2015年12月31日木曜日

日韓外相会談に関する、右派の声明・反応など

2015年12月28日に行われた、日韓外相会談に関する、日本の右派団体や言論人の声明、反応などを以下にリストします。(随時更新予定)

2015年12月30日水曜日

日韓外相会談に関する、元日本軍「慰安婦」支援団体による声明など

以下、2015年12月28日に行われた、日韓外相会談に関して、韓国、日本などの元日本軍慰安婦」支援団体、人権団体などによる声明を紹介します。(随時更新していきます。)
  • 挺身隊問題対策協議会 声明「日本軍「慰安婦」問題解決のための日韓外相会談合意に対する挺対協の立場(2015.12.28)
  • アムネスティ・韓国支部 緊急論評「両国政府の「慰安婦」の合意、サバイバーたちの正義を否定してはならない」(2015.12.28)
    日本語訳:第2次世界大戦当時、日本軍性奴隷制に関する韓国政府と日本政府の合意について、庄司洋加アムネスティインターナショナル東アジア調査官は、次のように明らかにした。

    「今日の合意に日本軍性奴隷制のために苦しんだ数万人の女性の正義実現に終止符を打ってはならない。ハルモニたちは交渉のテーブルから排除された。両国政府の今回の交渉は正義回復ではなく、責任を免れるための政治的取引であった。生存者の要求が、今回の交渉で安売りされてはならない。
    性奴隷制の生存者たちが、彼らに強行された犯罪について、日本政府から完全かつ全面的謝罪を受け取るまで正義回復に向けた戦いは続くだろう。」
  • 「ナヌムの家」安信権所長のコメント:「被害当事者が同意していない合意は話にならない」とした上で、「法的に違憲の可能性もあり、国際社会で認められないと思われる」(朝鮮日報12月29日)、「被害者を除外した韓日両政府の拙速な野合だ」(共同通信12月28日)
  • 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動 声明「被害者不在の「妥結」は「解決」ではない」(2015.12.29)
  • 日本軍「慰安婦」問題に関する日韓外相会談に対する弁護士有志の声明(「前田朗Blog」に掲載されたもの)(2015.12.29)


  • 台湾・馬英九総統のコメント:「(台湾)政府の立場は一貫して日本政府に慰安婦への謝罪と賠償を求め、女性たちの尊厳を取り戻すことにある」(毎日新聞、12月29日)/林永楽外交部長のコメント:「正式な謝罪と賠償を求める立場は一貫している」「日本側が交渉と協議を行うよう強く求める」(産経新聞12月29日)





「上野千鶴子の「慰安婦」論——日本フェミニストによる相対主義の暴力」を受けての議論

  2015年11月30日に当会が開催した読書会では、李杏理氏(近現代史)による報告「上野千鶴子の「慰安婦」論——日本フェミニストによる相対主義の暴力」に続いて参加者による意見交換が行われた。主な議論を紹介する(以下、敬称略)。

1. 韓国のナショナリズム・運動批判について

  • 韓国でも上野千鶴子が朴裕河受け入れの土壌を作った?
李杏理が上野千鶴子による「慰安婦」論の特徴と朴裕河『帝国の慰安婦』に共通する点を挙げたのを受けて両者の関係に関する議論が行われた。韓国では、上野千鶴子の『ナショナリズムとジェンダー』が、日本で新版が出た2012年からそう間をおかない2014年に韓国語にも訳され、刊行されている。上野の著作にはナショナリズム批判が入っているから韓国でも日本でもフェミニストに受け入れられる要素があり、それがある種、朴裕河をも受け入れる土壌になっているのではないか、という問題提起がなされた。ナショナリズム(民族主義)の男性中心の言説によってフェミニストは苦しめられてきたことがあり、ナショナリズム批判という点では、フェミニストは共有できることがあるからとも指摘された。  だが、初期の段階では挺対協についても批判されるべき言説があったことも事実であるとはいえ、90年代の挺対協についてまで、上野が山下英愛の主張のみに依拠して、挺対協のナショナリズム批判をすることには疑問もある、という意見も出された。
  • 「加害国民」の視点を欠落させた韓国の運動批判
「キーセン観光」についても、『ナショナリズムとジェンダー』(旧版:pp.103-104)において、植民地責任が果たされていない段階で、しかも、日本人男性が買春観光に来るということが、被害者や被害者支援運動には「慰安婦」時代の記憶と重なって見える、という韓国と日本相互の背景を上野は捨象しているのではないかという意見も述べられた。  当時、韓国の女性運動がキーセン観光をどのように批判したかというと、「現代版挺身隊」と呼んだのであり、それは「慰安婦」の記憶が残る韓国独自の視点であった。当時は、日本人観光客の9割が日本人男性であり、日本人は団体のツアーで来るなど組織的でもある。そうした「慰安婦」問題と共通する「性の侵略」の問題とみなされていたのである。だが、上野は、そうしたキーセン観光への韓国での批判のまなざしの時代的文脈を無視して、他国と比較などと言っているのではないかと指摘された。
  さらに、上野は、実際に、民衆法廷(女性国際戦犯法廷)
などで「慰安婦」被害者の支援や「慰安婦」問題を広く社会に問う運動を牽引した松井やよりを評価せずに、単に1970年代のウーマン・リブ運動の中で「慰安婦」について早く語ったリブ運動や田中美津を評価しており、女性運動の評価という点で見るなら疑問がある、という意見も出された。
  • フェミニズム運動の歴史を捨象している
上野の著作では、「フェミニズムはナショナリズムを超えられるか」(旧:pp.194〜199)という問題設定を出しているにもかかわらず、ナショナリズムを超えたフェミニズムの運動を評価しようとしていないのではないかという意見も出た。高橋哲哉が『ナショナリズムと「慰安婦」問題』において、「アジアでもドイツでも性暴力の問題に取り組む女性たちの1970〜1980年代の活動」があったこと、そうした「『反性暴力』の国際ネットワーク」の活動が広く行われていたことが、1990年代に入り元「慰安婦」のカミングアウトを生む土壌となったことを評価している。一方上野は、そうした国際的なフェミニズム運動の連帯の歴史を捨象したまま、「フェミニズムはナショナリズムを超えられるか」という議論を韓国だけを議題にして行い、結論として「超えられない」とまとめているのは、フェミニズムの著作として疑問であるという指摘であった。
2. 議論の方法について
  • 主張が一貫しない
  上野千鶴子の『ナショナリズムとジェンダー』の議論を読み直して、かつてはこんなこと言っていたのに、今は(相反する)朴裕河を擁護していると思う部分がある。例えば、第二部「『従軍慰安婦』問題をめぐって」の「8.『対日協力』の闇」というところ(旧版:pp.132-134)では、「強制徴用が「日帝協力」なら、「慰安婦」も同じ論理で扱われる可能性があるだろうか」、「「慰安婦」犯罪の加害責任を問う動きは、犯罪者の訴追を要求しているが、それは韓国内の対日協力問題を暴くことで、いっそうの反日ナショナリズムを強める方向に動くのだろうか」と書いていたのに、現在は「「慰安婦」と同志的関係にある」という朴裕河の主張を支持している。この点は、かつての考えとは全く異なる主張へと変わっている、という意見も出た。  「「対日協力」という闇」(旧版: p.32〜)については、「「対日協力」という闇」が暴かれていないように述べているが、実際に真相究明などたくさん行われており、「闇」は暴かれており、また暴くことを抑圧していないにもかかわらず、上野はそうした事実を書かないで、「反日ナショナリズム」という、文脈から外れた議題設定を持ち出しているのは、非常に疑問が大きいという指摘が出された。  また、最近になって上野は、国民基金を批判してきたと言っている点でも、主張の軸がどんどん変わっていく印象があり、議論の軸が変わっていくため、反論もしづらいという意見も出た。
  • 文脈から浮き上がった議論
  上野は、問題を文脈から浮き出たように示し、多くの人をわかった気にさせる書き方をする傾向があり、その書き方が問題だと思うという指摘がなされた。しかし、真面目な研究者のものは、マスコミもあまり喜ばない現実がある一方、上野のような文脈から浮き出た(遊離している)ような書き方をする方がマスコミも喜び、どんどん読者も増えていくという面があるのではないかということも議論された。
 『ナショナリズムとジェンダー』も、「慰安婦」問題の文脈から離れており、浮き上がっているゆえに広く読まれた面があるのではないか、という問題提起もなされる一方、「言語論的転回」といった最新の学術用語を振りかけてもっともらしい言論に見せかけている面も指摘された。ただ、こうした文脈から浮き上がった議論については、批判は容易ではなく、かつ、丁寧な議論を要することもあり、なかなか多くの人には伝わっていきづらいのが課題であるという点についても、議論が行われた。
3. 相対主義・脱ナショナリズムにもとづく「慰安婦」論への批判の必要性
  最近、「慰安婦」問題が政治問題化している中、日本では、上野が依然影響力を持ち続けており、女性史研究などで、かつては共有されていた上野への批判が見えなくなっているという指摘も出された。最近、新たに多く刊行されている「慰安婦」関連本をみると、上野と同様に、(文脈を踏まえない)議論をする論者が出始めていることも話題になった。
  一方、韓国では、これまであまり注目されず、読まれてもいなかった朴裕河が読まれ始めているという指摘も出た。韓国語版では、日本語版で日本人のために入っている「言い訳」的な補足がない分、読みやすいということもあり、新鮮な視点として読まれているのではないかという主張もされた。とりわけ今年になって、起訴されたりして注目を集めているので、朴裕河への批判も重要だという意見も出た。
  娼婦差別、セックスワーカーに関する議論がやりづらい、やってこなかったことの弊害が出ているのではないかという意見も出された。  そもそも、韓国では、セオウル号、国定教科書etcと次々と大きな問題が起こり、「慰安婦」問題には、一般論で言えば、近年はそう大きな関心が寄せられて来なかったという指摘もなされ、それについての議論も行われた。
  結論として、上野千鶴子や朴裕河のような、相対主義・脱ナショナリズムにもとづく「慰安婦」論への批判は、丁寧に行っていく必要があるという認識が共有された。
 (まとめ:斉藤正美)

