ラベル 朴裕河『帝国の慰安婦』 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 朴裕河『帝国の慰安婦』 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年12月30日水曜日

「上野千鶴子の「慰安婦」論——日本フェミニストによる相対主義の暴力」を受けての議論

  2015年11月30日に当会が開催した読書会では、李杏理氏(近現代史)による報告「上野千鶴子の「慰安婦」論——日本フェミニストによる相対主義の暴力」に続いて参加者による意見交換が行われた。主な議論を紹介する(以下、敬称略)。

1. 韓国のナショナリズム・運動批判について

  • 韓国でも上野千鶴子が朴裕河受け入れの土壌を作った?
李杏理が上野千鶴子による「慰安婦」論の特徴と朴裕河『帝国の慰安婦』に共通する点を挙げたのを受けて両者の関係に関する議論が行われた。韓国では、上野千鶴子の『ナショナリズムとジェンダー』が、日本で新版が出た2012年からそう間をおかない2014年に韓国語にも訳され、刊行されている。上野の著作にはナショナリズム批判が入っているから韓国でも日本でもフェミニストに受け入れられる要素があり、それがある種、朴裕河をも受け入れる土壌になっているのではないか、という問題提起がなされた。ナショナリズム(民族主義)の男性中心の言説によってフェミニストは苦しめられてきたことがあり、ナショナリズム批判という点では、フェミニストは共有できることがあるからとも指摘された。  だが、初期の段階では挺対協についても批判されるべき言説があったことも事実であるとはいえ、90年代の挺対協についてまで、上野が山下英愛の主張のみに依拠して、挺対協のナショナリズム批判をすることには疑問もある、という意見も出された。
  • 「加害国民」の視点を欠落させた韓国の運動批判
「キーセン観光」についても、『ナショナリズムとジェンダー』(旧版:pp.103-104)において、植民地責任が果たされていない段階で、しかも、日本人男性が買春観光に来るということが、被害者や被害者支援運動には「慰安婦」時代の記憶と重なって見える、という韓国と日本相互の背景を上野は捨象しているのではないかという意見も述べられた。  当時、韓国の女性運動がキーセン観光をどのように批判したかというと、「現代版挺身隊」と呼んだのであり、それは「慰安婦」の記憶が残る韓国独自の視点であった。当時は、日本人観光客の9割が日本人男性であり、日本人は団体のツアーで来るなど組織的でもある。そうした「慰安婦」問題と共通する「性の侵略」の問題とみなされていたのである。だが、上野は、そうしたキーセン観光への韓国での批判のまなざしの時代的文脈を無視して、他国と比較などと言っているのではないかと指摘された。
  さらに、上野は、実際に、民衆法廷(女性国際戦犯法廷)
などで「慰安婦」被害者の支援や「慰安婦」問題を広く社会に問う運動を牽引した松井やよりを評価せずに、単に1970年代のウーマン・リブ運動の中で「慰安婦」について早く語ったリブ運動や田中美津を評価しており、女性運動の評価という点で見るなら疑問がある、という意見も出された。
  • フェミニズム運動の歴史を捨象している
上野の著作では、「フェミニズムはナショナリズムを超えられるか」(旧:pp.194〜199)という問題設定を出しているにもかかわらず、ナショナリズムを超えたフェミニズムの運動を評価しようとしていないのではないかという意見も出た。高橋哲哉が『ナショナリズムと「慰安婦」問題』において、「アジアでもドイツでも性暴力の問題に取り組む女性たちの1970〜1980年代の活動」があったこと、そうした「『反性暴力』の国際ネットワーク」の活動が広く行われていたことが、1990年代に入り元「慰安婦」のカミングアウトを生む土壌となったことを評価している。一方上野は、そうした国際的なフェミニズム運動の連帯の歴史を捨象したまま、「フェミニズムはナショナリズムを超えられるか」という議論を韓国だけを議題にして行い、結論として「超えられない」とまとめているのは、フェミニズムの著作として疑問であるという指摘であった。
2. 議論の方法について
  • 主張が一貫しない
  上野千鶴子の『ナショナリズムとジェンダー』の議論を読み直して、かつてはこんなこと言っていたのに、今は(相反する)朴裕河を擁護していると思う部分がある。例えば、第二部「『従軍慰安婦』問題をめぐって」の「8.『対日協力』の闇」というところ(旧版:pp.132-134)では、「強制徴用が「日帝協力」なら、「慰安婦」も同じ論理で扱われる可能性があるだろうか」、「「慰安婦」犯罪の加害責任を問う動きは、犯罪者の訴追を要求しているが、それは韓国内の対日協力問題を暴くことで、いっそうの反日ナショナリズムを強める方向に動くのだろうか」と書いていたのに、現在は「「慰安婦」と同志的関係にある」という朴裕河の主張を支持している。この点は、かつての考えとは全く異なる主張へと変わっている、という意見も出た。  「「対日協力」という闇」(旧版: p.32〜)については、「「対日協力」という闇」が暴かれていないように述べているが、実際に真相究明などたくさん行われており、「闇」は暴かれており、また暴くことを抑圧していないにもかかわらず、上野はそうした事実を書かないで、「反日ナショナリズム」という、文脈から外れた議題設定を持ち出しているのは、非常に疑問が大きいという指摘が出された。  また、最近になって上野は、国民基金を批判してきたと言っている点でも、主張の軸がどんどん変わっていく印象があり、議論の軸が変わっていくため、反論もしづらいという意見も出た。
  • 文脈から浮き上がった議論
  上野は、問題を文脈から浮き出たように示し、多くの人をわかった気にさせる書き方をする傾向があり、その書き方が問題だと思うという指摘がなされた。しかし、真面目な研究者のものは、マスコミもあまり喜ばない現実がある一方、上野のような文脈から浮き出た(遊離している)ような書き方をする方がマスコミも喜び、どんどん読者も増えていくという面があるのではないかということも議論された。
 『ナショナリズムとジェンダー』も、「慰安婦」問題の文脈から離れており、浮き上がっているゆえに広く読まれた面があるのではないか、という問題提起もなされる一方、「言語論的転回」といった最新の学術用語を振りかけてもっともらしい言論に見せかけている面も指摘された。ただ、こうした文脈から浮き上がった議論については、批判は容易ではなく、かつ、丁寧な議論を要することもあり、なかなか多くの人には伝わっていきづらいのが課題であるという点についても、議論が行われた。
3. 相対主義・脱ナショナリズムにもとづく「慰安婦」論への批判の必要性
  最近、「慰安婦」問題が政治問題化している中、日本では、上野が依然影響力を持ち続けており、女性史研究などで、かつては共有されていた上野への批判が見えなくなっているという指摘も出された。最近、新たに多く刊行されている「慰安婦」関連本をみると、上野と同様に、(文脈を踏まえない)議論をする論者が出始めていることも話題になった。
  一方、韓国では、これまであまり注目されず、読まれてもいなかった朴裕河が読まれ始めているという指摘も出た。韓国語版では、日本語版で日本人のために入っている「言い訳」的な補足がない分、読みやすいということもあり、新鮮な視点として読まれているのではないかという主張もされた。とりわけ今年になって、起訴されたりして注目を集めているので、朴裕河への批判も重要だという意見も出た。
  娼婦差別、セックスワーカーに関する議論がやりづらい、やってこなかったことの弊害が出ているのではないかという意見も出された。  そもそも、韓国では、セオウル号、国定教科書etcと次々と大きな問題が起こり、「慰安婦」問題には、一般論で言えば、近年はそう大きな関心が寄せられて来なかったという指摘もなされ、それについての議論も行われた。
  結論として、上野千鶴子や朴裕河のような、相対主義・脱ナショナリズムにもとづく「慰安婦」論への批判は、丁寧に行っていく必要があるという認識が共有された。
 (まとめ:斉藤正美)

