本稿では『帝国の慰安婦』における「性奴隷」概念をめぐる議論の多岐にわたる問題点をとりあげることにする。いうまでもなく、日本軍「慰安所」制度が「性奴隷制」であったという被害者支援団体、研究者、および国際社会の評価こそ日本の右派がもっとも否認しようとしているものの一つであり、この点に関する『帝国の慰安婦』の議論を検討することは同書が日本の言論空間でもつ意味を問うことにもつながる。
1. 「性奴隷」概念の誤解・曲解
まず驚かされるのは、日本軍「慰安所」制度を論じるうえで重要な意味をもつことになる「奴隷」の定義(「自由と権利を奪われ他人の所有の客体となる者」)をなんと韓国語版ウィキペディアから引用していることである(143ページ)。大学生がレポート課題においてウィキペディアに依拠することすら多くの大学教員によって問題視されているというのに、研究者が執筆し、「クォリティ・ペーパー」と目される新聞社の出版部門から刊行された著作にこのような引用があるというのは、著者の志を疑わせるに足る事実である。なお、韓国語版では「挺身隊」に関する記述についても日本語版ウィキペディアが出典とされている箇所があることを、鄭栄桓氏が指摘している(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)」)。
さて、朴裕河氏は上記のような「奴隷」の定義に基づき、「ほとんどの慰安婦は奴隷である」ことを認める(142ページ)。ところが彼女は同時に「朝鮮人慰安婦は必ずしもそのような『奴隷』ではない」とも主張する。これは一体どのような論理によるものだろうか?
一見すると対立する二つの主張の併存が可能になっている第一の理由は、「性奴隷」を定義する際に同書が「慰安婦=『性奴隷』が〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉ということを意味する限り」(142ページ、下線は引用者)と、「無償で」という要件を付け足していることである。確かに、右派が喧伝する「慰安婦=高収入」説に対して支援者や研究者は「お金はもらえなかった」といった被害者の証言を紹介したり、支払いに用いられた軍票の問題点(激しいインフレ、日本円ないし朝鮮銀行券との交換制限など)を指摘し、反論してきた。しかしこれは事実に照らして「慰安婦=高収入」説が誤りである(そのようなケースも確かに存在した一方で、一般的に高収入だったとは言えない、という意味で)からであって、「性奴隷」状態にあったことを裏付けるためではない。「〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉ということを意味する限り」という仮定そのものが不当なのであるから、その仮定に基づく主張ももちろん成立しない。
第二の理由は、「監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された」という状況にあったとしても「それが初めから『慰安婦』に与えられた役割ではないから」性奴隷ではない、というものである(143ページ)。「(朝鮮人)慰安婦」の役割は“擬似日本”の提供であった、という本書の主張が、それが日本軍の意図についてのものと解する限り史料的根拠が皆無であることはすでに別の記事で指摘しておいたが、それを措くとしても“実態がどうであれ最初から企図されたことではないから性奴隷ではない”などという論法が通用するのであれば、「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う『人づくり』に協力することを目的」としている技能実習制度の下で奴隷労働が強制されていても、日本政府は免責されてしまうことになってしまうだろう。
第三の理由は、「奴隷」の「主人」は日本軍ではなく「業者」であったというものである。問題は、朴裕河氏が永井和・京都大学教授により明らかにされた(注1)、1937年9月の野戦酒保規程の改正を無視して論じている点にある。第1条で野戦酒保に「必要ナル慰安施設ヲナス」ことを可能にした改正野戦酒保規定に基づいて設置された軍「慰安所」は「軍の後方施設の一種」(永井)ということになる。さらに第6条が「野戦酒保ノ経営ハ自弁ニ依ルモノトス但シ已ム得ザル場合(一部ノ飲食物等ノ販売ヲ除ク)ハ所管長官ノ認可ヲ受ケ請負ニ依ルコトヲ得」としている点の重要性も永井氏の指摘するところである。なぜなら、軍の直営ではない「慰安所」についても、軍の内部規程たる改正野戦酒保規程に基づいて経営を業者に委託したものということになり、「軍の後方施設の一種」である点では軍直営の「慰安所」と変わりがないことになるからである。