2015年12月14日月曜日

日本フェミニストによる相対主義の暴力

2015年11月30日、当会では上野千鶴子氏による「慰安婦」論について李杏理が報告した(「日本フェミニストによる相対主義の暴力」)。
 「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」(2015年11月26日)には、上野千鶴子、加納実紀代、加藤千香子、千田有紀、竹内栄美子ら(敬称略;以下同様)フェミニストも賛同人に名を連ねている。  この声明で言及されている朴裕河『帝国の慰安婦』の問題点は、すでに当会で議論してきた。  とくに上野千鶴子は、以前から朴裕河『和解のために』(平凡社、2006年)あとがきや新聞での評論を通じて朴裕河の議論を積極的に評価してきた。  なぜ、日本人フェミニストが朴裕河を擁護するのか。フェミニストによる相対主義・脱ナショナリズムにもとづく「慰安婦」論の陥穽を論じたい。  上野千鶴子による「慰安婦」論の特徴は次の3点に要約できる。それは、朴裕河『帝国の慰安婦』に共通する特徴である。
 ①「慰安婦」の存在は単一ではなく多様である(「文書史料中心主義」批判、「モデル被害者像」批判および「慰安婦=非公娼」論批判)  ②ナショナリズムを内包する思想と運動も、「慰安婦」問題の解決を阻んできた(挺対協や尹貞玉批判。家父長制パラダイムの特権化。国家責任論批判)  ③「慰安婦」問題は、日本だけの問題ではない(旧帝国間の共通性。基地村・朝鮮戦争下の「慰安婦」。国際法・国連勧告の軽視)
 ①について、上野は強制性をめぐる論争において「文書史料の不在を問題にするべきだ」と吉見義明を批判した。それに対し吉見は、上野が強制性や日本軍の「関与」を示す史料がないとしていることがそもそも誤りであると反論している(『ナショナリズムと「慰安婦」問題』、日本の戦争責任資料センター、2003年)。  また上野は、『ナショナリズムとジェンダー』(岩波書店、2012年新版)のなかで、ジェンダー・ヒストリーが打ち出した方法論を呈示し、歴史の「視角」こそが重要であるとする。だが、その立場に立つならば男性中心主義または官僚主義的な「視角」こそが問われるべきではないか。吉見が公文書を使っていることをもってジェンダー史に反しているとするのは形式主義であり、内容を問うていない。  そして「モデル被害者」像については、「売春パラダイムとの対抗を強調するあまり……「連行時に処女であり、完全にだまされもしくは暴力でもって拉致され、逃亡や自殺を図ったが阻止された」という「無垢な被害者」像を聞き手の側が作りあげているとする。「女性に純潔を要求する家父長制パラダイムの、それと予期せぬ共犯者になりかねない」と批判している(同上著)。これは、朴裕河も『帝国の慰安婦』で「私たちが望む慰安婦」の姿に過ぎない」とした。  しかし、金富子が指摘しているように朝鮮人「慰安婦」に未成年や「処女」が多かったのは事実であり(金富子「「植民地の慰安婦」こそが実態」文化センター・アリラン連続講座第6回、2015年10月17日レジュメ)、「少女」の被害者像は事実を反映している。また、支援団体はたとえ連行時に成年だったとしても、もと「売春女性」であっても被害者を受け入れてきたし、誰であれ「詐欺・暴行・脅迫・権力濫用、その他一切の強制手段によって」(婦女売買に関する国際条約)性行為を強要されてはならないことも指摘してきた。  さらに、上野は「慰安婦」を「軍隊性奴隷制」と捉えることについて、「「売春」パラダイムとの対抗を強調するあまり、被害者の「任意性」を極力否定しなければならない」。「ここでは「軍隊性奴隷」パラダイムは、韓国の反日ナショナリズムのために動員されている」(同上著)と述べる。  小野沢あかねや吉見義明も指摘しているように、公娼制度は事実上の性奴隷制度であったが、日本軍「慰安婦」制度には公娼制にあったような名目的な「廃業の自由」すらなかった。さらに、婦女売買に関する国際条約において、21歳未満を徴集してはならないとされたが、それが植民地女性には適用されなかったのだ。  なお、挺対協が戦争犯罪としての責任を日本政府が回避したことを批判する文脈において、公娼制度と軍「慰安婦」の違いを強調したことがあったが、それをもって日本人「慰安婦」が「自由意思」だったと認識「しかねない」とするのは論理飛躍である(山下英愛の議論を上野が引用)。  上野や朴の議論は、植民地女性が法の外に置かれていたことへの再審の必要性と犯罪性を問うてきた争点をぼかす役割を果たしている。  ②について、上野は『和解のために』あとがきで、「「国家による公式謝罪と補償」を唯一の解として、国家対国家、民族対民族の対立の構図がつくられたのは、一部は韓国内の女性団体のナショナリズムにも原因がある」とする。「国家による公式謝罪と補償」を「唯一の解」と極端に表現して否定し、争点をぼかすことで日本国がなした組織犯罪への処罰を困難にする。  また、韓国の「慰安婦」研究者である尹貞玉が、松井やよりを「民族に対する理解が足りない」と述べたことについて、「日本のフェミニストはそれぞれの思いと論理……を韓国のフェミニストと完全に共有することは可能でもないし、必要でもない」とする。  植民地女性が法外な被害を受けたことからもわかるように、日本軍「慰安婦」は民族とジェンダー両方にまつわる問題である。そこで尹が問うた「民族」とは何かという考察もなく、切り捨ててしまった。日本の主権者が日本のあり方について具体的に問われている関係性において線を引き、「相手がなぜそう言うのか」を思考することをやめてしまったのである。  なにより『和解のために』は、「慰安婦」の強制性を矮小化し、補償や謝罪は済んでいるかのように自民党・日本政府の見解を代弁して(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義:歴史修正主義的な和解への抵抗」、『継続する植民地主義とジェンダー』、世織書房、2011年)、国家主導の「和解」を演出している。そして実際に、外交筋や保守論壇においても称賛を受けている(和喜多祐一「今後の日韓関係と歴史認識問題:歴史認識の壁はなぜ生ずるのか」『立法と調査』337号、2013年2月;久保田るり子「朴裕河氏の『和解のために』再読」『外交』外務省23号、2014年1月)。  朴裕河の議論は多くの事実誤認を含んでいるにもかかわらずそれを評価し、和解劇を補強した上野の責任が問われている。  ③について、高橋哲哉が「日本人」として「責任をとる」といったことについて、「帝国主義国家の「原罪」」と名指し、他国と比較することを説く。「例えばキーセン観光についても、アメリカ人やドイツ人の客もいたのに他の国籍の男にも同じよう批判を向けられただろうかと考える。従軍慰安婦運動の中にある韓国ナショナリズムの問題と、それに対する批判を封じて神聖不可侵にしていった日本の運動を見て、これでいいんだろうかという気持ちはありました」(上野千鶴子・加納美紀代「フェミニズムと暴力」、『リブという〈革命〉』、インパクト出版、2003年)。  ここでは、帝国諸国それぞれの罪を問うというよりも、「日本のみが悪い訳ではない」とする相対主義に陥っている。告発する側の「ナショナリズム」に問題があるということによってあたかも自らは普遍の側に、被害者の属する国は特殊の側に置く。  「日本人のフェミニストが日本国の構成員であるところの責任主体として、この「慰安婦」問題という具体的課題にいかに取り組み、それを思想的課題として、実践的課題として、いかに超えていくか」(金富子)という問いが等閑視されているのだ。  日本女性の戦争責任を問う「反省的女性史」について「絶対的な視点」や「戦後的な視点」と言って切り捨て、自らはただなに国民でもない無色透明な「女」であろうとすることは、国民主義の特権にあずかる自らの現実をも見えなくすることだ。 まとめ  日本リベラルにおける「慰安婦」論・朴裕河評価とそこからみる思想の頽廃とは、ナショナリズム批判という衣をかぶって告発者に責任をなすりつけ、日本の戦争犯罪をどう裁くかという問いをぼかすことにある。性被害という傷を世にさらけ出した「慰安婦」サバイバーの告発をうけて、真に過去の克服のためにつなげようとする運動がなされ、社会的な関心が芽生えた。その萌芽を上野千鶴子らはそれらしい言説に押し込めてしおれさせ、人びとに「慰安婦」当事者の声を聞けなくさせてしまった。そして「国家を超える女」といった普遍的な言説や相対主義によって日本の侵略責任・植民地支配責任を問わなくてすむような閾値の設定と現状追認がなされている。右派の否定論のみならず、リベラルによる被害の相対化によって「慰安婦」サバイバーはさらに葬られようとしているのだ。 (李杏理)

2015年9月11日金曜日

戦後70年「安倍談話」に関する韓国メディア等の反応

 9月1日に行われた「『慰安婦』問題をめぐる報道を再検証する会」における康昌宗の報告概要は以下の通り。

1. 韓国政府の論評戦後70周年安倍首相談話に対する韓国外交部代理人の論評(8月15日)(※ハングル)
 『昨日安倍首相が発表した前後70周年談話は、今の日本政府が植民地支配と侵略の過去をどのような歴史観で見ているかを、国際社会に如実にさらされるきっかけとなりました。

それにもかかわらず、政府は安倍首相が今回の談話で歴代内閣の歴史認識が今後も揺るぎないと明らかにした点について注目し、果たして日本政府がこのような立場をどのように具体的な行動に実践していくかを見守ることにします。これと関連し、日本政府が日本軍慰安婦被害者の問題など韓日間における過去の歴史懸案の早期解決のために、より積極的に乗り出すことを促します。


(韓国)政府は歴史問題については、原則に基づいて明確に対応するが、北朝鮮の核・経済・社会・文化など互恵的分野での協力と北東アジアでの平和と繁栄のための域内協力は継続的に強化していく基調を堅持してしていきます。また政府は、日本政府が隣国として正しい歴史認識を土台に新しい未来に進む旅に参加することを期待します。』


 談話発表の日でなく、翌日に外交部代理人による非常に抑制的な評価。

2. 韓国挺対協の論評 ・【挺対協声明】安倍談話に対する立場(8月14日)  「36年の不法統治で苦痛を受けた韓国に対する植民地支配の責任も取り上げなかった」、「戦後50年と60年に出された談話を踏襲くらいはするという期待まで水泡に帰した。 何を反省しているのかすら分からない中身のない反省文・自己陶酔的修辞に過ぎない」、「日本の過去の歴史を清算し戦犯国の責任を果たし平和に貢献はできなくても、どうか妨害だけはしないでほしい。」と、安倍政権への微かな期待も捨てたと宣言したように思える。
 「巧妙な言葉遊びで一貫した安倍談話でまたもしてやられた韓国政府も、日韓関係改善に汲々とし再び自らの役割を担えない無能な政府に転落してはならない」と、韓国政府の今後の妥協の可能性に釘をさす。


 3. ハンギョレ新聞 ・[社説]敗戦70年の安倍談話、最悪は避けたものの (8月15日) ・安倍談話、植民地支配への具体的な謝罪なし(8月14日)
 ハンギョレ新聞社説の『形式的には私たちの要求を受け入れた面もあるだけに、今後それをどのように実質的な内容として引き出すのかというのが我が国政府の課題といえる。』との記述は、談話をめぐる情勢認識として甘いと思える。
 ハンギョレ日本語版責任者のキル・ユンヒョン特派員は、本国の論説委員たちより日本政府の思惑をより深く掴み、より厳しい評価をしている。
4. Oh my news (インターネット新聞)安倍談話の鳥肌が立つ一文 (8月15日)  「安倍談話」をキーワードにした検索で上位に位置し、SNSを中心にいまだに拡散されている。
 韓国で記録的なベストセラーだったマイケル・サンデルの「正義とは何か」を基にして、非常に難易度の高い記事にも関わらず、多くの人に読まれている。
 普遍的な「正義」を考えることを好む韓国人に合っているように思える。
5. 朝鮮日報 ・【社説】巧妙に植民地支配への謝罪を避けた安倍談話(8月15日)  他人の口を借りて反省・謝罪しているような印象を与える。  反省・謝罪する対象は、ほとんどが中国・米国に対して行った満州侵略と第2次大戦に関するもの。  植民地の圧政の中、数多くの人間が拷問で命を落とし、数十万人が強制徴用・強制移住の苦痛を味わった韓国に対しては、一言の言及もなかった。  談話一つを理由に日本との関係で全てを断つ、というのは賢明な選択ではない。  談話に現れた安倍首相とその内閣の属性を記憶しつつ、間違った歴史認識に立ち向かう国際協調をさらに強化する必要がある。
6.  中央日報 ・【社説】光復・分断70年…過去を踏まえて未来に進もう(8月15日)
 誰が誰に何のためにする謝罪なのかをあいまい  朴槿恵政権は慰安婦問題が解決されるまでは日本と首脳会談をしないとあらかじめ線を引き、自らを束縛する愚を犯した。
7. 東亜日報[シム・ギュソンコラム]安倍談話の限界、朴大統領の切除
(8月17日)(※ハングル) 「9月に中国戦勝式典出席、10月米国訪問などを経て、11月ごろには議長国として日中韓首脳会談を必ず開催し、日韓関係を正常化させる突破口を用意しなければならない。世論も力を合わせなければならない。日韓問題はいつも敏感である。だから国益と世論が衝突すると、世論に乗る大統領が多かった。しかし、大統領は国民と他の選択をしなければなら時もある。 『最も反日的だった』大統領がなぜ和解を模索するか、忍耐を持って見守る必要がある。」
8. 左派と右派の新聞社説比較[社説比較]ハンギョレ・中央日報、「安倍談話」の社説比較を見る  中央は、朴槿恵政府が「慰安婦問題が解決されるまでは、日本との首脳会談をしない」と事前に線を引くことで、国益のために外交的柔軟性を発揮できる余地をなくして、日本がどのような立場を表明したかによって政府の立場が決定される、受動的立場なってしまったという。
 ハンギョレは、日本に振り回されないようにするには、外交当局がさらに徹底した論理と粘り強い姿勢で臨まなければならないと注文している。
※韓国の新聞社の発行部数について
・主な新聞社の2013年度販売部数 朝鮮日報 129万部、中央日報 81万部、東亜日報 70万部、ハンギョレ20万部、京郷新聞 17万部
 ・朝中東(朝鮮日報、中央日報、東亜日報)の有料部数は「ヒタヒタ」、10年間で半減(ハングル)
 3社合わせて281万部、2002年比200万部減少...集計信頼性の疑問、実際にはより減っている?
 ハンギョレのある支局長は、「朝中東の場合、3日前にABC協会から訪問を伝えると、本社電算チームが降りてきて実績が良い他の支局の読者管理プログラムを開ける場合もある。 ABC協会の調査はでたらめだ」と主張した。ABC協会は、四半期ごとに、新聞社から部数結果の報告を受け、30カ所の標本支局を現場調査した後、現場調査の結果や新聞、使用者側の結果の信頼度(ギャップ)を勘案し部数を測定する。 ABC協会は、劣悪な労働力とサポートの欠如に現場調査の困難に直面している。
昨年日刊紙上位20社の発行部数、前年比44万5千部の減少...「新聞の危機」(ハングル)
 
9. 韓国元外務官僚の論評 ・[ハフィントンポスト]安倍首相の「戦後70年談話」に潜む「植民地」への優越感(8月21日)
 安倍首相の「戦後70年談話」に潜む「植民地」への優越感」』(原文)は、金泳三政権の外務省職員だった趙世暎(チョ・セヨン)教授。その提言は、保守と革新の官僚への影響力が大きいと考えられる。
 「反省と謝罪を要求する」という表現を用いるよりも「最低限、日韓関係の『4大重要文書』の内容を一貫して堅持する」ことを要求する形が望ましい。韓国の要求はさらなる謝罪ではなく、すでになされた謝罪に反する言動を控えることだと明らかにすべきだ。4大重要文書とは、河野談話、村山談話、日韓パートナーシップ共同宣言、菅談話のことだ。
10. 日経ビジネスオンライン韓国メディアは安倍談話を批判:「日本政府の歴史認識は大幅に後退」(8月17日)  韓国人ジャーナリストによる韓国メディアの反応のまとめ。
11. 言論NPO日中韓3カ国、有識者調査結果 ~日中韓の有識者は「安倍談話」をどう見たか~(8月25日)

【設問】「安倍談話」を評価するか
【回答】
調査対象 評価する(*1) 評価しない(*2)
日本 45.6% 41.7%
中国 21.4% 56.9%
韓国 5.7% 83.1%
【設問】「安倍談話」が、日本のアジアに対する侵略戦争について反省している内容になっているか
【回答】
調査対象 感じた(*3) 感じなかった(*4)
中国 20.8% 64.7%
韓国 2.5% 88.7%
*1〜*4 「どちらかといえば」を含む
 安倍談話は、中国と米国の間で揺れ動く韓国政府の弱い立場を利用して、歴代内閣で進めてきた植民地支配に関する歴史認識を後退させて、1930年代以前の日本の史実を歪曲化させた。
 韓国と中国との離反にある程度成功していると言えるのではないか。
 安倍政権は、韓国を孤立化させても、韓国政府が最終的には米国と日本の圧力に負けて、日本と妥協すると考えているのではないだろうか。