2015年12月14日月曜日

日本フェミニストによる相対主義の暴力

2015年11月30日、当会では上野千鶴子氏による「慰安婦」論について李杏理が報告した(「日本フェミニストによる相対主義の暴力」)。
 「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」(2015年11月26日)には、上野千鶴子、加納実紀代、加藤千香子、千田有紀、竹内栄美子ら(敬称略;以下同様)フェミニストも賛同人に名を連ねている。  この声明で言及されている朴裕河『帝国の慰安婦』の問題点は、すでに当会で議論してきた。  とくに上野千鶴子は、以前から朴裕河『和解のために』(平凡社、2006年)あとがきや新聞での評論を通じて朴裕河の議論を積極的に評価してきた。  なぜ、日本人フェミニストが朴裕河を擁護するのか。フェミニストによる相対主義・脱ナショナリズムにもとづく「慰安婦」論の陥穽を論じたい。  上野千鶴子による「慰安婦」論の特徴は次の3点に要約できる。それは、朴裕河『帝国の慰安婦』に共通する特徴である。
 ①「慰安婦」の存在は単一ではなく多様である(「文書史料中心主義」批判、「モデル被害者像」批判および「慰安婦=非公娼」論批判)  ②ナショナリズムを内包する思想と運動も、「慰安婦」問題の解決を阻んできた(挺対協や尹貞玉批判。家父長制パラダイムの特権化。国家責任論批判)  ③「慰安婦」問題は、日本だけの問題ではない(旧帝国間の共通性。基地村・朝鮮戦争下の「慰安婦」。国際法・国連勧告の軽視)
 ①について、上野は強制性をめぐる論争において「文書史料の不在を問題にするべきだ」と吉見義明を批判した。それに対し吉見は、上野が強制性や日本軍の「関与」を示す史料がないとしていることがそもそも誤りであると反論している(『ナショナリズムと「慰安婦」問題』、日本の戦争責任資料センター、2003年)。  また上野は、『ナショナリズムとジェンダー』(岩波書店、2012年新版)のなかで、ジェンダー・ヒストリーが打ち出した方法論を呈示し、歴史の「視角」こそが重要であるとする。だが、その立場に立つならば男性中心主義または官僚主義的な「視角」こそが問われるべきではないか。吉見が公文書を使っていることをもってジェンダー史に反しているとするのは形式主義であり、内容を問うていない。  そして「モデル被害者」像については、「売春パラダイムとの対抗を強調するあまり……「連行時に処女であり、完全にだまされもしくは暴力でもって拉致され、逃亡や自殺を図ったが阻止された」という「無垢な被害者」像を聞き手の側が作りあげているとする。「女性に純潔を要求する家父長制パラダイムの、それと予期せぬ共犯者になりかねない」と批判している(同上著)。これは、朴裕河も『帝国の慰安婦』で「私たちが望む慰安婦」の姿に過ぎない」とした。  しかし、金富子が指摘しているように朝鮮人「慰安婦」に未成年や「処女」が多かったのは事実であり(金富子「「植民地の慰安婦」こそが実態」文化センター・アリラン連続講座第6回、2015年10月17日レジュメ)、「少女」の被害者像は事実を反映している。また、支援団体はたとえ連行時に成年だったとしても、もと「売春女性」であっても被害者を受け入れてきたし、誰であれ「詐欺・暴行・脅迫・権力濫用、その他一切の強制手段によって」(婦女売買に関する国際条約)性行為を強要されてはならないことも指摘してきた。  さらに、上野は「慰安婦」を「軍隊性奴隷制」と捉えることについて、「「売春」パラダイムとの対抗を強調するあまり、被害者の「任意性」を極力否定しなければならない」。「ここでは「軍隊性奴隷」パラダイムは、韓国の反日ナショナリズムのために動員されている」(同上著)と述べる。  小野沢あかねや吉見義明も指摘しているように、公娼制度は事実上の性奴隷制度であったが、日本軍「慰安婦」制度には公娼制にあったような名目的な「廃業の自由」すらなかった。さらに、婦女売買に関する国際条約において、21歳未満を徴集してはならないとされたが、それが植民地女性には適用されなかったのだ。  なお、挺対協が戦争犯罪としての責任を日本政府が回避したことを批判する文脈において、公娼制度と軍「慰安婦」の違いを強調したことがあったが、それをもって日本人「慰安婦」が「自由意思」だったと認識「しかねない」とするのは論理飛躍である(山下英愛の議論を上野が引用)。  上野や朴の議論は、植民地女性が法の外に置かれていたことへの再審の必要性と犯罪性を問うてきた争点をぼかす役割を果たしている。  ②について、上野は『和解のために』あとがきで、「「国家による公式謝罪と補償」を唯一の解として、国家対国家、民族対民族の対立の構図がつくられたのは、一部は韓国内の女性団体のナショナリズムにも原因がある」とする。「国家による公式謝罪と補償」を「唯一の解」と極端に表現して否定し、争点をぼかすことで日本国がなした組織犯罪への処罰を困難にする。  また、韓国の「慰安婦」研究者である尹貞玉が、松井やよりを「民族に対する理解が足りない」と述べたことについて、「日本のフェミニストはそれぞれの思いと論理……を韓国のフェミニストと完全に共有することは可能でもないし、必要でもない」とする。  植民地女性が法外な被害を受けたことからもわかるように、日本軍「慰安婦」は民族とジェンダー両方にまつわる問題である。そこで尹が問うた「民族」とは何かという考察もなく、切り捨ててしまった。日本の主権者が日本のあり方について具体的に問われている関係性において線を引き、「相手がなぜそう言うのか」を思考することをやめてしまったのである。  なにより『和解のために』は、「慰安婦」の強制性を矮小化し、補償や謝罪は済んでいるかのように自民党・日本政府の見解を代弁して(金富子「「慰安婦」問題と脱植民地主義:歴史修正主義的な和解への抵抗」、『継続する植民地主義とジェンダー』、世織書房、2011年)、国家主導の「和解」を演出している。そして実際に、外交筋や保守論壇においても称賛を受けている(和喜多祐一「今後の日韓関係と歴史認識問題:歴史認識の壁はなぜ生ずるのか」『立法と調査』337号、2013年2月;久保田るり子「朴裕河氏の『和解のために』再読」『外交』外務省23号、2014年1月)。  朴裕河の議論は多くの事実誤認を含んでいるにもかかわらずそれを評価し、和解劇を補強した上野の責任が問われている。  ③について、高橋哲哉が「日本人」として「責任をとる」といったことについて、「帝国主義国家の「原罪」」と名指し、他国と比較することを説く。「例えばキーセン観光についても、アメリカ人やドイツ人の客もいたのに他の国籍の男にも同じよう批判を向けられただろうかと考える。従軍慰安婦運動の中にある韓国ナショナリズムの問題と、それに対する批判を封じて神聖不可侵にしていった日本の運動を見て、これでいいんだろうかという気持ちはありました」(上野千鶴子・加納美紀代「フェミニズムと暴力」、『リブという〈革命〉』、インパクト出版、2003年)。  ここでは、帝国諸国それぞれの罪を問うというよりも、「日本のみが悪い訳ではない」とする相対主義に陥っている。告発する側の「ナショナリズム」に問題があるということによってあたかも自らは普遍の側に、被害者の属する国は特殊の側に置く。  「日本人のフェミニストが日本国の構成員であるところの責任主体として、この「慰安婦」問題という具体的課題にいかに取り組み、それを思想的課題として、実践的課題として、いかに超えていくか」(金富子)という問いが等閑視されているのだ。  日本女性の戦争責任を問う「反省的女性史」について「絶対的な視点」や「戦後的な視点」と言って切り捨て、自らはただなに国民でもない無色透明な「女」であろうとすることは、国民主義の特権にあずかる自らの現実をも見えなくすることだ。 まとめ  日本リベラルにおける「慰安婦」論・朴裕河評価とそこからみる思想の頽廃とは、ナショナリズム批判という衣をかぶって告発者に責任をなすりつけ、日本の戦争犯罪をどう裁くかという問いをぼかすことにある。性被害という傷を世にさらけ出した「慰安婦」サバイバーの告発をうけて、真に過去の克服のためにつなげようとする運動がなされ、社会的な関心が芽生えた。その萌芽を上野千鶴子らはそれらしい言説に押し込めてしおれさせ、人びとに「慰安婦」当事者の声を聞けなくさせてしまった。そして「国家を超える女」といった普遍的な言説や相対主義によって日本の侵略責任・植民地支配責任を問わなくてすむような閾値の設定と現状追認がなされている。右派の否定論のみならず、リベラルによる被害の相対化によって「慰安婦」サバイバーはさらに葬られようとしているのだ。 (李杏理)