『帝国の慰安婦』は女性たちの「自由と権利」を奪った「直接的な主体」は「業者」であったとし、「構造的権力と現実的権力の区別」をすべきだとする(143ページ)。軍の「慰安婦」に対する関係は「『女性は家父長制的な家庭の奴隷だ』というような、大きな枠組みの中でのこと」だと矮小化される(同書)。しかし女性たちが奴隷状態におかれていたのが「軍の後方施設の一種」においてである以上、その奴隷状態に対する軍の関係は「家父長制」のような構造的なものにとどまるとは到底言えない。廃業を許可制とするような「慰安所」運営規則を日本軍自身が定めていたこと(馬来軍政監部、「慰安施設及旅館営業取締規程」など)を考えれば、なおさらである。
なお『帝国の慰安婦』は「慰安婦」が外出や廃業を「許可」された事例があったことをもって「外出や廃業の自由がなかったとするこれまでの考えを翻すものだ」(95ページ)という驚くべき主張をしている(79ページも参照)。廃業に「許可」が必要ならそれを「廃業の自由」などとは呼べないことは、先行研究において常識に属することである(当時の日本の公娼制においても建前上廃業は「届け出」ればそれで足り、許可を得る必要はないとされていた)。
これに関連して、朴裕河氏が「慰安婦が、国家によって自分の意思に反して遠いところに連れていかれてしまった被害者なら、兵士もまた、同じく自分の意思とは無関係に、国家によって遠い異国の地に『強制連行』された者である」(89ページ)と主張しているのも、「性奴隷」概念への無理解を示すものだ。当時において兵役は憲法上の根拠をもつ帝国臣民の義務であり、かつ社会的にも名誉なこととされていた。これに対して強制売春は当時においても違法であり、かつ売春そのものも「醜業」としてスティグマ化されていたのであって、単に「自分の意思に反して」という共通点をもって両者を同列に扱うのは詭弁というしかない。一切の兵役を「奴隷的拘束及び苦役」として批判し、また兵役によらねば可能とならない一切の戦争を批判する立場から従軍を「強制連行」とするならともかく、「慰安婦=性奴隷」という認識を否定するためにこのような相対化を行うことは欺瞞的ではないだろうか。なお、「外出が許可されていた」も「強制というなら兵士も同じ」も、日本の右派がしばしば主張することである、ということも付言しておく。
2. 「慰安婦」問題否認論者の「記憶」?
「慰安婦問題を否定してきた人たちが〈強制性〉を否定してきたのは、慰安婦をめぐるさまざまな状況のうち、自らの記憶にのみこだわるためである。そしてその多くは「強制連行」や「二〇万人」という数字に反発した」(144ページ)とか「慰安婦問題を否定する人たちが、民間人が勝手に営業したと主張するのは、このような記憶が残っているからだろう」(104ページ)(注2)というのも、「慰安婦」問題否認論の実態に即さない議論である。
そもそも否定論者の「記憶」とはなんだろうか? 「慰安婦問題を否定してきた人たち」の主張が具体的にとりあげられることがないため、まずもってこの点が曖昧である。もしこれが自身の体験についての「記憶」を意味するのであれば、1991年の段階でそのような「記憶」をもっていた日本人は圧倒的な少数派であったことをまず指摘しなければならない。敗戦時に15歳だった人がすでに60歳を越えていた時期である。戦中に成人していた世代でも従軍して「慰安所」を見聞した体験を持つ日本人は日本人全体の中では少数派にとどまる。軍が一切関与しない「慰安所」しか見聞しなかった日本人はさらにその一部でしかない。否定派の主導的イデオローグのうち戦後生まれの西岡力氏はもとより、戦中生まれの秦郁彦氏ですら「慰安所」についての実体験はもっていない。他方、軍人として「慰安所」設置に関わった実体験をもつ中曽根康弘元首相などは、かつて自ら慰安所開設に関わったことを明らかにしていたにもかかわらず、07年に海外メディアにその点を追及されると自らの記憶に反して売買春施設としての「慰安所」への関与を否認したのである(その後、主計将校だった中曽根氏が「慰安所」を開設したことを示す公文書が発見された)。
さらに、もし戦前世代の「記憶」を引き合いに出すのであれば、公娼制が当時においても「事実上の奴隷制度」として批判されていたこと、戦前・戦中においてすでに過半数の都道府県で公娼制が廃止されるか廃娼決議がなされていたことについての「記憶」も問題とされねばならないはずなのに、否定派がそうした「記憶」に依拠することはない。このような、極めてイデオロギー的な「記憶」の選別を『帝国の慰安婦』は看過している。