12. 日韓世論調査(東京新聞)70年談話「評価しない」 韓国で79% 「首脳会談必要」は54%(8月20日)
 「安倍晋三首相が十四日に発表した戦後七十年談話に対し、日本では評価する人が39%で、評価しない人を上回ったが、韓国では評価しない人が79%に上り、認識の差が鮮明になった。」
  東京新聞編集委員・五味洋治氏の「韓国側でも、日本が一定の反省と謝罪をしていることを認める人がわずかだが増え、相互理解の兆しが見えた」との記述は、勝手な憶測としか言えない。

(文責:康 昌宗)

2015年9月6日日曜日

戦後70年「安倍談話」に関する欧米メディアの報道について

 9月1日に行われた「『慰安婦』問題をめぐる報道を再検証する会」における能川元一の報告の概要は以下の通り。 1. The New York Times ・ “Shinzo Abe Echoes Japan’s Past WWII Apologies but Adds None of His Own”, by Jonathan SOBLE, AUG. 14
安倍談話が「キーワード」をとりこむ一方で総理自身の新たな謝罪を含んでいなかったこと、代わりに「あの戦争には何ら関わりのない」世代に「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならないと加えたことを指摘。西洋の植民地主義への言及は日本の行為をよりマシなものと見せる意図があったように見える、とも。 ・ “Abe’s Avoidance of the Past”, by Howard W. FRENCH, Aug. 18, op-ed.
安倍談話は戦争の動機と日本軍の蛮行についてごまかしており、先行する謝罪を引用しただけ、と指摘。翌15日の明仁の式辞と対比し、村山元首相の批判を引用。2013年の靖国参拝や安保法制、岸信介の経歴などの背景を解説。中国・韓国側の要因も指摘しつつ、和解を進める義務が日本にはあり、和解への最短の途は否認と自己正当化をやめることだと指摘。 2. The Washington Post ・“Mr. Abe’s peace offering on Japan’s past”, by Editorial Board, Aug.14
安倍談話は日本が「繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」してきたとしているが、安倍自身は繰り返さなかったとしつつ、当初危惧されていたほどナショナリスティックではなかったと評価。
・“With WWII statement, Japan’s Abe tried to offer something for everyone”, By Anna Fifield, Aug. 14
安倍談話はアジア諸国に対して「隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み」と述べ、アメリカなどの連合国には「恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられた」ことへの謝意を述べる一方、日本の右派に向けては(解釈改憲による集団的自衛権行使の解禁によって)歴史を背景化しようとしたと指摘。「皆を喜ばせようとして誰も喜ばない談話になった」、というジェラルド・カーティスのコメントを引用。「二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去」の受動態の構文が責任を回避しているとも指摘。 3. The Times ・ 原文は参照できなかったため、時事通信の報道を紹介した。
「戦争の罪と向き合わず」=70年談話で英紙社説
 【ロンドン時事】15日付の英紙タイムズは第2次大戦終結70年に関し社説を掲載した。14日の安倍晋三首相の戦後70年談話などについて、「恥ずべきほどなまでに、(戦争中の)日本の罪ときちんと向き合わなかった」と論評した。 社説は「原爆忌や終戦記念日で、日本は戦争の加害者というより、被害者であるという神話を維持している」と指摘。この「神話」が克服されなければ、周辺諸国との関係や日本の外交をゆがめると警告した。 一方、連合軍は「野蛮な体制」が勝利した場合にもたらされる恐ろしい結果を防ぐため戦ったと主張した。(2015/08/15-21:20)
4. The Guardian ・ “Japanese PM Shinzo Abe stops short of new apology in war anniversary speech”, by Justin McCurry, Fri. 14 August
将来世代に「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならない、とした点を強調し、中国や韓国を怒らせるリスクをおかした、と指摘。日本軍「慰安婦」問題については「日本軍当局が女性たちを前線の売春施設で強制使役したこと—彼が一貫して否認してきたこと—を認めなかった」と。 5. BBC ・ “Japan WW2: PM Shinzo Abe expresses 'profound grief'”, 14 Aug.
東京特派員 Rupert Wingfield-Hayes の分析を引用。先行する謝罪を踏襲すると同時に、未来世代が謝罪し続けるべきではないとし、日本の20世紀の歴史を「反植民地」的と描こうとする綱渡りを行った、と。また世界は日本に謝罪を要求し続けるべきでないと考えていることも明らかにした、と。 中国及び韓国からのプレッシャーだけでなく、国内のナショナリストの圧力も受けていたことを指摘し、日本軍「慰安婦」に直接言及しなかったことにも注目。 6. Financial Times ・ “Shinzo Abe upholds Japan war apology but shifts context sharply”, by Robin Harding, Aug.14
過去の談話を踏襲しながら、西洋の植民地主義への抵抗というナショナリスト的ナラティヴの中にその謝罪を据え直し、文脈を変えることによって自身の明確な謝罪を避けた、と評価。BBCと同じく日露戦争を称揚したことに言及。日本軍「慰安婦」の苦しみに言及しなかったことを指摘する一方、戦時性暴力については “a fresh acknowledgement” を行ったと評価。 7. The Wall Street Journal ・ “Japan’s Abe Stops Short of Direct Apology Over World War II: Prime minister expresses ‘condolences’ for Japan’s actions during the war”, by Eleanor Warnock, Aug.14
自分自身の言葉による謝罪には至らなかったこと、反省の言葉に挑発的なメッセージを混ぜ込んでいることを指摘。「植民地支配から永遠に訣別(……)しなければならない」といいつつ朝鮮半島の植民地化に言及しなかったこと、「侵略」という単語は用いたが侵略の主体は明確にしなかったことも指摘。 8. Foreign Policy ・ “Shinzo Abe Regrets but Declines to Apologize for Japan’s WWII Actions”, by Elias GROLL, Aug. 14
談話は明確な謝罪を含んでいなかったとの評価。また村山談話と小泉談話が「植民地支配と侵略」というフレーズによって暗に朝鮮半島と中国への加害に言及していたのに対し、安倍談話には両者をセットにした「植民地支配と侵略」というフレーズがないことに注目。 9. Le Monde ・ “Japon : Shinzo Abe évoque les « souffrances » de la guerre mais évite les excuses personnelles”, 14. 08
やはり「過去の謝罪は踏襲したが、個人的な謝罪には踏み込まなかった」という評価。 10. Frankfurter Allgemeine ・ “Rede zum Kriegsende: Entschuldigung – aber das Misstrauen bleibt”, Patrick WELTER, 08/14
「周辺諸国と国内の右派の双方にいい顔をしようとした」という評価。謝罪が安倍自身の言葉でないことを指摘。西欧の植民地主義や日露戦争に言及することで、右派に迎合した歴史解釈を示した、と。安倍が侵略の「定義」を歴史家に委ねると発言したことにも言及。日本軍「慰安婦」問題や朝鮮半島の植民地化に直接言及しなかったことも指摘。毎日新聞の世論調査(47%が「悪い戦争だった」とする一方44%が「日本はもう十分謝罪した」と回答)を引用。 11. NHKの「70年談話」特設サイト「中国・韓国など海外反応
・ワシントン・ポストの社説が「談話を評価する論調」と。 ・米、英、仏のメディアの「伝え方」は報じるがドイツメディアの反応には触れず。 ・アメリカメディアについてはワシントン・ポストの東京発の記事、ウォール・ストリート・ジャーナル電子版の記事を紹介。イギリスメディアについてはBBC、スカイニュース(衛星テレビ局)の報道を紹介。フランスについてはル・モンドおよびフランス24(テレビ)の報道を紹介、批判的な評価も伝えている。
・このように、おおむね欧米主要メディアの反応を歪めることなく伝えているとは言えるが、ドイツメディアの反応を伝えていないことには留意すべきであろう。


(文責:能川 元一)

「河野談話」検証についての、右派運動や論壇の反応

「河野談話」検証についての、右派運動や論壇の反応について、斉藤正美による報告は以下の通りです。                              「河野談話」検証(2014.6.20)についての、右派運動や論壇の反応を追った結果、明らかになったこととして、以下のことが指摘できる。 1.「慰安婦」問題についての右派言論人や右派メディアの反応  秦郁彦、西岡力氏といった学者の発言や語りは、その後の安倍内閣の方針として展開されることが多い  日本政策研究センター伊藤哲夫氏や同センター機関誌『明日への選択』の言論から、安倍内閣の意図が推察できる  検証の議論については、山田宏議員(当時、維新の党)が石原信雄元官房副長官の国会招致を提案し、それが実現された  産経新聞や『正論』が、政策の浸透や世論をリードするのに大きな役割を果たしている 2. 右派メディアの特徴  『正論』や『明日への選択』など紙媒体の記事であれ、重要な主張は拡散できるように、ネット上に再掲されることが多い
3.  検証結果について、右派メディアが特に強調したこと  「強制性がある」は、「情緒的な、動かされやすさ」や「無責任さ」という、河野個人の資質や人格的不適格性に起因すること  (見直しの議論よりも)海外に正しい情報を発信することが大事 ※資料: 再検証までの右派言説・論壇の流れ   (注:下線は、上記の指摘につながる箇所や、重要と思われる箇所に筆者がひいた) 2013.9  「つくる会」河野談話撤廃を求める署名30000筆提出 2013.10.16 『産経新聞』「元慰安婦報告書、ずさん調査浮き彫り 河野談話の根拠薄れる」 2013.11  西岡力「さらば河野談話! 暴かれたずさん聞き取り調査」『正論』12月号(慰安婦問題、反撃の秋 特集) ・・・「政府にチームを作ってしっかりと検証すべき」 2013.11  秦郁彦+『明日への選択』編集部『慰安婦問題の核心』・・「強制はあった」という河野談話の立場を見直す
2013.12.2 『夕刊フジ』「河野洋平自身が慰安婦募集の強制性(強制連行)を裏付ける「紙の証拠がない」と証言」 2013.12.5 日本政策研究センター伊藤哲夫「知られざる河野談話の解釈」・・河野はさておき、「官僚たちには官僚としての自負があった」、「苦渋の文章にまとめた」、「政府が認めている」という人に、「強制連行」は認めていませんと、「「本当のことを百回繰り返す」方がベター」
2014.1.1 産経「河野談話の欺瞞性さらに 事実上の日韓「合作」証言」・・「趣旨は発表直前に(韓国側に)通告した。草案段階でも、内閣外政審議室は強制性を認めるかなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う」(石原信雄) 2014.2.3 「つくる会」河野談話撤廃を求める署名24000筆提出 2014.2 山田宏(当時、維新の党) 衆議院予算委員会で河野談話の責任者を参考人招致するよう提案 2014.2 石原信雄官房副長官(当時)が参考人として国会で証言 2014.2.20 維新の会 河野談話の内容を検証する機関の設置を各党に提案 2014.2.28 菅義偉官房長官予算委員会で河野談話の「検討チームをつくり、掌握したい」(聞き取り調査などを再検討の予定(『朝日』) 2014.3.14 安倍首相「河野談話の見直しはしない」(参議院予算委員会 有村治子の質問) 2014.4.18 維新の会河野談話の見直し要求する16万署名提出. 2014.4 正論編集部「河野談話に裏付けなし 石原元官房副長官の歴史的国会証言を完全収録」(『正論』5月号) 2014.4 阿比留瑠比「河野談話 「日韓合作」の舞台裏を暴露する」(『正論』5月号)・・韓国の顔色うかがった政治文書、河野氏の呆れた二枚舌、韓国政府にひれ伏した外務省、「総じて」を入れたのは谷野?韓国側要請?
2014.4 山田宏・西岡力「亡国の河野談話と朝日新聞大誤報、克服の展望」(『正論』5月号) 2014.5   西岡力「クマラスワミ報告否定が河野談話見直しへの突破口だ」『正論』6月号・・・河野談話継承でもできた反論、見直しに懐疑的、政府内に司令塔をつくれ、国際社会に体型的な反論を ( http://ironna.jp/article/909) 2014.6.20  河野談話の再検証報告発表 2014.6.20  秦郁彦 BSフジ「PRIME TIME」出演 「親韓議員の河野長官は、心理的・情緒的に動かされた」「「総じて」は河野長官以上の政治的な判断」 山田宏「河野氏の参考人招致の必要性」 2014.6.21 産経新聞「「河野談話」検証 やはり見直しが必要だ 国会への招致で核心ただせ」(主張) 2014.7.1 伊藤哲夫「有意義な「河野談話」検証報告」・・・「日本政府が韓国政府の要求に耳を傾けた」(卑怯な韓国政府の実像を公にした)、「強制連行が確認できなかった」にもかかわらず、そういう事実を「結構です」と認めた河野官房長官の「無責任発言」のせいだ、聞き取り調査は談話の証拠とはされなかった:外交経緯を明らかにした意義(http://www.seisaku-center.net/node/773) 2014.7.3 伊藤哲夫「念押ししたい「河野談話検証報告書」の意義」『チャンネルAJER プレミアムメルマガ』・・・談話は、「一方的譲歩」の結果であり、あくまでも「政治的認識」「取引結果」にすぎないという性格をもっと世界にアピールする、「河野談話」ではなく、「慰安婦談話」、「いわゆる河野談話」と呼ぼう(http://www.seisaku-center.net/node/775) 2014.7.4 秦郁彦 「談話合作の対韓ブーメラン効果」『産経』・・米国の意向もあり、安倍晋三政権は見直しを断念、引き続き談話を継承すると共に、談話の事実経過を公表
2014.8.26 自民党高市政調会長、河野談話見直し要請するも、菅長官、「新談話は考えていない」と拒否 発信強化には理解  2014.9.11 自民稲田朋美政調会長、「前政調会長の方針を引き継ぐ」と河野談話の見直しを求めることを示した 2014.9 山田宏「河野洋平と植村隆を参考人招致せよ」『WiLL』2014.10月号(特集 朝日新聞「従軍慰安婦」大誤報) 2015.4.28 安倍首相、「河野談話,見直す考えない」(日米首脳会談後の記者会見)