2015年4月22日水曜日

『帝国の慰安婦』における日本免罪論について

 『帝国の慰安婦』を特徴づけているのは「日本に対し『法的責任』を問いたくても、その根拠となる『法』自体が存在しない」(319ページ)という認識である。この認識は本書の各所で繰り返されている。「〔慰安婦の〕需要を生み出した日本という国家の行為は、批判はできても『法的責任』を問うのは難しい」(46ページ)、「強姦や暴行とは異なるシステムだった『慰安』を犯罪視するのは、少なくとも法的には不可能である」(172ページ)、「日本国家に責任があるとすれば、〔人身売買を〕公的には禁止しながら実質的には(個別に解放したケースがあっても)黙認した(といっても、すべて人身売買であるわけではないので、その責任も人身売買された者に関してのことに限られるだろうし、軍上層部がそうしたケースもあることを認知していたかどうかの確認も必要だろう)ことにある」(180ページ)、「『慰安』というシステムが、根本的には女性の人権にかかわる問題であって、犯罪的なのは確かだ。しかし、それはあくまでも〈犯罪的〉であって、法律で禁じられた〈犯罪〉ではなかった」(201ページ)といった具合である(その他、33-34ページも参照)。  この議論の奇妙さは、「法的責任」を考えるにあたって刑法(〈犯罪〉)しか考慮に入れていないことと、さらに刑法の中でも略取誘拐の罪や強姦罪などしか考慮に入れていない、という点にある。  まず後者について述べると、周知のように当時の刑法においても「帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買シ又ハ被拐取者若クハ被売者ヲ帝国外ニ移送シタル者」は「二年以上ノ有期懲役ニ処ス」とされていた(海外移送罪、刑法226条後段)。また「営利又ハ猥褻ノ目的ヲ以テ被拐取者若クハ被売者ヲ収受シタル者」は「六月以上七年以下ノ懲役ニ処ス」ともされていた(収受罪、同227条後段)。この海外移送罪と収受罪(軍「慰安所」が「営利又ハ猥褻ノ目的」を持っていることは疑いの余地がない)が略取誘拐の被害者の海外移送・収受だけでなく人身売買された者の海外移送・収受をも処罰の対象としていることは重要である。朴裕河氏は「軍上層部がそうしたケースもあることを認知していたかどうかの確認も必要」としているが、平時の公娼制においても人身売買によってセックス・ワーカーが集められていたことは当時の常識に属することであり、略取誘拐ならばともかく人身売買の被害者を移送し、「慰安所」に収受していたことを軍中央が「認知」していなかったなどという弁明は、そうした常識を踏みにじるものだからである。  また91年以降の日本軍「慰安婦」問題において「補償」が焦点の一つだったことを考えれば、刑法に絞って「法的責任」を考えるのも奇妙と言わざるを得ない。元「慰安婦」たちが起こした訴訟の経緯を参照してみれば、『帝国の慰安婦』の誤りは直ちに明らかになる。アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟(1991年提訴)の高裁判決は、金学順さんら3名の元「慰安婦」の請求を棄却しつつも、日本政府の責任に関して次のように判断している(下線は引用者、引用文中の「被控訴人」は日本政府を指す)。
(4)民法の不法行為に基づく請求について、現行憲法下では、国家賠償法施行前における公務員の権力的作用に伴う損害賠償請求についても民法の不法行為による損害賠償請求を、いわゆる国家無答責の法理で否定すべきものと解されない。しかし、被控訴人が戦争を遂行する国の権力作用として命じ、ないしはそれに付随した行為に基づき軍人軍属関係の控訴人らに生じた損害につき、被控訴人が民法上の不法行為責任を負うか否かは、結局、安全配慮義務違反の事実があるか否かの判断と同じである。軍隊慰安婦関係の控訴人ら軍隊慰安婦を雇用した雇用主とこれを管理監督していた旧日本軍人の個々の行為の中には、軍隊慰安婦関係の控訴人らに軍隊慰安行為を強制するにつき不法行為を構成する場合もなくはなかったと推認され、そのような事例については、被控訴人は、民法 715 条 2 項により不法行為責任を負うべき余地もあったといわざるを得ない。
 日本の司法において日本軍・日本政府の「法的責任」を追及する試みが不発に終わったのは事実だが、それは「その根拠となる『法』自体が存在しない」からでは決してなかったのである。

(文責:能川 元一)

