところに、「慰安婦」問題否認派の根深い女性差別が露呈しているのである。
そもそも否認派が執拗に“軍官憲による、人さらいのような強制連行の有無”にこだわるのは、彼らが「責任はひとえに彼女らを売春婦にした者にある」という認識をもっているからだ。軍慰安所に来た時にすでに「キーセン」だったのなら日本軍に責任はない、というわけだ。これは「売春婦」を「穢れた」存在と見なし、「売春婦」に対する人権侵害を軽視する意識を反映している。東京都議会での女性蔑視ヤジ問題に関して、被害者たる塩村文夏都議に「グラビアアイドル」としての過去があったことを言い立てる動きがあったことにも通じている。問われているのは日本社会の「いま」なのだ。