(文責:斉藤 正美)

9月1日読書会報告

2015年9月1日に「『慰安婦』問題をめぐる報道を再検証する会」の研究会を開催し、当初の予定通り2つのテーマで4人が発表を行い、その後討論を行った。
テーマ1 2014年の「河野談話」作成過程を“検証”する動きを再検討する ・報告書「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯」に対する右派の反応について(「河野談話」検証についての、右派運動や論壇の反応) ・報告書「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯」の内容について テーマ2 戦後70年「安倍談話」に対する海外メディアの報道について ・韓国メディアの報道について(戦後70年「安倍談話」に関する韓国メディア等の反応) ・欧米メディア(主として英語メディア)の報道について(戦後70年「安倍談話」に関する欧米メディアの報道について) 各報告については追ってその概要を報告する。 (文責:能川 元一)

2015年5月6日水曜日

海外の日本研究者らによる「日本の歴史家を支持する声明」

187人の海外の日本研究者たちによる「日本の歴史家を支持する声明」が出されました。
以下のリンクから、英語版、日本語版ともにPDFファイルをダウンロードすることができます。

英語版 H-Asia  Open Letter in Support of Historians in Japan
日本語版 H-Asia 日本の歴史家を支持する声明

また、日本語版については、wamのサイトに転載されています。


2015年4月22日水曜日

『帝国の慰安婦』における日本免罪論について

 『帝国の慰安婦』を特徴づけているのは「日本に対し『法的責任』を問いたくても、その根拠となる『法』自体が存在しない」(319ページ)という認識である。この認識は本書の各所で繰り返されている。「〔慰安婦の〕需要を生み出した日本という国家の行為は、批判はできても『法的責任』を問うのは難しい」(46ページ)、「強姦や暴行とは異なるシステムだった『慰安』を犯罪視するのは、少なくとも法的には不可能である」(172ページ)、「日本国家に責任があるとすれば、〔人身売買を〕公的には禁止しながら実質的には(個別に解放したケースがあっても)黙認した(といっても、すべて人身売買であるわけではないので、その責任も人身売買された者に関してのことに限られるだろうし、軍上層部がそうしたケースもあることを認知していたかどうかの確認も必要だろう)ことにある」(180ページ)、「『慰安』というシステムが、根本的には女性の人権にかかわる問題であって、犯罪的なのは確かだ。しかし、それはあくまでも〈犯罪的〉であって、法律で禁じられた〈犯罪〉ではなかった」(201ページ)といった具合である(その他、33-34ページも参照)。  この議論の奇妙さは、「法的責任」を考えるにあたって刑法(〈犯罪〉)しか考慮に入れていないことと、さらに刑法の中でも略取誘拐の罪や強姦罪などしか考慮に入れていない、という点にある。  まず後者について述べると、周知のように当時の刑法においても「帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買シ又ハ被拐取者若クハ被売者ヲ帝国外ニ移送シタル者」は「二年以上ノ有期懲役ニ処ス」とされていた(海外移送罪、刑法226条後段)。また「営利又ハ猥褻ノ目的ヲ以テ被拐取者若クハ被売者ヲ収受シタル者」は「六月以上七年以下ノ懲役ニ処ス」ともされていた(収受罪、同227条後段)。この海外移送罪と収受罪(軍「慰安所」が「営利又ハ猥褻ノ目的」を持っていることは疑いの余地がない)が略取誘拐の被害者の海外移送・収受だけでなく人身売買された者の海外移送・収受をも処罰の対象としていることは重要である。朴裕河氏は「軍上層部がそうしたケースもあることを認知していたかどうかの確認も必要」としているが、平時の公娼制においても人身売買によってセックス・ワーカーが集められていたことは当時の常識に属することであり、略取誘拐ならばともかく人身売買の被害者を移送し、「慰安所」に収受していたことを軍中央が「認知」していなかったなどという弁明は、そうした常識を踏みにじるものだからである。  また91年以降の日本軍「慰安婦」問題において「補償」が焦点の一つだったことを考えれば、刑法に絞って「法的責任」を考えるのも奇妙と言わざるを得ない。元「慰安婦」たちが起こした訴訟の経緯を参照してみれば、『帝国の慰安婦』の誤りは直ちに明らかになる。アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟(1991年提訴)の高裁判決は、金学順さんら3名の元「慰安婦」の請求を棄却しつつも、日本政府の責任に関して次のように判断している(下線は引用者、引用文中の「被控訴人」は日本政府を指す)。
(4)民法の不法行為に基づく請求について、現行憲法下では、国家賠償法施行前における公務員の権力的作用に伴う損害賠償請求についても民法の不法行為による損害賠償請求を、いわゆる国家無答責の法理で否定すべきものと解されない。しかし、被控訴人が戦争を遂行する国の権力作用として命じ、ないしはそれに付随した行為に基づき軍人軍属関係の控訴人らに生じた損害につき、被控訴人が民法上の不法行為責任を負うか否かは、結局、安全配慮義務違反の事実があるか否かの判断と同じである。軍隊慰安婦関係の控訴人ら軍隊慰安婦を雇用した雇用主とこれを管理監督していた旧日本軍人の個々の行為の中には、軍隊慰安婦関係の控訴人らに軍隊慰安行為を強制するにつき不法行為を構成する場合もなくはなかったと推認され、そのような事例については、被控訴人は、民法 715 条 2 項により不法行為責任を負うべき余地もあったといわざるを得ない。
 日本の司法において日本軍・日本政府の「法的責任」を追及する試みが不発に終わったのは事実だが、それは「その根拠となる『法』自体が存在しない」からでは決してなかったのである。

(文責:能川 元一)

2015年4月16日木曜日

秦郁彦『慰安婦と戦場の性』読書会報告

 2015年3月31日に当会が開催した、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』についての読書会では、宋連玉氏(朝鮮近現代史, ジェンダー史研究)による報告に続いて参加者による意見交換が行われた。主な意見や議論を主題別に紹介する(以下、敬称略)。 1. 日本の「慰安婦」制度と「国家」の関わり  安倍首相が3月27日の『ワシントン・ポスト』紙で、「慰安婦」制度について「人身売買」という表現を使った直後でもあり、また前回の読書会で扱った朴裕河『帝国の慰安婦』でもテーマになった「業者」の問題が本書でも課題となることから、この日の議論でも、日本の「慰安婦」制度における軍及び業者との関係、および「慰安婦」制度と公娼制との関係についての議論が行われた。  本書での著者の主張は、「慰安婦」制度というのは、国家が許可し、業者がやっている、そして国家がやっていることは常に正しい、というものである。だが、そもそも公娼制度も、警察(国家)の管轄で行われており、慰安婦制度も警察と軍隊が協力して女性たちを集めていたことから、「業者」がやったことと切り捨てるような著者の主張は是認できないことが確認された。  さらに、日本の慰安婦制度の特徴については、報告者より、軍隊は典型的な単身赴任(制度)であり、若い男性の軍への単身赴任に、性売買をセットすることが労働力としての兵士の管理として安上がりであった、特に、日本の近代軍隊というのは後発の帝国なのでお金がなかったから、いかに取り分を残していくかが課題であったという見方が示された。戦前では、公娼制から上がってくる税金は大きかった。戦前に風俗警察が非常に力を持っていたのは、業者の生殺与奪の権限を持っていたからであったなど、軍や警察という「国家」と業者との関係が切っても切れないものであることを著者らが見ないようにしているという議論が参加者によってなされた。  また、民間の公娼制度と慰安所との違いに関する議論で、戦時の慰安所では、性病検査の必要性などから軍が全面的に前に出て行かざるをえなかったことが指摘された。 2. 民族差別、性差別の発露  本書についての議論では、「読むのがつらかった」「読書会がなかったら再読はしなかったかも」などの声が何度となく上がった。これは、本書が「慰安婦」の「生態」などという記述に見られるように、(報告でも指摘されている)慰安婦被害女性への蔑視のまなざしが散見されるためと思われる。女性差別、男性中心性に鈍感な記述が多く見られることについては、研究者でも、研究者である前に、自分のジェンダー(やセクシュアリティ)を疑わない人が多く、さらにメディアも同様に男社会であるので、秦の主張がすんなり受け入れられる土壌があることへの危機感が共有された。    さらに、本書には、フェミニストの発言例が表にまとめられて載っているなど、フェミニズムに関する記述の多さが話題になった。発言例のリストアップは、フェミニストへの批判の際に便利な一覧となるからではないかという指摘もされた。また、各所で上野千鶴子の主張を、それがあたかも慰安婦問題で発言するフェミニストの代表するものであるかのように書いていることへの違和感が出され、いずれにしろ著者がフェミニズムを嫌っていることは明らかだという認識が共有された。 3.史料の扱い方の杜撰さ 慰安婦問題について調査研究や支援に関わる人が参加者に多くいたことから、参加者や知人についてどう本書の中で書かれているか、という個別具体例に基づいて、本書における史料の扱い方の杜撰さが指摘された。著者自身の主張に親和的な人については実名を挙げ、肩書きなども丁寧に紹介する一方、異なる見解の持ち主については、誰のことかわからないように実名を挙げないという恣意的な扱いが見られる上、自説に都合のいい部分だけをピックアップするなど研究として正当ではない扱いが散見されるという指摘があった。各所それぞれに詳しい人が読めばおかしいとわかるところが多く出てくるだろうという指摘も出た。 4.兵士と被害者を対等であるかのように扱う現状への懸念  本書は、被害者が名乗り出て以来、「過熱」してきた「慰安婦」問題の「バランス恢復」となる書だと(版によって異なるが、初版などの)裏表紙に書かれている(法哲学者、嶋津格のコメントとして)ように、「慰安婦」被害にあった女性にたちの語りに対し、兵士たちの語りを多く採用したものである。  だが、それを「バランス恢復」というのはおかしいのではないか、という声が上がった。「慰安婦」問題は、ずっと隠されてきたもの、権力で隠されてきたものがやっと出てきたものである。しかしながら、本書およびそれに同調する世論は、その権力差を考えずに、兵士は裏付けがあるが、被害者の語りは裏付けがない、とその時点で並列に扱うこと自体がおかしい趣旨のものである。  とりわけ、兵士の発言というのは、その前提として、多くの兵士が死んだ中で、自分が「生き残ってきた」ことへの後ろめたさがあり、他の兵士のことを悪くは言わない、言えない、ということがある。特に、性暴力の場合は命令されて強姦するのではないから、個人の問題でもあり、余計に言いづらいところがある。そうした背景をまったく考慮に入れない本書が影響力を持つ現状が憂慮されるという指摘もあった。 5. 本書と朴裕河『帝国の慰安婦』との共通性とその背景  前回取り上げた朴裕河『帝国の慰安婦』との共通性も多く指摘された。朴裕河を読んだ時と今議論している内容がかぶって見えてしまうという意見もあった。だが本書は、日本軍「慰安婦」問題についての右翼の種本であり、朴の本はリベラルに影響を与えている。本書で著者が書いているようなことを『帝国の慰安婦』で朴が言い方を変えて言っているに過ぎないにもかかわらず、リベラルが朴に同調している。これは、左派がひどい話ばかり言ってきたのではないかと、朴の本を待望するリベラルの右振れが起きているということであり、それ自体、深刻な問題だというコメントも出ていた。 (まとめ:斉藤正美)