2015年4月10日金曜日

『帝国の慰安婦』における「性奴隷」概念について

 本稿では『帝国の慰安婦』における「性奴隷」概念をめぐる議論の多岐にわたる問題点をとりあげることにする。いうまでもなく、日本軍「慰安所」制度が「性奴隷制」であったという被害者支援団体、研究者、および国際社会の評価こそ日本の右派がもっとも否認しようとしているものの一つであり、この点に関する『帝国の慰安婦』の議論を検討することは同書が日本の言論空間でもつ意味を問うことにもつながる。 1. 「性奴隷」概念の誤解・曲解  まず驚かされるのは、日本軍「慰安所」制度を論じるうえで重要な意味をもつことになる「奴隷」の定義(「自由と権利を奪われ他人の所有の客体となる者」)をなんと韓国語版ウィキペディアから引用していることである(143ページ)。大学生がレポート課題においてウィキペディアに依拠することすら多くの大学教員によって問題視されているというのに、研究者が執筆し、「クォリティ・ペーパー」と目される新聞社の出版部門から刊行された著作にこのような引用があるというのは、著者の志を疑わせるに足る事実である。なお、韓国語版では「挺身隊」に関する記述についても日本語版ウィキペディアが出典とされている箇所があることを、鄭栄桓氏が指摘している(「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)」)。  さて、朴裕河氏は上記のような「奴隷」の定義に基づき、「ほとんどの慰安婦は奴隷である」ことを認める(142ページ)。ところが彼女は同時に「朝鮮人慰安婦は必ずしもそのような『奴隷』ではない」とも主張する。これは一体どのような論理によるものだろうか?  一見すると対立する二つの主張の併存が可能になっている第一の理由は、「性奴隷」を定義する際に同書が「慰安婦=『性奴隷』が〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉ということを意味する限り」(142ページ、下線は引用者)と、「無償で」という要件を付け足していることである。確かに、右派が喧伝する「慰安婦=高収入」説に対して支援者や研究者は「お金はもらえなかった」といった被害者の証言を紹介したり、支払いに用いられた軍票の問題点(激しいインフレ、日本円ないし朝鮮銀行券との交換制限など)を指摘し、反論してきた。しかしこれは事実に照らして「慰安婦=高収入」説が誤りである(そのようなケースも確かに存在した一方で、一般的に高収入だったとは言えない、という意味で)からであって、「性奴隷」状態にあったことを裏付けるためではない。「〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉ということを意味する限り」という仮定そのものが不当なのであるから、その仮定に基づく主張ももちろん成立しない。  第二の理由は、「監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された」という状況にあったとしても「それが初めから『慰安婦』に与えられた役割ではないから」性奴隷ではない、というものである(143ページ)。「(朝鮮人)慰安婦」の役割は“擬似日本”の提供であった、という本書の主張が、それが日本軍の意図についてのものと解する限り史料的根拠が皆無であることはすでに別の記事で指摘しておいたが、それを措くとしても“実態がどうであれ最初から企図されたことではないから性奴隷ではない”などという論法が通用するのであれば、「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う『人づくり』に協力することを目的」としている技能実習制度の下で奴隷労働が強制されていても、日本政府は免責されてしまうことになってしまうだろう。  第三の理由は、「奴隷」の「主人」は日本軍ではなく「業者」であったというものである。問題は、朴裕河氏が永井和・京都大学教授により明らかにされた(注1)、1937年9月の野戦酒保規程の改正を無視して論じている点にある。第1条で野戦酒保に「必要ナル慰安施設ヲナス」ことを可能にした改正野戦酒保規定に基づいて設置された軍「慰安所」は「軍の後方施設の一種」(永井)ということになる。さらに第6条が「野戦酒保ノ経営ハ自弁ニ依ルモノトス但シ已ム得ザル場合(一部ノ飲食物等ノ販売ヲ除ク)ハ所管長官ノ認可ヲ受ケ請負ニ依ルコトヲ得」としている点の重要性も永井氏の指摘するところである。なぜなら、軍の直営ではない「慰安所」についても、軍の内部規程たる改正野戦酒保規程に基づいて経営を業者に委託したものということになり、「軍の後方施設の一種」である点では軍直営の「慰安所」と変わりがないことになるからである。  『帝国の慰安婦』は女性たちの「自由と権利」を奪った「直接的な主体」は「業者」であったとし、「構造的権力と現実的権力の区別」をすべきだとする(143ページ)。軍の「慰安婦」に対する関係は「『女性は家父長制的な家庭の奴隷だ』というような、大きな枠組みの中でのこと」だと矮小化される(同書)。しかし女性たちが奴隷状態におかれていたのが「軍の後方施設の一種」においてである以上、その奴隷状態に対する軍の関係は「家父長制」のような構造的なものにとどまるとは到底言えない。廃業を許可制とするような「慰安所」運営規則を日本軍自身が定めていたこと(馬来軍政監部、「慰安施設及旅館営業取締規程」など)を考えれば、なおさらである。  なお『帝国の慰安婦』は「慰安婦」が外出や廃業を「許可」された事例があったことをもって「外出や廃業の自由がなかったとするこれまでの考えを翻すものだ」(95ページ)という驚くべき主張をしている(79ページも参照)。廃業に「許可」が必要ならそれを「廃業の自由」などとは呼べないことは、先行研究において常識に属することである(当時の日本の公娼制においても建前上廃業は「届け出」ればそれで足り、許可を得る必要はないとされていた)。  これに関連して、朴裕河氏が「慰安婦が、国家によって自分の意思に反して遠いところに連れていかれてしまった被害者なら、兵士もまた、同じく自分の意思とは無関係に、国家によって遠い異国の地に『強制連行』された者である」(89ページ)と主張しているのも、「性奴隷」概念への無理解を示すものだ。当時において兵役は憲法上の根拠をもつ帝国臣民の義務であり、かつ社会的にも名誉なこととされていた。これに対して強制売春は当時においても違法であり、かつ売春そのものも「醜業」としてスティグマ化されていたのであって、単に「自分の意思に反して」という共通点をもって両者を同列に扱うのは詭弁というしかない。一切の兵役を「奴隷的拘束及び苦役」として批判し、また兵役によらねば可能とならない一切の戦争を批判する立場から従軍を「強制連行」とするならともかく、「慰安婦=性奴隷」という認識を否定するためにこのような相対化を行うことは欺瞞的ではないだろうか。なお、「外出が許可されていた」も「強制というなら兵士も同じ」も、日本の右派がしばしば主張することである、ということも付言しておく。 2. 「慰安婦」問題否認論者の「記憶」?  「慰安婦問題を否定してきた人たちが〈強制性〉を否定してきたのは、慰安婦をめぐるさまざまな状況のうち、自らの記憶にのみこだわるためである。そしてその多くは「強制連行」や「二〇万人」という数字に反発した」(144ページ)とか「慰安婦問題を否定する人たちが、民間人が勝手に営業したと主張するのは、このような記憶が残っているからだろう」(104ページ)(注2)というのも、「慰安婦」問題否認論の実態に即さない議論である。  そもそも否定論者の「記憶」とはなんだろうか? 「慰安婦問題を否定してきた人たち」の主張が具体的にとりあげられることがないため、まずもってこの点が曖昧である。もしこれが自身の体験についての「記憶」を意味するのであれば、1991年の段階でそのような「記憶」をもっていた日本人は圧倒的な少数派であったことをまず指摘しなければならない。敗戦時に15歳だった人がすでに60歳を越えていた時期である。戦中に成人していた世代でも従軍して「慰安所」を見聞した体験を持つ日本人は日本人全体の中では少数派にとどまる。軍が一切関与しない「慰安所」しか見聞しなかった日本人はさらにその一部でしかない。否定派の主導的イデオローグのうち戦後生まれの西岡力氏はもとより、戦中生まれの秦郁彦氏ですら「慰安所」についての実体験はもっていない。他方、軍人として「慰安所」設置に関わった実体験をもつ中曽根康弘元首相などは、かつて自ら慰安所開設に関わったことを明らかにしていたにもかかわらず、07年に海外メディアにその点を追及されると自らの記憶に反して売買春施設としての「慰安所」への関与を否認したのである(その後、主計将校だった中曽根氏が「慰安所」を開設したことを示す公文書が発見された)。
 さらに、もし戦前世代の「記憶」を引き合いに出すのであれば、公娼制が当時においても「事実上の奴隷制度」として批判されていたこと、戦前・戦中においてすでに過半数の都道府県で公娼制が廃止されるか廃娼決議がなされていたことについての「記憶」も問題とされねばならないはずなのに、否定派がそうした「記憶」に依拠することはない。このような、極めてイデオロギー的な「記憶」の選別を『帝国の慰安婦』は看過している。
 ではこの「記憶」は「国民の記憶」と理解すべきなのだろうか? 「二〇万人ではない」という記憶のベースとなるような個人的な体験を持ちうる人間はほとんどいないので(注3)、朴氏の言う「記憶」は「国民の記憶」と理解した方がよいようにも思える。しかし「慰安婦」問題が浮上した1991年末〜92年初頭の時期において、「強制連行ではない」「二〇万人ではない」「民間人が勝手に営業した」などといった「国民の記憶」が成立していたとは言えないだろう。そこにあったのはむしろ「記憶の欠如」と言うべきである。日本の「慰安婦」問題否認派は「強制連行ではない」「二〇万人ではない」「民間人が勝手に営業した」という「国民の記憶」を創造すべく活動していたのであり、すでに成立していた「国民の記憶」に依拠していたわけではあるまい。
3. 被害者を盾にした「性奴隷」否認  おそらく日本の“リベラル派”にもっとも評価されるであろう主張は、次のようなものであろう。
 何よりも、「性奴隷」とは、性的酷使以外の経験と記憶を隠蔽してしまう言葉である。慰安婦たちが総体的な被害者であることは確かでも、そのような側面にのみ注目して、「被害者」としての記憶以外を隠蔽するのは、慰安婦の全人格を受け入れないことになる。それは、慰安婦たちから、自らの記憶の〈主人〉になる権利を奪うことでもある。他者が望む記憶だけを持たせれば、それはある意味、従属を強いることになる。(143ページ)
152ページでも同様の主張が繰り返されている。一見すると被害者の主体性に配慮したもっともらしい主張に思えるこの議論が無視しているのは、「性奴隷」というのが被害者に貼られたレッテルではなく、日本軍「慰安所」制度の人権侵害性を告発するための概念だ、という点である。被害者となった女性たちの体験がことごとく「性奴隷であった」ことに還元されると主張している者など存在しない。「慰安所」における女性たちの体験が多様であるのはもちろんのことだし、さらに「慰安所」での体験を自分の個人史の中にどう位置づけ、どう意味づけるかも本人に委ねられるべき問題である。しかしそのことと、旧日本軍がつくりあげた軍「慰安所」制度をどう評価するかという問題とは別である。
 2013年6月13日放送の TBS ラジオ「荻上チキ・Session-22」において行われた秦郁彦・吉見義明両氏の討論(「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」)で露呈した両者の認識の食い違い(注4)もこの点と関わっている。公娼制について秦氏が「娘たちは騙されたと感じるのもあるでしょう」「自由意志か自由意志でないかっていうのは非常に難しいんですね。家族のためにっていうことで、誰が判定するんですか」などと女性の意識に焦点をあわせているのに対して、吉見氏は一貫して公娼制が人身売買を前提としたシステムであったことを指摘している。身売りされたことを「家族を助けられてよかった」と考える公娼が存在したとしても公娼制という制度の人権侵害性が否定されないのと同じように、日本軍「慰安所」が人身売買や略取誘拐による徴集や廃業を許可制とする規則等によって機能していた制度であることは、「慰安婦」の体験や記憶の多様性によって否定できることではない。  また、現実が持つ多様な側面のうちの一部しか捉えきれないというのは「名指し」という行為がはらむ原理的な問題であって、「帝国の慰安婦」という呼称もまたそうした限界を免れているわけではない。「帝国の慰安婦」という用語法がなにを「隠蔽」しているのかも問われることになるだろう。