ではこの「記憶」は「国民の記憶」と理解すべきなのだろうか? 「二〇万人ではない」という記憶のベースとなるような個人的な体験を持ちうる人間はほとんどいないので(注3)、朴氏の言う「記憶」は「国民の記憶」と理解した方がよいようにも思える。しかし「慰安婦」問題が浮上した1991年末〜92年初頭の時期において、「強制連行ではない」「二〇万人ではない」「民間人が勝手に営業した」などといった「国民の記憶」が成立していたとは言えないだろう。そこにあったのはむしろ「記憶の欠如」と言うべきである。日本の「慰安婦」問題否認派は「強制連行ではない」「二〇万人ではない」「民間人が勝手に営業した」という「国民の記憶」を創造すべく活動していたのであり、すでに成立していた「国民の記憶」に依拠していたわけではあるまい。
3. 被害者を盾にした「性奴隷」否認 おそらく日本の“リベラル派”にもっとも評価されるであろう主張は、次のようなものであろう。
2013年6月13日放送の TBS ラジオ「荻上チキ・Session-22」において行われた秦郁彦・吉見義明両氏の討論(「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」)で露呈した両者の認識の食い違い(注4)もこの点と関わっている。公娼制について秦氏が「娘たちは騙されたと感じるのもあるでしょう」「自由意志か自由意志でないかっていうのは非常に難しいんですね。家族のためにっていうことで、誰が判定するんですか」などと女性の意識に焦点をあわせているのに対して、吉見氏は一貫して公娼制が人身売買を前提としたシステムであったことを指摘している。身売りされたことを「家族を助けられてよかった」と考える公娼が存在したとしても公娼制という制度の人権侵害性が否定されないのと同じように、日本軍「慰安所」が人身売買や略取誘拐による徴集や廃業を許可制とする規則等によって機能していた制度であることは、「慰安婦」の体験や記憶の多様性によって否定できることではない。 また、現実が持つ多様な側面のうちの一部しか捉えきれないというのは「名指し」という行為がはらむ原理的な問題であって、「帝国の慰安婦」という呼称もまたそうした限界を免れているわけではない。「帝国の慰安婦」という用語法がなにを「隠蔽」しているのかも問われることになるだろう。
さらに、もし戦前世代の「記憶」を引き合いに出すのであれば、公娼制が当時においても「事実上の奴隷制度」として批判されていたこと、戦前・戦中においてすでに過半数の都道府県で公娼制が廃止されるか廃娼決議がなされていたことについての「記憶」も問題とされねばならないはずなのに、否定派がそうした「記憶」に依拠することはない。このような、極めてイデオロギー的な「記憶」の選別を『帝国の慰安婦』は看過している。
ではこの「記憶」は「国民の記憶」と理解すべきなのだろうか? 「二〇万人ではない」という記憶のベースとなるような個人的な体験を持ちうる人間はほとんどいないので(注3)、朴氏の言う「記憶」は「国民の記憶」と理解した方がよいようにも思える。しかし「慰安婦」問題が浮上した1991年末〜92年初頭の時期において、「強制連行ではない」「二〇万人ではない」「民間人が勝手に営業した」などといった「国民の記憶」が成立していたとは言えないだろう。そこにあったのはむしろ「記憶の欠如」と言うべきである。日本の「慰安婦」問題否認派は「強制連行ではない」「二〇万人ではない」「民間人が勝手に営業した」という「国民の記憶」を創造すべく活動していたのであり、すでに成立していた「国民の記憶」に依拠していたわけではあるまい。
3. 被害者を盾にした「性奴隷」否認 おそらく日本の“リベラル派”にもっとも評価されるであろう主張は、次のようなものであろう。
何よりも、「性奴隷」とは、性的酷使以外の経験と記憶を隠蔽してしまう言葉である。慰安婦たちが総体的な被害者であることは確かでも、そのような側面にのみ注目して、「被害者」としての記憶以外を隠蔽するのは、慰安婦の全人格を受け入れないことになる。それは、慰安婦たちから、自らの記憶の〈主人〉になる権利を奪うことでもある。他者が望む記憶だけを持たせれば、それはある意味、従属を強いることになる。(143ページ)152ページでも同様の主張が繰り返されている。一見すると被害者の主体性に配慮したもっともらしい主張に思えるこの議論が無視しているのは、「性奴隷」というのが被害者に貼られたレッテルではなく、日本軍「慰安所」制度の人権侵害性を告発するための概念だ、という点である。被害者となった女性たちの体験がことごとく「性奴隷であった」ことに還元されると主張している者など存在しない。「慰安所」における女性たちの体験が多様であるのはもちろんのことだし、さらに「慰安所」での体験を自分の個人史の中にどう位置づけ、どう意味づけるかも本人に委ねられるべき問題である。しかしそのことと、旧日本軍がつくりあげた軍「慰安所」制度をどう評価するかという問題とは別である。