2015年4月10日金曜日

『帝国の慰安婦』における「性奴隷」概念について

 本稿では『帝国の慰安婦』における「性奴隷」概念をめぐる議論の多岐にわたる問題点をとりあげることにする。いうまでもなく、日本軍「慰安所」制度が「性奴隷制」であったという被害者支援団体、研究者、および国際社会の評価こそ日本の右派がもっとも否認しようとしているものの一つであり、この点に関する『帝国の慰安婦』の議論を検討することは同書が日本の言論空間でもつ意味を問うことにもつながる。 1. 「性奴隷」概念の誤解・曲解  まず驚かされるのは、日本軍「慰安所」制度を論じるうえで重要な意味をもつことになる「奴隷」の定義(「自由と権利を奪われ他人の所有の客体となる者」)をなんと韓国語版ウィキペディアから引用していることである(143ページ)。大学生がレポート課題においてウィキペディアに依拠することすら多くの大学教員によって問題視されているというのに、研究者が執筆し、「クォリティ・ペーパー」と目される新聞社の出版部門から刊行された著作にこのような引用があるというのは、著者の志を疑わせるに足る事実である。なお、韓国語版では「挺身隊」に関する記述についても日本語版ウィキペディアが出典とされている箇所があることを、鄭栄桓氏が指摘している(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)」)。  さて、朴裕河氏は上記のような「奴隷」の定義に基づき、「ほとんどの慰安婦は奴隷である」ことを認める(142ページ)。ところが彼女は同時に「朝鮮人慰安婦は必ずしもそのような『奴隷』ではない」とも主張する。これは一体どのような論理によるものだろうか?  一見すると対立する二つの主張の併存が可能になっている第一の理由は、「性奴隷」を定義する際に同書が「慰安婦=『性奴隷』が〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉ということを意味する限り」(142ページ、下線は引用者)と、「無償で」という要件を付け足していることである。確かに、右派が喧伝する「慰安婦=高収入」説に対して支援者や研究者は「お金はもらえなかった」といった被害者の証言を紹介したり、支払いに用いられた軍票の問題点(激しいインフレ、日本円ないし朝鮮銀行券との交換制限など)を指摘し、反論してきた。しかしこれは事実に照らして「慰安婦=高収入」説が誤りである(そのようなケースも確かに存在した一方で、一般的に高収入だったとは言えない、という意味で)からであって、「性奴隷」状態にあったことを裏付けるためではない。「〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉ということを意味する限り」という仮定そのものが不当なのであるから、その仮定に基づく主張ももちろん成立しない。  第二の理由は、「監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された」という状況にあったとしても「それが初めから『慰安婦』に与えられた役割ではないから」性奴隷ではない、というものである(143ページ)。「(朝鮮人)慰安婦」の役割は“擬似日本”の提供であった、という本書の主張が、それが日本軍の意図についてのものと解する限り史料的根拠が皆無であることはすでに別の記事で指摘しておいたが、それを措くとしても“実態がどうであれ最初から企図されたことではないから性奴隷ではない”などという論法が通用するのであれば、「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う『人づくり』に協力することを目的」としている技能実習制度の下で奴隷労働が強制されていても、日本政府は免責されてしまうことになってしまうだろう。  第三の理由は、「奴隷」の「主人」は日本軍ではなく「業者」であったというものである。問題は、朴裕河氏が永井和・京都大学教授により明らかにされた(注1)、1937年9月の野戦酒保規程の改正を無視して論じている点にある。第1条で野戦酒保に「必要ナル慰安施設ヲナス」ことを可能にした改正野戦酒保規定に基づいて設置された軍「慰安所」は「軍の後方施設の一種」(永井)ということになる。さらに第6条が「野戦酒保ノ経営ハ自弁ニ依ルモノトス但シ已ム得ザル場合(一部ノ飲食物等ノ販売ヲ除ク)ハ所管長官ノ認可ヲ受ケ請負ニ依ルコトヲ得」としている点の重要性も永井氏の指摘するところである。なぜなら、軍の直営ではない「慰安所」についても、軍の内部規程たる改正野戦酒保規程に基づいて経営を業者に委託したものということになり、「軍の後方施設の一種」である点では軍直営の「慰安所」と変わりがないことになるからである。  『帝国の慰安婦』は女性たちの「自由と権利」を奪った「直接的な主体」は「業者」であったとし、「構造的権力と現実的権力の区別」をすべきだとする(143ページ)。軍の「慰安婦」に対する関係は「『女性は家父長制的な家庭の奴隷だ』というような、大きな枠組みの中でのこと」だと矮小化される(同書)。しかし女性たちが奴隷状態におかれていたのが「軍の後方施設の一種」においてである以上、その奴隷状態に対する軍の関係は「家父長制」のような構造的なものにとどまるとは到底言えない。廃業を許可制とするような「慰安所」運営規則を日本軍自身が定めていたこと(馬来軍政監部、「慰安施設及旅館営業取締規程」など)を考えれば、なおさらである。  なお『帝国の慰安婦』は「慰安婦」が外出や廃業を「許可」された事例があったことをもって「外出や廃業の自由がなかったとするこれまでの考えを翻すものだ」(95ページ)という驚くべき主張をしている(79ページも参照)。廃業に「許可」が必要ならそれを「廃業の自由」などとは呼べないことは、先行研究において常識に属することである(当時の日本の公娼制においても建前上廃業は「届け出」ればそれで足り、許可を得る必要はないとされていた)。  これに関連して、朴裕河氏が「慰安婦が、国家によって自分の意思に反して遠いところに連れていかれてしまった被害者なら、兵士もまた、同じく自分の意思とは無関係に、国家によって遠い異国の地に『強制連行』された者である」(89ページ)と主張しているのも、「性奴隷」概念への無理解を示すものだ。当時において兵役は憲法上の根拠をもつ帝国臣民の義務であり、かつ社会的にも名誉なこととされていた。これに対して強制売春は当時においても違法であり、かつ売春そのものも「醜業」としてスティグマ化されていたのであって、単に「自分の意思に反して」という共通点をもって両者を同列に扱うのは詭弁というしかない。一切の兵役を「奴隷的拘束及び苦役」として批判し、また兵役によらねば可能とならない一切の戦争を批判する立場から従軍を「強制連行」とするならともかく、「慰安婦=性奴隷」という認識を否定するためにこのような相対化を行うことは欺瞞的ではないだろうか。なお、「外出が許可されていた」も「強制というなら兵士も同じ」も、日本の右派がしばしば主張することである、ということも付言しておく。 2. 「慰安婦」問題否認論者の「記憶」?  「慰安婦問題を否定してきた人たちが〈強制性〉を否定してきたのは、慰安婦をめぐるさまざまな状況のうち、自らの記憶にのみこだわるためである。そしてその多くは「強制連行」や「二〇万人」という数字に反発した」(144ページ)とか「慰安婦問題を否定する人たちが、民間人が勝手に営業したと主張するのは、このような記憶が残っているからだろう」(104ページ)(注2)というのも、「慰安婦」問題否認論の実態に即さない議論である。  そもそも否定論者の「記憶」とはなんだろうか? 「慰安婦問題を否定してきた人たち」の主張が具体的にとりあげられることがないため、まずもってこの点が曖昧である。もしこれが自身の体験についての「記憶」を意味するのであれば、1991年の段階でそのような「記憶」をもっていた日本人は圧倒的な少数派であったことをまず指摘しなければならない。敗戦時に15歳だった人がすでに60歳を越えていた時期である。戦中に成人していた世代でも従軍して「慰安所」を見聞した体験を持つ日本人は日本人全体の中では少数派にとどまる。軍が一切関与しない「慰安所」しか見聞しなかった日本人はさらにその一部でしかない。否定派の主導的イデオローグのうち戦後生まれの西岡力氏はもとより、戦中生まれの秦郁彦氏ですら「慰安所」についての実体験はもっていない。他方、軍人として「慰安所」設置に関わった実体験をもつ中曽根康弘元首相などは、かつて自ら慰安所開設に関わったことを明らかにしていたにもかかわらず、07年に海外メディアにその点を追及されると自らの記憶に反して売買春施設としての「慰安所」への関与を否認したのである(その後、主計将校だった中曽根氏が「慰安所」を開設したことを示す公文書が発見された)。
 さらに、もし戦前世代の「記憶」を引き合いに出すのであれば、公娼制が当時においても「事実上の奴隷制度」として批判されていたこと、戦前・戦中においてすでに過半数の都道府県で公娼制が廃止されるか廃娼決議がなされていたことについての「記憶」も問題とされねばならないはずなのに、否定派がそうした「記憶」に依拠することはない。このような、極めてイデオロギー的な「記憶」の選別を『帝国の慰安婦』は看過している。
 ではこの「記憶」は「国民の記憶」と理解すべきなのだろうか? 「二〇万人ではない」という記憶のベースとなるような個人的な体験を持ちうる人間はほとんどいないので(注3)、朴氏の言う「記憶」は「国民の記憶」と理解した方がよいようにも思える。しかし「慰安婦」問題が浮上した1991年末〜92年初頭の時期において、「強制連行ではない」「二〇万人ではない」「民間人が勝手に営業した」などといった「国民の記憶」が成立していたとは言えないだろう。そこにあったのはむしろ「記憶の欠如」と言うべきである。日本の「慰安婦」問題否認派は「強制連行ではない」「二〇万人ではない」「民間人が勝手に営業した」という「国民の記憶」を創造すべく活動していたのであり、すでに成立していた「国民の記憶」に依拠していたわけではあるまい。
3. 被害者を盾にした「性奴隷」否認  おそらく日本の“リベラル派”にもっとも評価されるであろう主張は、次のようなものであろう。
 何よりも、「性奴隷」とは、性的酷使以外の経験と記憶を隠蔽してしまう言葉である。慰安婦たちが総体的な被害者であることは確かでも、そのような側面にのみ注目して、「被害者」としての記憶以外を隠蔽するのは、慰安婦の全人格を受け入れないことになる。それは、慰安婦たちから、自らの記憶の〈主人〉になる権利を奪うことでもある。他者が望む記憶だけを持たせれば、それはある意味、従属を強いることになる。(143ページ)
152ページでも同様の主張が繰り返されている。一見すると被害者の主体性に配慮したもっともらしい主張に思えるこの議論が無視しているのは、「性奴隷」というのが被害者に貼られたレッテルではなく、日本軍「慰安所」制度の人権侵害性を告発するための概念だ、という点である。被害者となった女性たちの体験がことごとく「性奴隷であった」ことに還元されると主張している者など存在しない。「慰安所」における女性たちの体験が多様であるのはもちろんのことだし、さらに「慰安所」での体験を自分の個人史の中にどう位置づけ、どう意味づけるかも本人に委ねられるべき問題である。しかしそのことと、旧日本軍がつくりあげた軍「慰安所」制度をどう評価するかという問題とは別である。
 2013年6月13日放送の TBS ラジオ「荻上チキ・Session-22」において行われた秦郁彦・吉見義明両氏の討論(「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」)で露呈した両者の認識の食い違い(注4)もこの点と関わっている。公娼制について秦氏が「娘たちは騙されたと感じるのもあるでしょう」「自由意志か自由意志でないかっていうのは非常に難しいんですね。家族のためにっていうことで、誰が判定するんですか」などと女性の意識に焦点をあわせているのに対して、吉見氏は一貫して公娼制が人身売買を前提としたシステムであったことを指摘している。身売りされたことを「家族を助けられてよかった」と考える公娼が存在したとしても公娼制という制度の人権侵害性が否定されないのと同じように、日本軍「慰安所」が人身売買や略取誘拐による徴集や廃業を許可制とする規則等によって機能していた制度であることは、「慰安婦」の体験や記憶の多様性によって否定できることではない。  また、現実が持つ多様な側面のうちの一部しか捉えきれないというのは「名指し」という行為がはらむ原理的な問題であって、「帝国の慰安婦」という呼称もまたそうした限界を免れているわけではない。「帝国の慰安婦」という用語法がなにを「隠蔽」しているのかも問われることになるだろう。

(文責:能川 元一)

2015年4月5日日曜日

書評:秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(宋連玉)

 書評 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、1999)


                               宋 連玉 Song,Younok

はじめに
 『慰安婦と戦場の性』は、著者の秦郁彦氏によると「第二次大戦期のアジアばかりでなく、古代から現代に至るタテ軸と洋の東西にわたるヨコ軸を交差させての「慰安婦百科全書」をめざした」ものらしいが、慰安婦問題が日韓の政治・外交の懸案事項となっているおかげも被って16年たった今でも版を重ねている。