(文責:能川 元一)

2015年4月2日木曜日

「慰安所」の設置目的に関する『帝国の慰安婦』の主張について

 アジア・太平洋戦争において日本軍が「慰安所」を設置した理由については、(1)多発していた占領地での強姦を防止して占領統治を円滑に進めるため、(2)戦力低下の原因となる性病の蔓延を防止するため、(3)将兵が占領地の売春施設を利用することで軍事機密が漏洩することを防ぐため、(4)兵士の不満をガス抜きし士気を維持するため、が通説となっている。一定の史料的根拠があるうえに軍人の発想についての説明として無理のないもので、日本軍「慰安婦」問題否認派からもまず異議が唱えられることはない。特に(1)などは「慰安所」制度の正当化のために引き合いに出されるくらいである。

 しかし『帝国の慰安婦』はこの通説に挑戦している。「性病防止などが慰安所を作った第一の理由に考えられているが、それはむしろ付随的な理由と考えられる」(31ページ)とか、「おそらく、軍慰安所の第一の目的、あるいは意識されずとも機能してしまった部分は、高嶺の花だった買春を兵士の手にも届くものにすることだった」(41ページ)、「女性が家のこまごまとした仕事をして、男たちがまた会社に出て働ける役割を受け持つように、軍人たちが戦争をしている間、必要なさまざまな補助作業をするように動員された存在が慰安婦だったのである」(71ページ)、あるいは「戦争開始後に軍が主導的に作った慰安所は、最初は性病防止などという至極現実的で殺伐とした目的から作られたようだが、時間が経つにつれて、身体以上に心を慰安する機能が注目されたのだろう」(85ページ)、といった具合である。

 その目的の一つは明らかに、朝鮮人「慰安婦」とそれ以外の「慰安婦」を峻別する本書の基本的態度を正当化することにある。「中国人女性たちは擬似日常の役割はしても、〈故郷〉の役割はできなかったはずで、厳密な意味では『慰安婦』とは言えない」(45ページ)という一節が朴裕河氏の狙いを端的に表現している。すなわち、「慰安所」の第一の目的を“擬似日本”の提供であるとし、この目的に照らして朝鮮人「慰安婦」と非朝鮮人「慰安婦」とを区別し、前者については「日本兵士との関係が構造的には『同じ日本人』としての〈同士的関係〉だった」(83ページ)と主張するため、である(注)。

 問題は、例によってこの主張には史料的根拠が欠けているという点である。著者が援用する元「慰安婦」の証言などは、「慰安所」が結果として果たした役割について教えてくれることはあるにしても、軍中央が「慰安所」の設置という方針を選択した理由については事情が異なる。ところが上記引用が示すように、著者は軍の意思にまで踏み込んで通説を否定してしまっているのである。(なお、軍「慰安所」設置の目的についての通説に反する主張を行う際に、明治時代の事情について記述した文献を根拠とするという時代錯誤についてはこちらを参照されたい。)

 朴裕河氏が高く評価し、また大きく依拠している千田夏光の『“声なき女”八万人の告発−−従軍慰安婦』(文庫版は『従軍慰安婦』)は繰り返し「性病の予防」という目的を強調しているだけに、これは奇異なことと言わねばならない。先に述べたような著者の意図からすれば「慰安所」が結果として果たした機能について論じれば十分であり、設置目的についての通説に挑戦する必要はないように思えるからである。

 『帝国の慰安婦』に「性病の予防」という「慰安所」設置の目的を否定、ないし過小評価する動機があるとすれば、それはおそらく同書が「『慰安婦』=『少女』とのイメージ」(61ページ)を破壊しようとしていることと関係があるのだろう。同書65ページには次のような記述がある(106ページにも類似の記述がある)。
 そして、朝鮮人慰安婦の中に少女が存在したのも、日本軍が意図した結果というより、「強制的に連れていった」誘拐犯たち、あるいは同じ村の者でありながら、少女がいる家の情報を提供した協力者たちの意図の結果と見るべきだ。(……)
なぜそう「見るべき」なのか、例によって史料的根拠は皆無である。もちろん、既婚者に比べれば未婚者を誘い出す方が容易だとすれば、少女に目をつけることは業者にとっても合理的だったろうが、そのことは日本軍の「意図」とは別問題である。千田夏光は有名な麻生徹男軍医の意見書を詳しく引用しているが、周知のようにその意見書では性病防止の観点から売春歴のない、若い女性が「慰安婦」に適しているという主張が展開されているのである。性病防止を「慰安所」設置の目的とする通説は日本軍が若い女性を望む動機をもっていたことを推察させるから、著者にとっては不都合であり、それゆえに否定されねばならなかったのではないだろうか?

 たしかに「『慰安婦』=『少女』とのイメージ」は公娼・私娼から「慰安婦」に転じた女性たちの存在を見えにくくするという問題を孕んでおり、このイメージを相対化しようとする著者の意図そのものは理解できないわけではない。しかしその相対化の作業はやはり実証的に行われねばならないはずである。なんの根拠もなく通説を否定して、軍が若い女性を動員する動機を持っていたことを隠蔽することは到底許容できる方法ではない。なお『帝国の慰安婦』が史料のずさんな利用によって「慰安婦」の年齢を実態よりも高く見せかけていた事例については別に指摘しておいた。

(文責:能川 元一)

2015年3月21日土曜日

朴裕河『帝国の慰安婦』読書会報告(2)