2013年6月13日放送の TBS ラジオ「荻上チキ・Session-22」において行われた秦郁彦・吉見義明両氏の討論(「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」)で露呈した両者の認識の食い違い(注4)もこの点と関わっている。公娼制について秦氏が「娘たちは騙されたと感じるのもあるでしょう」「自由意志か自由意志でないかっていうのは非常に難しいんですね。家族のためにっていうことで、誰が判定するんですか」などと女性の意識に焦点をあわせているのに対して、吉見氏は一貫して公娼制が人身売買を前提としたシステムであったことを指摘している。身売りされたことを「家族を助けられてよかった」と考える公娼が存在したとしても公娼制という制度の人権侵害性が否定されないのと同じように、日本軍「慰安所」が人身売買や略取誘拐による徴集や廃業を許可制とする規則等によって機能していた制度であることは、「慰安婦」の体験や記憶の多様性によって否定できることではない。 また、現実が持つ多様な側面のうちの一部しか捉えきれないというのは「名指し」という行為がはらむ原理的な問題であって、「帝国の慰安婦」という呼称もまたそうした限界を免れているわけではない。「帝国の慰安婦」という用語法がなにを「隠蔽」しているのかも問われることになるだろう。
(文責:能川 元一)
これとほぼ同じ内容のものが著者自身によりインターネットで公開されている。
http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html
注2 なお、『帝国の慰安婦』は千田夏光氏の『“声なき女”八万人の告発−−従軍慰安婦』から、自分が目撃した「慰安所」について「形としては、民間人が勝手にやって来て勝手に営業している、ということだったのでしょう」などと語る元兵士の証言を引用した上で、「慰安婦問題を否定する人たちが、民間人が勝手に営業したと主張するのは、このような記憶が残っているからだろう」としている。しかしこの元兵士は、『帝国の慰安婦』が引用していない部分では「北部中国に軍の管理する慰安婦と慰安所ができたのは三月か四月ごろではなかったかと思います」(双葉版184ページ、文庫版223-224ページ)と証言しているのである。「軍の管理する慰安婦と慰安所」を記憶していた人物の証言を引いて「慰安婦問題を否定する人たちが、民間人が勝手に営業したと主張するのは、このような記憶が残っているからだろう」と主張する手法には、控えめに言っても驚きを覚えざるを得ない。
注2 なお、『帝国の慰安婦』は千田夏光氏の『“声なき女”八万人の告発−−従軍慰安婦』から、自分が目撃した「慰安所」について「形としては、民間人が勝手にやって来て勝手に営業している、ということだったのでしょう」などと語る元兵士の証言を引用した上で、「慰安婦問題を否定する人たちが、民間人が勝手に営業したと主張するのは、このような記憶が残っているからだろう」としている。しかしこの元兵士は、『帝国の慰安婦』が引用していない部分では「北部中国に軍の管理する慰安婦と慰安所ができたのは三月か四月ごろではなかったかと思います」(双葉版184ページ、文庫版223-224ページ)と証言しているのである。「軍の管理する慰安婦と慰安所」を記憶していた人物の証言を引いて「慰安婦問題を否定する人たちが、民間人が勝手に営業したと主張するのは、このような記憶が残っているからだろう」と主張する手法には、控えめに言っても驚きを覚えざるを得ない。
注3 軍中央が「慰安婦」の人数に関する統計を集約しており、その統計資料を見たという軍官僚がいたとすれば「二〇万人ではない」という個人的記憶が成立しうることになるが、そのような証言がないからこそ研究者は兵員数その他の数値から「慰安婦」の総数を推定せざるを得なくなっているのである。
注4 筆者はPodcastで聴取。討論の内容を聴取者が書き起こしたものがインターネット上で公開されている。
http://radio-critique.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/session-22tbs20.html
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20130703/p1
注4 筆者はPodcastで聴取。討論の内容を聴取者が書き起こしたものがインターネット上で公開されている。
http://radio-critique.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/session-22tbs20.html
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20130703/p1