 帯文や表紙、あとがきといった目につきやすいところに踊るのは、この問題に関心を寄せる人々のイメージを操るような派手なキャッチコピーである。1999年版の表紙カバーには「慰安婦問題は嫌煙権論争に似ている。知的アプローチよりも情緒論、政治的思惑が先行して過熱気味の論争は今も続く」とあり、あとがきには、慰安婦問題が「突如として内外の耳目を衝動する大トピックに浮上した理由」として「この疑問に答える材料を私は持ち合わせていないが」としながら「少なくとも、往年の廃娼運動のように正義・人道を基調とする単純な動機から発したものではないようだ。おそらくは内外の反体制運動がかかえていた政治的課題にからむ、複合した思惑の産物であったろう」と結ぶ。
 あたかも、この問題を解決するために集まった人々が、正義や人道とは関係のない、「反体制運動」のために慰安婦問題を利用しているかのような書き方である。
 この著者の考え方は、2008年に文藝春秋社から出た『現代史の虚実―沖縄大江裁判 南京 慰安婦 フェミニズム 靖国』の帯文「マスコミが醸成し強要する扇動的な「歴史解釈」「空気」「同調圧力」に異議あり!」にもよく表れている。この書籍の本文(222p)には、「1990年代に大流行した「慰安婦」騒動」は「左翼運動家と大新聞のキャンペーンが発端」で、売春婦と同列では運動が盛り上がらず補償の対象にもならないので、「日本の官憲による強制連行」というイメージが創作された」と書かれているが、この著者が言わんとすることがここに凝縮されていると言えよう。 Ⅱ 目次から見る著者の狙い
第1章 慰安婦問題の「爆発」 第2章 公娼制下の日本 第3章 中国戦場と満州では 第4章 太平洋戦線では 第5章 諸外国に見る「戦場の性」 第6章 慰安婦たちの身の上話 第7章 吉田清治の詐話 第8章 禍根を残した河野談話 第9章 クマラスワミ旋風 第10章 アジア女性基金の功罪 第11章 環境条件と周辺事情
 目次の流れを見ると、慰安婦問題の浮上、公娼制と慰安婦制度、世界史にみる公娼制と慰安婦制度、被害者証言と加害者証言の分析、慰安婦問題を巡る政治的状況となっている。著者の専門である戦史研究にかかわるのは3章、4章であり、その前史である2章以外は慰安婦問題を解決する運動を批判する内容となっている。なぜかオランダ女性が強制連行されたスマラン慰安所については、3,4章に入れずに、第6章の被害女性の「身の上話」に一括している。
 最後の第12章は吉見・川田編著『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』への批判・反論として、7つの争点をQ&Aでまとめ、著者の見解を展開している。 Q1 「慰安婦」か「従軍慰安婦」か? Q2 女子挺身隊と慰安婦の混同 Q3 慰安婦の強制連行はあったか? Q4 慰安婦はどのように集められたか? Q5 慰安所の生活条件は過酷だったか? Q6 慰安婦は何人いたか? Q7 慰安婦の民族別構成は? Ⅲ 書評
1.秦の「慰安婦」を見る視点―貧困女性への蔑視
 まずこの著者がどんなまなざしを慰安婦被害女性に向けているのかを見てみよう。
 著者がこの書物をまとめたのは「冷静、虚心に彼女たちの生態を、それも等身大で捉えるべきだき季節が来ている」(表紙カバー)ので、事実と虚心に向き合うために「執筆に当っては、一切の情緒論や政策論を排した。個人的な感慨や提言も加えなかった」とする。
 著者の言う「生態」であるが、まず慰安婦の待遇は、戦時期に女性の取り分が25%から40%に上昇した吉原遊廓の公娼に比べてもはるかに厚遇されていたとする。また「ハイリスク・ハイリターン」を期待して戦地に赴いた慰安婦の実例として「3年足らずで2万余円の貯金をし、5千円を仕送りした」(183p、392p)という文玉珠のケースを取り上げる。慰安婦は、軍隊における公娼であり、公娼が国家公認と言ってもその責任は国家にではなく前借金で売った親や業者、女衒にあるのだと主張する。
 ここで言う業者とは自己資本による自由な商業活動を営む者ではなく、軍によって募集されたか認可された御用業者、受命業者を意味するのである。よって民間業者というのは、表現そのものが間違いであり、別の意図を持った政治用語と言える。1944年10月27日の『毎日新報』同年7月26日の『京城日報』紙上の「慰安婦」募集の求人広告も、時局柄、軍のお墨付きがなければ出せないものである。公娼制、慰安婦制度ともに国家による性管理でありながら、国(警察、軍隊)は常に関与していないポーズを取るのが近代以降の「文明的」常套手段である。ましてやアフリカの「奴隷狩り」のような暴力を行使するのは近代国家の経済効率からしてもそぐわない。暴力を行使せずとも女性を騙して集める方法は近代社会にはいくらでも存在する。
 さらに著者によれば、慰安婦の9割は生還し、民族別には「内地人」(日本人)4、現地人3、朝鮮人2、その他1の割合だと見積もる。しかしもっとも多い日本人女性の名乗りがないのは、「慰安婦」問題を解決しようとする運動が「内外の反体制運動がかかえていた政治的課題にからむ、複合した思惑の産物」であることを誰よりも敏感に感じとっていたからだと説明する。ここでは日本人「慰安婦」は運動団体の政治的魂胆を見抜く賢明な女性たちとして持ち上げられるが、著者自身の慰安婦だった「同胞」女性への同情は見られず、「苦界に身を沈めた」女性たちの自己責任を問うばかりである。
 著者は「女郎の身の上話」に騙されたかつての苦い経験から、慰安婦や公娼の証言に常に懐疑的である。戦争研究において実証性と中立性を堅持してきたと自負する著者は、彼女たちの悲惨な体験に容易に心を動かされない。フィリピンの慰安所開設に際し、生活の困っていた「その道の経験ある婦女子がわんさと応募」(197p)してきたことや、強制連行が認められているスマラン慰安所事件においても、その背景にある軍抑留所には「売春婦」が多く存在し、慰安所徴集における強制性を疑問視する。 このように著者は、「慰安婦」の強制性や性奴隷的な側面を相対化しようとするだけでなく、公娼制に対しても相対化しようとして、世界、とくに中国の例を持ち出す。すなわち「北京でもカラオケ屋とアンマ屋に偽装した売春業が繁昌、96年5月に北京市政府は1カ月で45の売春組織と1259人の売春婦を逮捕したが、潜在人口は1万人ぐらい」だとし、むしろ日本がすでに私娼システムへの完全移行を実現したと中国との差別化を図ろうとする(62p)。
 さらに第5章では、「軍隊用の慰安婦」が古代ギリシャにまで遡れるとし、現代に至ってはRAAからベトナムにおける韓国軍「慰安所」にまで言及する。要するに「慰安婦」制度は決して日本の近代軍隊の特殊な制度ではなく、戦場には普遍的に存在したものなのだと主張したいようだ。
 しかしながら長年戦史の研究者として多くの資料を渉猟してきた著者に、「慰安婦」の悲惨さが見えないはずはない。「マニラなど海軍占領地の至るところに慰安所と慰安婦が溢れた(134p)」「拉致まがいの徴集もあったにちがいない(137p)」「帰りたくても便が得られず、海没を恐れて残留する女性が少なくなかった」。「軍票で支払われるのが原則だったから(中略)敗戦と同時に紙屑と化してしまった」(121p)など。
 また第4章の「敗走する女群―ビルマ、比島」には「惨烈とはいえ、陸つづきのビルマはまだしもで、逃げ道がないフィリピンに慰安婦たちがなめた苦難は、より惨烈であった。厚生省の調査では60万人の守備兵のうち、50万人が戦死しているが、慰安婦たちの消息を示す統計は見当らない」(124p)とある。
 統計が見当たらないのに、民族比率や帰還率をどうやって弾き出したのか。またその数値が信頼に足るものなのか、疑わしい限りだ。時折しも秦氏がアメリカの教科書記述訂正を求める日本海外特派員協会での会見で、日本軍兵力を100万人と言ったそうだが、これに対し秦氏の歴史学者としての資質を問う声も飛び交った。
 戦地の女性たちの悲惨さと著者の公娼認識にはズレがあるが、これを解消すべく、秦氏は慰安婦は公娼だから国家的責任は問えないと言いつつ、アジア女性基金のような民間ベースの救済がもっともふさわしい(197p)と、条件的救済の必要性を認める、矛盾した発言をしているのである。 2.資料と証言に見る著者の非中立性
 著者の公文書への信頼は、国家へのそれとどうように絶大である。公文書に見られる政治的な力学を分析したり、疑うことなどはしない。林博史氏も『週刊 金曜日』(290号、1999年11月5日)にすでに指摘したように、秦氏の資料の扱いに恣意性が見られるとしたように、自説に有利なものは採用し、そうではない場合は無視する、といった取捨選択を行っている。
 例えば、禾 晴道『海軍特別警察隊―アンボン島BC級戦犯の手記』(1975太平出版社)は本書でも紹介されているが、禾がアンボン島での慰安婦集めは、現地の女性たちに強制と思わせない巧妙な強制だったと証言している個所などは引用されていない。 
 著者は、「慰安婦」に関する証言が国家としての体面や法的処理に関わるので検証するのだと言うが(177p)、「ハイリスク・ハイリターン」を期待した「慰安婦」の実例として採用する文玉珠証言は、秦氏の期待に副うものだったからか、額面通りに受け取っている。
 本書に頻出する「女郎の身の上話」という言葉だが、これ自体が貧困女性への偏見に満ちたものであり、どんな人生でも不幸で報われないものであれば、聞き手、年齢、その他の要因により、ある種の脚色は避けられないものだ。秦氏は名のり出た慰安婦の共通したパターンとして、「知力が低く、おだてに乗りやすい」ことを挙げ、<善意>のインタビュアーたちは、自分が聞きたい物語を聞き出すように、語りの図式を変形するという権力を、その聞き取りの現場において行使している」が、専門家である弁護士まで、その弊を抜け出せなかった(178p)としている。要するに、「慰安婦」証言は信じるに足りないということを主張するために、外堀まで埋めようとしているのだ。
 日本人慰安婦に関しては、「朝鮮人や他のアジア諸国の例と比較すると、記憶力や論理性は格段にすぐれている」(224p)としながらも、金文淑が聞き取った城田すず子の証言、すなわち碑を立てた動機が「日本が犯した醜い犯罪に対して自分に出来る謝罪をするため」については疑っている(226p)。
 証言に対する秦氏のバイアスが顕著に表れるのは、「慰安婦」と対極にある憲兵のそれである。あとがきに「憲兵には兵士から選抜された優秀者が多い。引き出し方にもよるが、優れた証言者が少なくない。それだけに、私の取材に対しては予期以上の熱心な協力を得ることができた」とあるが、人間は能力が高いからと言って誠実で正直とは言えず、逆にインタビュアーの期待に添うように、狡猾にストーリーを作る可能性も否めない。
 秦氏のずさんな資料扱いを批判するのは、林氏だけではない。『マスコミ市民』(99年10月) には秦氏が資料、写真を無断盗用したと批判する前田朗氏、南雲和夫氏の文章が掲載されている。   3.植民地期朝鮮に対する無知と偏見
 秦氏が本書を通じて異議を唱えたい矛先は、「慰安婦」問題に関わる運動や団体、大手新聞(朝日新聞を指す―ちなみに最新の帯文には「朝日新聞よ!真相はすべて本書に書かれていた!」とある)と並んで、朝鮮民族に向けられたものである。
 「女子に対しては、国民徴用令も、女子挺身勤労令も朝鮮半島では適用されなかったが、官斡旋の女子(勤労)挺身隊が内地に向かったこともあり、各種の流言が乱れ飛び、未婚女性の間にパニック的動揺が生まれたらしい」(367p)ことから、帝国日本の植民地政策、総動員体制下の労働力動員に朝鮮人が強い不信感を持っていたことを知るべきである。恐怖政治のもとでは、流言飛語が草の根の抵抗である。「「悪質なる流言」という表現がくり返し出てくるところから、総督府は一種の反日謀略ではないかと疑っていたようだ。それに朝鮮半島では未婚女子は戸外労働を忌避して家庭内にとどまる伝統があり(44年の就業率3割弱)(369p)」とあるが、前段部分は植民地における総督府政治の破たんを物語るものであり、後段は秦氏が朝鮮総督府の創出した植民地期の女性表象や言説を今もなお、そのまま継承していることを表している。
 日本人慰安婦が「朝鮮人や他のアジア諸国の例と比較すると、記憶力や論理性は格段にすぐれている」のは当然である。非識字とは、単に文字や言語に通じないだけで終わる話ではなく、記憶の構成や論理的能力にも影響するのである。帝国日本は、朝鮮女性への教育コストをかけない植民地経営をした結果であるが、詳しくは『「慰安婦」問題を/から考える』(岩波書店、2014年)に掲載された拙稿を参照していただきたい。
 秦氏の資料の読み替え、誤解、数字の不正確さについては、林博史氏の他に最近は永井和氏も加わって精緻に批判しているので、ここでは第2章の朝鮮の公娼制について述べてみたい。
    「総督府管轄下の公娼数は1940年末の9,580人から42年末に7,942人へ17%も激減」と(100p)とあるが、この数字は公娼ではなく、芸妓や酌婦といった、いわゆる私娼も含めたものである。秦氏からすると、公娼も私娼も同じ売春婦ということで同列に見なすところから来る間違いかも知れないが、日本「内地」や朝鮮では娼妓を公娼とみなした。
 また、41pの「朝鮮における公娼関係統計」では西暦が使われているが、原資料では元号で表記されている。これも秦氏がオリジナルの資料を見ないで、孫引きをしたまま、あたかも自分が直接資料に当たったかのように細工した馬脚が表れている。他にも元論文を読まないで引用論文を転用している部分もある。
 このような手抜きが数字の間違いに繋がったり、自分勝手な解釈を許したり、しているのだろう。自説に合う資料・証言を恣意的に選んでいるという批判は免れない。
 また秦氏は公娼制という言葉を時期や場所の違いに関係なく使用している。そのために公娼制が、明治初期から総動員体制期までどのように変化したのか、あるいは内地と朝鮮、台湾とではどのように異なっていたのか、違いを問題にしないまま、慰安婦制度と連結させている。同じ言葉を説明なく使うことで、公娼も「慰安婦」も社会に浮遊する偏見に満ちたイメージに安直に融合し、連結する。
 著者がエリート官僚出身であるとは信じられないほど、本書にはスラングやパワハラ的な表現が満載であるが、そのような言葉遣いが、既成の「慰安婦」のマイナス・イメージを補強する効果を果たしている。キャッチコピーの活用や、「慰安婦」問題の解決に奔走する人々を「左翼」「反体制運動」とレッテル張りをするところは、著者の「反共」日本の空気を読むしたたかさであろうか。
 敢えて本書の成果を挙げるとしたら、著者のエリート官僚としての経歴が「幸いして」元憲兵の証言を集めているところにあると言えようが、「慰安婦」証言と同様に検証を欠いてはいけない。
 本書が真に「慰安婦百科全書」になるためには、資料・証言・解釈の精緻な検証が全面的に必要となろう。また百科全書であっても、「慰安婦」被害者へ共苦するEQ(心の知能指数)とモラルが問われることはあらためて言うまでもない。
(文責:宋 連玉)