承前

3. 韓国版との異同  一部の参加者からは韓国語版との異同についても指摘があった。例えば韓国語版では「挺身隊」に関する記述を行う際に日本語版ウィキペディアに依拠していること、韓国版では日本の支援者について否定的な記述がなされているが、日本語版では変えられていることなどである。さらに、日本語版では弁明的とも思える加筆が多数あり、それが先に述べたような論旨のつかみにくさに拍車をかけている、という指摘もあった。 4. 「慰安婦」問題の解決に関する著者の主張について  本書は「日韓併合=合法」、「日韓条約で解決済み」という前提に立っているが、もしそういう前提に立つなら国民基金がなぜ必要だったか、さらなる「解決」がなぜいま必要なのかが、理解できなくなってしまうのではないか、との指摘もあった。本書を読んだ日本人がさらなる「謝罪」の必要性を感じるか、疑問である、とも。  また「慰安婦」問題を日韓の文脈に限定して扱うことにより、被害者を分断することになってはいないか、との批判もあった。韓国人元「慰安婦」と連帯したいという意思を示している他国の元「慰安婦」は現に存在しているのであり、彼女たちの「声」もまた無視してはならないはずである、と。  本書の主張の基底にある認識の一つが「日本に対し『法的責任』を問いたくても、その根拠となる『法』自体が存在しない」(319など)というものである。軍や政府の命令があるものについては「当時は合法だったから責任は問えない」とし、命令がないもの(強姦など)については「命令ではない」として、いずれにしても軍、政府は免責されてしまう議論の構造になっているという指摘があった。  また「植民地」という論点を重視しているはずなのに、「米軍慰安婦」など、植民地支配下で行われたわけではない他国(アメリカなど)の軍による性暴力の事例が引き合いに出されている。「帝国」概念もそれにともなって広義にもちいられている(296など)。これは「当時の朝鮮人は日本人だった」という点に朝鮮人「慰安婦」の特殊性を見出し、日本の植民地と占領地とを峻別しようとする本書の主張と矛盾するのではないのか? さらには「他国も似たようなことをしていたのに日本だけが責められている」という右派の主張を後押しすることにはならないだろうか、との意見も出た。  本書の主張のもう一つの特徴として、「業者」の責任を強調していることがある。しかし著者は韓国の「親日派」の責任追及には批判的だったのであり、主張が首尾一貫していないのではないか、という指摘もあった。 5. 先行研究の軽視と事実誤認  連行したのは業者だから日本の責任は問えない、という主張は先行研究や戦後補償裁判に照らして明らかに誤りである。重要な先行研究の幾つかが無視されており、その結果日本軍の責任が過小評価されることになってしまっている。これについては、今後当ブログにおいて具体的に指摘する予定である。  そのほか、事実誤認や資料の誤読に由来する誤った記述(日韓条約交渉過程で日本側が申し出た補償を韓国側が拒否したかのように記述している点、徴兵が国家総動員法で行われたとする記述、日韓会談がサンフランシスコ講和条約に基づいて行われたとする記述、など)も少なくないことが指摘された。 (以上、後半。まとめ:能川 元一)

朴裕河『帝国の慰安婦』読書会報告(1)

15年2月17日に当会が開催した、朴裕河『帝国の慰安婦』についての読書会では、金富子氏(植民地朝鮮ジェンダー研究)による報告に続いて参加者による意見交換が行なわれた。主な意見を主題ごとに再構成し、2回に分けて紹介する。また、当日は『帝国の慰安婦』の内容以外に同書が受容される日本の文脈(金富子氏の報告でも問題にされている)についても参加者の関心が集まった。この点については過去の記事「日本軍「慰安婦」問題の現在と『帝国の慰安婦』」をご参照いただきたい。 1. 方法論上の問題と先行研究の軽視  著者の朴裕河氏は『帝国の慰安婦』において「『朝鮮人慰安婦として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませること」を目指したとしており、自分が紹介する「声」が支援運動によって隠蔽されてきたとしている。日本において『帝国の慰安婦』が好意的に受けいれられている理由の一つもそのような「声」が新鮮なものと思われたからではないかと思われる。しかし、そうだとするなら、著者がそうした「声」を資料から再構成する際の方法の妥当性がきちんと吟味されなければならないはずだ。  まず金富子氏の報告において「植民地期朝鮮や朝鮮人「慰安婦」への事実関係に関する研究の蓄積をふまえず」「膨大な歴史研究の成果を軽視」とされている点については、次のような具体例が指摘された。本書で強調されている「いい日本兵との交流」や「朝鮮人業者の介在」などは日本軍「慰安婦」問題に関わってきた人間にとっては既知のことがらであり、ことさら強調してはこなかったにしても語られてきたことは、これまでに支援者や研究者が刊行した文献をみればわかることである。さらに言えば日本の右派が好んで強調してきたことでもある。こうした事実を無視して自らの「慰安婦」像を提示することは、読者をミスリードするのではないか、と。    次に金富子氏の報告において「不明確で恣意的な根拠・出典、引用のずさんさ」などと指摘されている点については、次のような意見が出た。歴史学ではなく著者の専門である文学研究の基準に照らしても、『帝国の慰安婦』におけるテクストの扱い方は素朴すぎるのではないか。特に、日本人男性である千田夏光が同じく男性である元軍人や「慰安所」業者から聞き取った「慰安婦」の姿、あるいは日本人男性作家が描いた「慰安婦」の姿から「慰安婦の声」を再構成する作業には、これら(日本人)男性のバイアスを考慮に入れることが不可欠であるはずだが、十分な見当がなされているとは思えない、と。    また例えば24ページで言及されている「写真」の解釈についても、中国人が「蔑みの目」で「慰安婦」を見ているという千田夏光氏の推測を無批判に踏襲しているが、写真からは「蔑みの目」であることが自明とはとても思えない、という指摘もあった。  その他、「なでしこアクション」への過大な注目に見るように、日本の右派の動向の把握が不十分かつ間違いがある、90年代の右派の動きを無視している、との指摘もあった。 2. 支援運動・支援者への批判について  本書では「慰安婦」支援運動の日本軍「慰安婦」問題認識について、「慰安婦問題を単に『戦争』の問題として認識した」(211)、「同時代の戦争と連携して『普遍的人権問題』として訴えた」(171)とする。こうした捉え方が「植民地」の問題を隠蔽したというのが本書の中心的な主張であるように思われる。だが、その「隠蔽」についての具体的な論証がないため、植民地支配の歴史を当然視野に入れて日本軍「慰安婦」問題を考えてきた参加者達は困惑せざるを得なかった。  さらに、著者は前記のように支援運動を批判する一方で、「『慰安』というシステムが、根本的には女性の人権に関わる問題」(201)であるとか、「植民地だったことが、最初から朝鮮人女性が慰安婦の中に多かった理由だったのではない」(137、なお53-54、149も参照)などとも主張している。はたして本書から首尾一貫した日本軍「慰安所」制度についての理解を得ることができるのか疑問である。この事例がよく表しているように、本書では頻繁に対立する主張が並列されているので論旨が極めて把握しにくい、どう批判しても「いえ、こうも書いてます」と返せてしまうようになっているのではないか、という指摘もあった。  また、「慰安婦問題を単に『戦争』の問題として認識した」(211)に関しては、批判対象(そのような認識をもっていた者)が誰であるのか、心当たりがないという声もあった。  関連する指摘として、210ページの記述についても疑問が提示された。「日本軍と「人身売買」をリンクさせた運動のやり方は、結果として「業者」の問題を隠蔽することになった」という記述に対しては、人身売買に「業者」が関わっていたことは「慰安婦」支援に関わる人たちの間では当然のこととして認識されており、(責任の軽重という観点から)日本軍・政府の責任追及がまず目指されたにすぎない、という反論があった。また「様々なケースの女性の問題を『性』を媒介にすべて等しく扱ったために、朝鮮人慰安婦の特徴を消去し、欧米の『植民地支配』の影を消してしまった」については、なぜここで欧米の植民地支配という論点が出てくるのか理解に苦しむ、という意見が出た。  次に、被害者の意思、意見にまつわる問題について。著者は「被害者の意見」が一通りではないことを主張し、支援者は自分たちの活動に都合のいい「意見」ばかりをとりあげていると批判する(例えば165)。  これに対しては次のような意見が出た。確かに「被害者の本当の意見・意思とは何か?」は難しい問題であり、支援運動においても苦労・努力が重ねられたところであるが、それを支援運動体批判に利用しているように思える。名乗り出た韓国人「慰安婦」の証言の多くを支援団体が編纂した証言集に依拠していながら、支援団体がそうした「声」を隠蔽したとするのはフェアではないのではないか? と。  日本の支援運動に対する批判としては、「日本を変えるため」に利用した(307など)、「慰安婦問題の『運動』を天皇制批判へとつなげるようになる」(265)というものもある。これに対して、たしかに女性戦犯法廷は天皇を断罪したが、それは「反天皇制」を支援運動の究極の目標にしたということを意味せず、被害者の要求である「謝罪と賠償」を求めた結果であった。むしろ、支援者たちは人手・時間・資金などの制約から好むと好まざるとにかかわらず、「慰安婦問題」としてシングル・イシューで取り組まざるを得なかったのが実情であり、他の運動のために利用したというのは事実に反する、との反論があった。  左派批判の文脈で主張されている「冷戦的思考は基地を存続させる」(314)についても、そもそもここでの「冷戦的思考」が何を意味しているのかも含めて、理解が困難だという意見があった。南北対立が激化すればするほど(米軍)基地の存続は確固たるものになるはずだが、左派が主張しているのは南北対立の緩和だからである。また、日韓蜜月の冷戦時代には「慰安婦」問題は封印されていたことをどう考えているのかもよくわからない、と。  韓国の支援運動に対する批判の中には、支援団体の変化を無視したものが含まれている、という指摘もあった。例えば基地村での「米軍慰安婦」、ヴェトナムでの韓国軍の性暴力の問題には挺対協も取り組んでいるのに無視されており、同じくナビ基金(コンゴ内戦における性暴力被害者を支援する目的で、元「慰安婦」の意思を汲み挺対協が設立した基金)も無視されている、など。