2015年4月2日木曜日

「慰安所」の設置目的に関する『帝国の慰安婦』の主張について

 アジア・太平洋戦争において日本軍が「慰安所」を設置した理由については、(1)多発していた占領地での強姦を防止して占領統治を円滑に進めるため、(2)戦力低下の原因となる性病の蔓延を防止するため、(3)将兵が占領地の売春施設を利用することで軍事機密が漏洩することを防ぐため、(4)兵士の不満をガス抜きし士気を維持するため、が通説となっている。一定の史料的根拠があるうえに軍人の発想についての説明として無理のないもので、日本軍「慰安婦」問題否認派からもまず異議が唱えられることはない。特に(1)などは「慰安所」制度の正当化のために引き合いに出されるくらいである。

 しかし『帝国の慰安婦』はこの通説に挑戦している。「性病防止などが慰安所を作った第一の理由に考えられているが、それはむしろ付随的な理由と考えられる」(31ページ)とか、「おそらく、軍慰安所の第一の目的、あるいは意識されずとも機能してしまった部分は、高嶺の花だった買春を兵士の手にも届くものにすることだった」(41ページ)、「女性が家のこまごまとした仕事をして、男たちがまた会社に出て働ける役割を受け持つように、軍人たちが戦争をしている間、必要なさまざまな補助作業をするように動員された存在が慰安婦だったのである」(71ページ)、あるいは「戦争開始後に軍が主導的に作った慰安所は、最初は性病防止などという至極現実的で殺伐とした目的から作られたようだが、時間が経つにつれて、身体以上に心を慰安する機能が注目されたのだろう」(85ページ)、といった具合である。

 その目的の一つは明らかに、朝鮮人「慰安婦」とそれ以外の「慰安婦」を峻別する本書の基本的態度を正当化することにある。「中国人女性たちは擬似日常の役割はしても、〈故郷〉の役割はできなかったはずで、厳密な意味では『慰安婦』とは言えない」(45ページ)という一節が朴裕河氏の狙いを端的に表現している。すなわち、「慰安所」の第一の目的を“擬似日本”の提供であるとし、この目的に照らして朝鮮人「慰安婦」と非朝鮮人「慰安婦」とを区別し、前者については「日本兵士との関係が構造的には『同じ日本人』としての〈同士的関係〉だった」(83ページ)と主張するため、である(注)。

 問題は、例によってこの主張には史料的根拠が欠けているという点である。著者が援用する元「慰安婦」の証言などは、「慰安所」が結果として果たした役割について教えてくれることはあるにしても、軍中央が「慰安所」の設置という方針を選択した理由については事情が異なる。ところが上記引用が示すように、著者は軍の意思にまで踏み込んで通説を否定してしまっているのである。(なお、軍「慰安所」設置の目的についての通説に反する主張を行う際に、明治時代の事情について記述した文献を根拠とするという時代錯誤についてはこちらを参照されたい。)

 朴裕河氏が高く評価し、また大きく依拠している千田夏光の『“声なき女”八万人の告発−−従軍慰安婦』(文庫版は『従軍慰安婦』)は繰り返し「性病の予防」という目的を強調しているだけに、これは奇異なことと言わねばならない。先に述べたような著者の意図からすれば「慰安所」が結果として果たした機能について論じれば十分であり、設置目的についての通説に挑戦する必要はないように思えるからである。

 『帝国の慰安婦』に「性病の予防」という「慰安所」設置の目的を否定、ないし過小評価する動機があるとすれば、それはおそらく同書が「『慰安婦』=『少女』とのイメージ」(61ページ)を破壊しようとしていることと関係があるのだろう。同書65ページには次のような記述がある(106ページにも類似の記述がある)。
 そして、朝鮮人慰安婦の中に少女が存在したのも、日本軍が意図した結果というより、「強制的に連れていった」誘拐犯たち、あるいは同じ村の者でありながら、少女がいる家の情報を提供した協力者たちの意図の結果と見るべきだ。(……)
なぜそう「見るべき」なのか、例によって史料的根拠は皆無である。もちろん、既婚者に比べれば未婚者を誘い出す方が容易だとすれば、少女に目をつけることは業者にとっても合理的だったろうが、そのことは日本軍の「意図」とは別問題である。千田夏光は有名な麻生徹男軍医の意見書を詳しく引用しているが、周知のようにその意見書では性病防止の観点から売春歴のない、若い女性が「慰安婦」に適しているという主張が展開されているのである。性病防止を「慰安所」設置の目的とする通説は日本軍が若い女性を望む動機をもっていたことを推察させるから、著者にとっては不都合であり、それゆえに否定されねばならなかったのではないだろうか?

 たしかに「『慰安婦』=『少女』とのイメージ」は公娼・私娼から「慰安婦」に転じた女性たちの存在を見えにくくするという問題を孕んでおり、このイメージを相対化しようとする著者の意図そのものは理解できないわけではない。しかしその相対化の作業はやはり実証的に行われねばならないはずである。なんの根拠もなく通説を否定して、軍が若い女性を動員する動機を持っていたことを隠蔽することは到底許容できる方法ではない。なお『帝国の慰安婦』が史料のずさんな利用によって「慰安婦」の年齢を実態よりも高く見せかけていた事例については別に指摘しておいた。

(文責:能川 元一)

2015年3月21日土曜日

朴裕河『帝国の慰安婦』読書会報告(2)

承前

3. 韓国版との異同  一部の参加者からは韓国語版との異同についても指摘があった。例えば韓国語版では「挺身隊」に関する記述を行う際に日本語版ウィキペディアに依拠していること、韓国版では日本の支援者について否定的な記述がなされているが、日本語版では変えられていることなどである。さらに、日本語版では弁明的とも思える加筆が多数あり、それが先に述べたような論旨のつかみにくさに拍車をかけている、という指摘もあった。 4. 「慰安婦」問題の解決に関する著者の主張について  本書は「日韓併合=合法」、「日韓条約で解決済み」という前提に立っているが、もしそういう前提に立つなら国民基金がなぜ必要だったか、さらなる「解決」がなぜいま必要なのかが、理解できなくなってしまうのではないか、との指摘もあった。本書を読んだ日本人がさらなる「謝罪」の必要性を感じるか、疑問である、とも。  また「慰安婦」問題を日韓の文脈に限定して扱うことにより、被害者を分断することになってはいないか、との批判もあった。韓国人元「慰安婦」と連帯したいという意思を示している他国の元「慰安婦」は現に存在しているのであり、彼女たちの「声」もまた無視してはならないはずである、と。  本書の主張の基底にある認識の一つが「日本に対し『法的責任』を問いたくても、その根拠となる『法』自体が存在しない」(319など)というものである。軍や政府の命令があるものについては「当時は合法だったから責任は問えない」とし、命令がないもの(強姦など)については「命令ではない」として、いずれにしても軍、政府は免責されてしまう議論の構造になっているという指摘があった。  また「植民地」という論点を重視しているはずなのに、「米軍慰安婦」など、植民地支配下で行われたわけではない他国(アメリカなど)の軍による性暴力の事例が引き合いに出されている。「帝国」概念もそれにともなって広義にもちいられている(296など)。これは「当時の朝鮮人は日本人だった」という点に朝鮮人「慰安婦」の特殊性を見出し、日本の植民地と占領地とを峻別しようとする本書の主張と矛盾するのではないのか? さらには「他国も似たようなことをしていたのに日本だけが責められている」という右派の主張を後押しすることにはならないだろうか、との意見も出た。  本書の主張のもう一つの特徴として、「業者」の責任を強調していることがある。しかし著者は韓国の「親日派」の責任追及には批判的だったのであり、主張が首尾一貫していないのではないか、という指摘もあった。 5. 先行研究の軽視と事実誤認  連行したのは業者だから日本の責任は問えない、という主張は先行研究や戦後補償裁判に照らして明らかに誤りである。重要な先行研究の幾つかが無視されており、その結果日本軍の責任が過小評価されることになってしまっている。これについては、今後当ブログにおいて具体的に指摘する予定である。  そのほか、事実誤認や資料の誤読に由来する誤った記述(日韓条約交渉過程で日本側が申し出た補償を韓国側が拒否したかのように記述している点、徴兵が国家総動員法で行われたとする記述、日韓会談がサンフランシスコ講和条約に基づいて行われたとする記述、など)も少なくないことが指摘された。 (以上、後半。まとめ:能川 元一)

朴裕河『帝国の慰安婦』読書会報告(1)

15年2月17日に当会が開催した、朴裕河『帝国の慰安婦』についての読書会では、金富子氏(植民地朝鮮ジェンダー研究)による報告に続いて参加者による意見交換が行なわれた。主な意見を主題ごとに再構成し、2回に分けて紹介する。また、当日は『帝国の慰安婦』の内容以外に同書が受容される日本の文脈(金富子氏の報告でも問題にされている)についても参加者の関心が集まった。この点については過去の記事「日本軍「慰安婦」問題の現在と『帝国の慰安婦』」をご参照いただきたい。 1. 方法論上の問題と先行研究の軽視  著者の朴裕河氏は『帝国の慰安婦』において「『朝鮮人慰安婦として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませること」を目指したとしており、自分が紹介する「声」が支援運動によって隠蔽されてきたとしている。日本において『帝国の慰安婦』が好意的に受けいれられている理由の一つもそのような「声」が新鮮なものと思われたからではないかと思われる。しかし、そうだとするなら、著者がそうした「声」を資料から再構成する際の方法の妥当性がきちんと吟味されなければならないはずだ。  まず金富子氏の報告において「植民地期朝鮮や朝鮮人「慰安婦」への事実関係に関する研究の蓄積をふまえず」「膨大な歴史研究の成果を軽視」とされている点については、次のような具体例が指摘された。本書で強調されている「いい日本兵との交流」や「朝鮮人業者の介在」などは日本軍「慰安婦」問題に関わってきた人間にとっては既知のことがらであり、ことさら強調してはこなかったにしても語られてきたことは、これまでに支援者や研究者が刊行した文献をみればわかることである。さらに言えば日本の右派が好んで強調してきたことでもある。こうした事実を無視して自らの「慰安婦」像を提示することは、読者をミスリードするのではないか、と。    次に金富子氏の報告において「不明確で恣意的な根拠・出典、引用のずさんさ」などと指摘されている点については、次のような意見が出た。歴史学ではなく著者の専門である文学研究の基準に照らしても、『帝国の慰安婦』におけるテクストの扱い方は素朴すぎるのではないか。特に、日本人男性である千田夏光が同じく男性である元軍人や「慰安所」業者から聞き取った「慰安婦」の姿、あるいは日本人男性作家が描いた「慰安婦」の姿から「慰安婦の声」を再構成する作業には、これら(日本人)男性のバイアスを考慮に入れることが不可欠であるはずだが、十分な見当がなされているとは思えない、と。    また例えば24ページで言及されている「写真」の解釈についても、中国人が「蔑みの目」で「慰安婦」を見ているという千田夏光氏の推測を無批判に踏襲しているが、写真からは「蔑みの目」であることが自明とはとても思えない、という指摘もあった。  その他、「なでしこアクション」への過大な注目に見るように、日本の右派の動向の把握が不十分かつ間違いがある、90年代の右派の動きを無視している、との指摘もあった。 2. 支援運動・支援者への批判について  本書では「慰安婦」支援運動の日本軍「慰安婦」問題認識について、「慰安婦問題を単に『戦争』の問題として認識した」(211)、「同時代の戦争と連携して『普遍的人権問題』として訴えた」(171)とする。こうした捉え方が「植民地」の問題を隠蔽したというのが本書の中心的な主張であるように思われる。だが、その「隠蔽」についての具体的な論証がないため、植民地支配の歴史を当然視野に入れて日本軍「慰安婦」問題を考えてきた参加者達は困惑せざるを得なかった。  さらに、著者は前記のように支援運動を批判する一方で、「『慰安』というシステムが、根本的には女性の人権に関わる問題」(201)であるとか、「植民地だったことが、最初から朝鮮人女性が慰安婦の中に多かった理由だったのではない」(137、なお53-54、149も参照)などとも主張している。はたして本書から首尾一貫した日本軍「慰安所」制度についての理解を得ることができるのか疑問である。この事例がよく表しているように、本書では頻繁に対立する主張が並列されているので論旨が極めて把握しにくい、どう批判しても「いえ、こうも書いてます」と返せてしまうようになっているのではないか、という指摘もあった。  また、「慰安婦問題を単に『戦争』の問題として認識した」(211)に関しては、批判対象(そのような認識をもっていた者)が誰であるのか、心当たりがないという声もあった。  関連する指摘として、210ページの記述についても疑問が提示された。「日本軍と「人身売買」をリンクさせた運動のやり方は、結果として「業者」の問題を隠蔽することになった」という記述に対しては、人身売買に「業者」が関わっていたことは「慰安婦」支援に関わる人たちの間では当然のこととして認識されており、(責任の軽重という観点から)日本軍・政府の責任追及がまず目指されたにすぎない、という反論があった。また「様々なケースの女性の問題を『性』を媒介にすべて等しく扱ったために、朝鮮人慰安婦の特徴を消去し、欧米の『植民地支配』の影を消してしまった」については、なぜここで欧米の植民地支配という論点が出てくるのか理解に苦しむ、という意見が出た。  次に、被害者の意思、意見にまつわる問題について。著者は「被害者の意見」が一通りではないことを主張し、支援者は自分たちの活動に都合のいい「意見」ばかりをとりあげていると批判する(例えば165)。  これに対しては次のような意見が出た。確かに「被害者の本当の意見・意思とは何か?」は難しい問題であり、支援運動においても苦労・努力が重ねられたところであるが、それを支援運動体批判に利用しているように思える。名乗り出た韓国人「慰安婦」の証言の多くを支援団体が編纂した証言集に依拠していながら、支援団体がそうした「声」を隠蔽したとするのはフェアではないのではないか? と。  日本の支援運動に対する批判としては、「日本を変えるため」に利用した(307など)、「慰安婦問題の『運動』を天皇制批判へとつなげるようになる」(265)というものもある。これに対して、たしかに女性戦犯法廷は天皇を断罪したが、それは「反天皇制」を支援運動の究極の目標にしたということを意味せず、被害者の要求である「謝罪と賠償」を求めた結果であった。むしろ、支援者たちは人手・時間・資金などの制約から好むと好まざるとにかかわらず、「慰安婦問題」としてシングル・イシューで取り組まざるを得なかったのが実情であり、他の運動のために利用したというのは事実に反する、との反論があった。  左派批判の文脈で主張されている「冷戦的思考は基地を存続させる」(314)についても、そもそもここでの「冷戦的思考」が何を意味しているのかも含めて、理解が困難だという意見があった。南北対立が激化すればするほど(米軍)基地の存続は確固たるものになるはずだが、左派が主張しているのは南北対立の緩和だからである。また、日韓蜜月の冷戦時代には「慰安婦」問題は封印されていたことをどう考えているのかもよくわからない、と。  韓国の支援運動に対する批判の中には、支援団体の変化を無視したものが含まれている、という指摘もあった。例えば基地村での「米軍慰安婦」、ヴェトナムでの韓国軍の性暴力の問題には挺対協も取り組んでいるのに無視されており、同じくナビ基金(コンゴ内戦における性暴力被害者を支援する目的で、元「慰安婦」の意思を汲み挺対協が設立した基金)も無視されている、など。

(後半はこちら) (まとめ:能川 元一)

2015年3月20日金曜日

『帝国の慰安婦』における証言者の“水増し”について

 『帝国の慰安婦』の特徴の一つは、1973年に刊行された千田夏光氏の『“声なき女”八万人の告発−−従軍慰安婦』(双葉社。講談社文庫のタイトルは『従軍慰安婦』。以下それぞれ双葉版、文庫版と表記)を高く評価し、また大きく依拠している点にある。例えば朴裕河氏は「そしてこのような千田の視点は、その後に出たどの研究よりも、『慰安婦』の本質を正確に突いたものだった」(25ページ)とし、「千田の本が朝鮮人慰安婦の悲劇に対して贖罪意識を持ちながらも、それなりに慰安婦の全体像を描けたのは、彼がそのような時代的な拘束から自由だったからだろう」(26ページ)としている。「そのような時代的な拘束」とは、彼女によれば、「慰安婦」問題の発生以降「慰安婦」についての発言が「発話者自身が拠って立つ現実政治の姿勢表明になったこと」を指す。このことを踏まえて、次の一節をお読みいただきたい。
 千田の本には一九七〇年代初め、今から四〇年も前に韓国にまで来て見つけた朝鮮人慰安婦たちのインタビューも入っている。つまりこの本には、現在私たちの前にいる元慰安婦たちより四〇歳も若い元慰安婦が登場して、自分の体験を生の声で語っているのである。 (26ページ)
 読者は当然、『“声なき女”八万人の告発−−従軍慰安婦』には複数の元「慰安婦」のインタビューが収録されており、そこでの元「慰安婦」たちの「声」こそ『帝国の慰安婦』が「ひたすら耳を澄ませ」ようとした(10ページ)と称する「声」の原型になっているであろうことを想定されるだろう。あるいは千田が聞き取った元「慰安婦」たちの声が『帝国の慰安婦』の主要なテーゼを支持するものであろう、と。巻末の参考文献で挙げられている千田氏の著作は『“声なき女”八万人の告発−−従軍慰安婦』ただ一つであるので、「千田の本」とはこの本を指すと考えるほかない。

 しかし驚くべきことに、双葉版115ページ、文庫版142ページにはこう書かれているのである。「韓国の或るジャーナリストの紹介で会った彼女は、朝鮮半島で私が会えた、たった一人の元慰安婦と名のる女性であった」、と(強調引用者)。もっとも、千田氏がたった一人の女性しか取材できなかったというわけではない。そのあたりの事情はこう説明されている。
 ところが、そこで知ったのは、この国で慰安婦にされた女性のことは“挺身隊”とよばれ、その体験者たちは、いずれも牡蠣のように口が固いのであった。何人かをやっと探し出してもなかなか語ってくれないのであった。そしてその何人目かに会い終わったとき知ったのは、彼女らがそれを極めて恥にしていること、口を閉じ語りたがらぬのは、その恥辱感のためであるということだった。恥辱、言われてみればその通りであった。誰が慰安婦にさせられた過去の傷痕をとくとくと語る者がいようか。(双葉版101ページ、文庫版126ページ、原文のルビを省略)
 少なくとも複数の元「慰安婦」に会ったことは事実じゃないか、と思われるだろうか? そのすぐ後で、千田氏は二人の韓国人女性にインタビューしているではないか、と思われるだろうか? だがここで考慮しておかねばならないのは、これが「挺身隊=慰安婦」と認識されていた韓国社会での人探しだった、という点である。千田氏が「慰安婦だった人を知りませんか?」と訪ね歩いたとき、労務動員された人を紹介されることは十分あり得た。「挺身隊」と「慰安婦」との混同がなぜ生じたかについての憶測を述べている(62ページ)朴裕河氏は、当然この可能性を想定しなければならなかったはずである。沈黙こそ元「慰安婦」であった証、と考えるのは早計である。「挺身隊=慰安婦」という混同によって労務動員された女性たちが偏見にさらされていたのだとすると、「誤解を解くためにしゃべる」ことより「とにかく注目されるのを避ける」ことを選ぶのは、十分にありうることと言わねばならない。

 双葉版101ページ以降、文庫版126ページ以降で紹介されている二人の韓国人女性が仮に元「慰安婦」だったとしても、さらなる問題がある。その二人が証言しているのは(当然ながら)自らの「慰安婦」体験などではなく、「未婚の若い女性」が「金になる仕事がある」などといった勧誘に応じてついていくのを見た、という目撃談なのである。『帝国の慰安婦』では47ページでその発言が引用されているが、なにしろ「私自身は行かなかったが」と断って話しているのであるから、彼女自身の応募体験として話しているのでないことは明らかである。彼女らが目撃した女性たちが実際に「慰安婦」にされたという確証もない。二人の女性が元「慰安婦」であろうがなかろうが、彼女らの証言は「元慰安婦が登場して、自分の体験を生の声で語っている」と称し得るようなものでないことは明白だろう。さらに言えば、二人の女性のうち一人については「同じような事を語っていた」とされているだけで、「生の声」など紹介されてはいない。

 では残るたった一人の元「慰安婦」の女性は千田氏になにを語ったのだろうか? 二人のやりとりを全文引用してみよう。双葉版115-117ページ、文庫版142-144ページ、原文の傍点を下線に改めた。
「昭和十八年からはじまった挺身隊で行かれたのですか」 「私はその前です。日本の昭和十五年に行きました」 「警官とか面長が誘いに来たのですか」 「面長は来ませんでした」 「すると来たのは警官ですね」 「日本人の男の人も来ました。その人にすすめられたのです」  口数も言葉も少ない女性であった。いかにも喋りたくないのが肌につたわってくるような女性であった。場所はソウル市のはずれ、山坂の上まで小さな家が段々に建て込んでいる難民集落風の所であった。 「出身の村はどちらです?」 「………」
 ここから彼女の沈黙がはじまるのだった。通訳の労をとってくれたジャーナリストがいくら聞いてくれても駄目であった。石になってしまうのだった。だが考えてみると、それは当然であった。今さら村に帰れる体ではない者に、村の名をあかすよう求める方が滑稽なものではなかったか。 「どの辺の戦場に行ったのですか?」 「シナです」  ここでやっと答えてくれたが、中国をシナと呼ぶとき彼女はやはり、過去の中から今も抜け出せずにいるのだろうか。 「中国の、いえ、シナのどこです」 「あちこちです」 「具体的な地名を教えてくれませんか。それと同行した部隊の名前も教えてください」 「………」  またも沈黙であった。 「辛いことがありましたか。もっとも辛いことばかりだったでしょうが……」 「………」 「親切な兵隊も中にはいなかったのですか」 「………」 「帰国したのは何年でしたか」 「………」  私はノートを閉じた。もう質問をやめた。小屋を辞した。坂道を下りながら韓国人ジャーナリストが言うのだった。 「せっかく案内しながら役にたたなかったようですね。すみませんでした。もう少し時間を下さったらまた探してみます」 「いえもう沢山です。人間において沈黙の持つ意味は雄弁より重く大きいことを、しみじみ、悟らされました。彼女はいまなにをしているのでしょうか」 「隣近所の雑用を手伝って生活しているようです」
 かろうじて答えているのも「慰安婦」になった時期、誘いに来た人間、「慰安所」のあった地域だけであり、「慰安所」での生活についてはひとこともしゃべっていない。特に「親切な兵隊も中にはいなかったのですか」という問いに沈黙で応えている点に注目されたい。というのも、「親切な兵隊」についての「記憶」は『帝国の慰安婦』が強調しようとする事柄の一つだからである。

 もちろん千田氏が考えたように、女性の沈黙それ自体を「声」として聞くべきだということはできるだろう。しかしだからといって、「千田の本」では複数の「元慰安婦が登場して、自分の体験を生の声で語っている」と言うことができるかといえば、明らかに否である。数少ない証言も『帝国の慰安婦』のテーゼをむしろ反駁するような内容になっていると言えよう。双葉版101ページ、文庫版126ページにおける女性の目撃証言を就労詐欺による「慰安婦」集めの事例と考えるのであれば(千田氏はそう考えている)、「応募は未婚の若い女性に限られていました」という証言は朴裕河氏の主張に対する反証例ということになるだろう。

 研究者ならばともかく、一般の読者の場合、引用されている文献、参照されている文献にいちいちあたってみることまではしない、というのがふつうではないだろうか。それは市民が専門家に対して寄せる信頼の現れであろうし、また専門家の側はそうした信頼を裏切らないよう努めるはずである。千田氏が聞き取りをした「慰安婦」たちの「生の声」が『帝国の慰安婦』のテーゼを支えているのだ、と信じて同書を読んだ読者はその信頼を裏切られていると言わざるを得ない。

 なお朴裕河氏が千田氏の記述を誤読してありもしない写真を生み出してしまった事例についてはこちらの記事を、また(恐らくは)原史料にきちんと当たらなかったがゆえに「慰安婦」の年齢について大きく読者をミスリードする記述をしている点についてはこちらの記事を、それぞれ参照されたい。

(文責:能川 元一)

2015年3月8日日曜日

公開ワークショップ“「帝国の慰安婦」という問いの射程”について

 2015年2月22日、京都市の立命館大学において公開ワークショップ「『日韓の境界を越えて』〜帝国日本への対し方〜」の第2回として、「帝国の慰安婦」という問いの射程が行われ、本記事の筆者も参加してきた。ワークショップの内容については主催者により活字化される可能性もあるので、それを待って論評することにしたい。ここでは『帝国の慰安婦』という書物の受容のされ方に関わると思われるエピソードを紹介したい。

 冒頭のあいさつで司会者の西成彦氏は次のように発言された(私が記憶とメモに基づいて再構成したもの、以下同じ)。
(……)いかなる書物であっても純粋な知的好奇心と一定の礼節を持って受け止めるべきで、その価値をとやかく値踏みする暇があったら、むしろその書物を踏み台にして各自が何を考え、いかなる次の一手を繰り出していくかを追求していくのが読者の務めだと思っている。
まず深刻な性暴力の被害者がカミングアウトして国家犯罪を告発しているという問題を扱った書物について、「純粋な知的好奇心」でうけとめるのが唯一のあるべき読み方なのか? という疑問が浮かぶ。それはむしろ著者である朴裕河氏にとっても不本意なことなのではないだろうか? 西氏の意図がどのようなものであったにせよ、次のことを念のため確認しておきたい。「政治的」であることを避けることができない日本軍「慰安婦」問題を扱った文献について、非政治的であろうとすることもまた、極めて政治的な振る舞いである、と。

 また、なるほど研究者の共同体においては、各研究者が他の研究者の業績を「踏み台」としてさらなる達成を目指すものである。しかし個々の研究成果が一般市民にも開かれているものである以上、ある「書物」が「踏み台」とするに値するものか否かを吟味するのもまた、研究者の務めではないのだろうか? そうした作業を「とやかく値踏み」と否定的に評することであらかじめ封じるのは、開かれた議論のあり方として妥当だとは思えなかった。

 さらに、質疑応答の時間には上野千鶴子氏が『帝国の慰安婦』への好意的評価に対する批判について「あれかこれか、の二者択一に押しやるような言論」だと発言した。しかしながら、『帝国の慰安婦』に対する具体的な批判に向き合うことなくそれを「二者択一に押しやるような言論」として切り捨てることは、それこそ『帝国の慰安婦』を支持するか・しないかの二者択一に押しやることにはならないのだろうか? 日本語版の『帝国の慰安婦』が刊行されてからまだ3ヶ月もたっていない時点で、あたかも同書への批判的な検討を否定するかのような発言が司会者や登壇者からなされたことについては、強い違和感を感じざるを得なかった。

(文責:能川元一)