(後半はこちら) (まとめ:能川 元一)

2015年3月20日金曜日

『帝国の慰安婦』における証言者の“水増し”について

 『帝国の慰安婦』の特徴の一つは、1973年に刊行された千田夏光氏の『“声なき女”八万人の告発−−従軍慰安婦』(双葉社。講談社文庫のタイトルは『従軍慰安婦』。以下それぞれ双葉版、文庫版と表記)を高く評価し、また大きく依拠している点にある。例えば朴裕河氏は「そしてこのような千田の視点は、その後に出たどの研究よりも、『慰安婦』の本質を正確に突いたものだった」(25ページ)とし、「千田の本が朝鮮人慰安婦の悲劇に対して贖罪意識を持ちながらも、それなりに慰安婦の全体像を描けたのは、彼がそのような時代的な拘束から自由だったからだろう」(26ページ)としている。「そのような時代的な拘束」とは、彼女によれば、「慰安婦」問題の発生以降「慰安婦」についての発言が「発話者自身が拠って立つ現実政治の姿勢表明になったこと」を指す。このことを踏まえて、次の一節をお読みいただきたい。
 千田の本には一九七〇年代初め、今から四〇年も前に韓国にまで来て見つけた朝鮮人慰安婦たちのインタビューも入っている。つまりこの本には、現在私たちの前にいる元慰安婦たちより四〇歳も若い元慰安婦が登場して、自分の体験を生の声で語っているのである。 (26ページ)
 読者は当然、『“声なき女”八万人の告発−−従軍慰安婦』には複数の元「慰安婦」のインタビューが収録されており、そこでの元「慰安婦」たちの「声」こそ『帝国の慰安婦』が「ひたすら耳を澄ませ」ようとした(10ページ)と称する「声」の原型になっているであろうことを想定されるだろう。あるいは千田が聞き取った元「慰安婦」たちの声が『帝国の慰安婦』の主要なテーゼを支持するものであろう、と。巻末の参考文献で挙げられている千田氏の著作は『“声なき女”八万人の告発−−従軍慰安婦』ただ一つであるので、「千田の本」とはこの本を指すと考えるほかない。

 しかし驚くべきことに、双葉版115ページ、文庫版142ページにはこう書かれているのである。「韓国の或るジャーナリストの紹介で会った彼女は、朝鮮半島で私が会えた、たった一人の元慰安婦と名のる女性であった」、と(強調引用者)。もっとも、千田氏がたった一人の女性しか取材できなかったというわけではない。そのあたりの事情はこう説明されている。
 ところが、そこで知ったのは、この国で慰安婦にされた女性のことは“挺身隊”とよばれ、その体験者たちは、いずれも牡蠣のように口が固いのであった。何人かをやっと探し出してもなかなか語ってくれないのであった。そしてその何人目かに会い終わったとき知ったのは、彼女らがそれを極めて恥にしていること、口を閉じ語りたがらぬのは、その恥辱感のためであるということだった。恥辱、言われてみればその通りであった。誰が慰安婦にさせられた過去の傷痕をとくとくと語る者がいようか。(双葉版101ページ、文庫版126ページ、原文のルビを省略)
 少なくとも複数の元「慰安婦」に会ったことは事実じゃないか、と思われるだろうか? そのすぐ後で、千田氏は二人の韓国人女性にインタビューしているではないか、と思われるだろうか? だがここで考慮しておかねばならないのは、これが「挺身隊=慰安婦」と認識されていた韓国社会での人探しだった、という点である。千田氏が「慰安婦だった人を知りませんか?」と訪ね歩いたとき、労務動員された人を紹介されることは十分あり得た。「挺身隊」と「慰安婦」との混同がなぜ生じたかについての憶測を述べている(62ページ)朴裕河氏は、当然この可能性を想定しなければならなかったはずである。沈黙こそ元「慰安婦」であった証、と考えるのは早計である。「挺身隊=慰安婦」という混同によって労務動員された女性たちが偏見にさらされていたのだとすると、「誤解を解くためにしゃべる」ことより「とにかく注目されるのを避ける」ことを選ぶのは、十分にありうることと言わねばならない。

 双葉版101ページ以降、文庫版126ページ以降で紹介されている二人の韓国人女性が仮に元「慰安婦」だったとしても、さらなる問題がある。その二人が証言しているのは(当然ながら)自らの「慰安婦」体験などではなく、「未婚の若い女性」が「金になる仕事がある」などといった勧誘に応じてついていくのを見た、という目撃談なのである。『帝国の慰安婦』では47ページでその発言が引用されているが、なにしろ「私自身は行かなかったが」と断って話しているのであるから、彼女自身の応募体験として話しているのでないことは明らかである。彼女らが目撃した女性たちが実際に「慰安婦」にされたという確証もない。二人の女性が元「慰安婦」であろうがなかろうが、彼女らの証言は「元慰安婦が登場して、自分の体験を生の声で語っている」と称し得るようなものでないことは明白だろう。さらに言えば、二人の女性のうち一人については「同じような事を語っていた」とされているだけで、「生の声」など紹介されてはいない。

 では残るたった一人の元「慰安婦」の女性は千田氏になにを語ったのだろうか? 二人のやりとりを全文引用してみよう。双葉版115-117ページ、文庫版142-144ページ、原文の傍点を下線に改めた。
「昭和十八年からはじまった挺身隊で行かれたのですか」 「私はその前です。日本の昭和十五年に行きました」 「警官とか面長が誘いに来たのですか」 「面長は来ませんでした」 「すると来たのは警官ですね」 「日本人の男の人も来ました。その人にすすめられたのです」  口数も言葉も少ない女性であった。いかにも喋りたくないのが肌につたわってくるような女性であった。場所はソウル市のはずれ、山坂の上まで小さな家が段々に建て込んでいる難民集落風の所であった。 「出身の村はどちらです?」 「………」
 ここから彼女の沈黙がはじまるのだった。通訳の労をとってくれたジャーナリストがいくら聞いてくれても駄目であった。石になってしまうのだった。だが考えてみると、それは当然であった。今さら村に帰れる体ではない者に、村の名をあかすよう求める方が滑稽なものではなかったか。 「どの辺の戦場に行ったのですか?」 「シナです」  ここでやっと答えてくれたが、中国をシナと呼ぶとき彼女はやはり、過去の中から今も抜け出せずにいるのだろうか。 「中国の、いえ、シナのどこです」 「あちこちです」 「具体的な地名を教えてくれませんか。それと同行した部隊の名前も教えてください」 「………」  またも沈黙であった。 「辛いことがありましたか。もっとも辛いことばかりだったでしょうが……」 「………」 「親切な兵隊も中にはいなかったのですか」 「………」 「帰国したのは何年でしたか」 「………」  私はノートを閉じた。もう質問をやめた。小屋を辞した。坂道を下りながら韓国人ジャーナリストが言うのだった。 「せっかく案内しながら役にたたなかったようですね。すみませんでした。もう少し時間を下さったらまた探してみます」 「いえもう沢山です。人間において沈黙の持つ意味は雄弁より重く大きいことを、しみじみ、悟らされました。彼女はいまなにをしているのでしょうか」 「隣近所の雑用を手伝って生活しているようです」
 かろうじて答えているのも「慰安婦」になった時期、誘いに来た人間、「慰安所」のあった地域だけであり、「慰安所」での生活についてはひとこともしゃべっていない。特に「親切な兵隊も中にはいなかったのですか」という問いに沈黙で応えている点に注目されたい。というのも、「親切な兵隊」についての「記憶」は『帝国の慰安婦』が強調しようとする事柄の一つだからである。

 もちろん千田氏が考えたように、女性の沈黙それ自体を「声」として聞くべきだということはできるだろう。しかしだからといって、「千田の本」では複数の「元慰安婦が登場して、自分の体験を生の声で語っている」と言うことができるかといえば、明らかに否である。数少ない証言も『帝国の慰安婦』のテーゼをむしろ反駁するような内容になっていると言えよう。双葉版101ページ、文庫版126ページにおける女性の目撃証言を就労詐欺による「慰安婦」集めの事例と考えるのであれば(千田氏はそう考えている)、「応募は未婚の若い女性に限られていました」という証言は朴裕河氏の主張に対する反証例ということになるだろう。

 研究者ならばともかく、一般の読者の場合、引用されている文献、参照されている文献にいちいちあたってみることまではしない、というのがふつうではないだろうか。それは市民が専門家に対して寄せる信頼の現れであろうし、また専門家の側はそうした信頼を裏切らないよう努めるはずである。千田氏が聞き取りをした「慰安婦」たちの「生の声」が『帝国の慰安婦』のテーゼを支えているのだ、と信じて同書を読んだ読者はその信頼を裏切られていると言わざるを得ない。

 なお朴裕河氏が千田氏の記述を誤読してありもしない写真を生み出してしまった事例についてはこちらの記事を、また(恐らくは)原史料にきちんと当たらなかったがゆえに「慰安婦」の年齢について大きく読者をミスリードする記述をしている点についてはこちらの記事を、それぞれ参照されたい。

(文責:能川 元一)

2015年3月8日日曜日

公開ワークショップ“「帝国の慰安婦」という問いの射程”について

 2015年2月22日、京都市の立命館大学において公開ワークショップ「『日韓の境界を越えて』〜帝国日本への対し方〜」の第2回として、「帝国の慰安婦」という問いの射程が行われ、本記事の筆者も参加してきた。ワークショップの内容については主催者により活字化される可能性もあるので、それを待って論評することにしたい。ここでは『帝国の慰安婦』という書物の受容のされ方に関わると思われるエピソードを紹介したい。

 冒頭のあいさつで司会者の西成彦氏は次のように発言された(私が記憶とメモに基づいて再構成したもの、以下同じ)。
(……)いかなる書物であっても純粋な知的好奇心と一定の礼節を持って受け止めるべきで、その価値をとやかく値踏みする暇があったら、むしろその書物を踏み台にして各自が何を考え、いかなる次の一手を繰り出していくかを追求していくのが読者の務めだと思っている。
まず深刻な性暴力の被害者がカミングアウトして国家犯罪を告発しているという問題を扱った書物について、「純粋な知的好奇心」でうけとめるのが唯一のあるべき読み方なのか? という疑問が浮かぶ。それはむしろ著者である朴裕河氏にとっても不本意なことなのではないだろうか? 西氏の意図がどのようなものであったにせよ、次のことを念のため確認しておきたい。「政治的」であることを避けることができない日本軍「慰安婦」問題を扱った文献について、非政治的であろうとすることもまた、極めて政治的な振る舞いである、と。

 また、なるほど研究者の共同体においては、各研究者が他の研究者の業績を「踏み台」としてさらなる達成を目指すものである。しかし個々の研究成果が一般市民にも開かれているものである以上、ある「書物」が「踏み台」とするに値するものか否かを吟味するのもまた、研究者の務めではないのだろうか? そうした作業を「とやかく値踏み」と否定的に評することであらかじめ封じるのは、開かれた議論のあり方として妥当だとは思えなかった。

 さらに、質疑応答の時間には上野千鶴子氏が『帝国の慰安婦』への好意的評価に対する批判について「あれかこれか、の二者択一に押しやるような言論」だと発言した。しかしながら、『帝国の慰安婦』に対する具体的な批判に向き合うことなくそれを「二者択一に押しやるような言論」として切り捨てることは、それこそ『帝国の慰安婦』を支持するか・しないかの二者択一に押しやることにはならないのだろうか? 日本語版の『帝国の慰安婦』が刊行されてからまだ3ヶ月もたっていない時点で、あたかも同書への批判的な検討を否定するかのような発言が司会者や登壇者からなされたことについては、強い違和感を感じざるを得なかった。

(文責:能川元一)

2015年2月27日金曜日

ソウル地裁『帝国の慰安婦』書籍の出版等禁止及び接近禁止の仮処分決定

 ソウル東部地方裁判所が2月17日、『帝国の慰安婦』が被害者の名誉を毀損しているとして出版停止を求めた裁判において、「著書内容のうち34カ所を削除しなければ出版、販売、配布、広告などをできない」と一部訴えを認めた仮処分決定文が、「東アジアの永遠平和のために」とのブログサイトにて、原告の申請目録などを除いた、ほぼ全文が掲載されております。



決定の判断について

 朴裕河氏の支持者たちは「禁書処分」、「言論弾圧」などと主張しておりますが、仮処分決定文を読むと、原告が削除を要求していた53箇所のうち、被害者の名誉毀損に関わる34箇所のみに限定されています。また「慰安婦」被害者への接近禁止の請求を却下するなど、原告の主張の一部しか認めていません。決定については原告側、被告側それぞれに主張があるでしょうが、決して「表現の自由」をむやみに制限した決定ではありません。
 決定文では、「慰安婦」に関する研究の蓄積を無視した同書内の記述に対しても、「具体的事実の指摘というより、法律の専門家ではない被告・朴裕河の単純な意見表明として憲法上保障される学問の自由や表現の自由の保護領域内にあると見られ、このような見解について裁判所が事前的にその表現を禁止するよりも、自由な議論と批判などを通じて市民社会が自らの問題を提起し、これを健全に解消することが好ましく、韓国社会の市民意識は十分にこれらの解決が可能なほど成熟したものと見られる」と判示しています。

被告・朴裕河氏側の主張について

朴祐河氏側の「被告らの主張要旨」には、「たとえこの事件の書籍の内容が原告の名誉を毀損したとしても、被告は、日本軍慰安婦問題の解決策を提示するために、この事件の書籍を執筆・出版したのであり、その内容が事実であり、その目的はもっぱら公共の利益のために該当し違法性はない」と記されております。

「慰安婦」被害者である「原告の名誉を毀損したとしても」、優先される「日本軍慰安婦問題の解決策」、「公共の利益」のためだとの被告(朴裕河氏擁護)側の主張を読むと、朴裕河氏が目指す「解決策」には、被害者の名誉回復が含まれていないのかと考えさせられます。

2015年2月25日水曜日

金富子氏報告「朴裕河『帝国の慰安婦』への疑問」

15年2月17日に当会が開催した、朴裕河『帝国の慰安婦』についての読書会は、金富子氏(植民地朝鮮ジェンダー研究)による報告(「朴裕河『帝国の慰安婦』への疑問」)から始まった。

 同氏の報告は、朴裕河氏が、朝鮮人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」であり、朝鮮人「慰安婦」を日本人「慰安婦」に限りなく近い存在として描いていることに疑問を呈した。朴氏は、植民地期朝鮮や朝鮮人「慰安婦」への事実関係に関する研究の蓄積をふまえずに、多くの事実誤認をしていることを指摘した。以下はその例である。

 一点目は、朴氏の記述には、植民地朝鮮での「挺身隊」に関する歴史的事実への混同や誤解があるにもかかわらず、「挺身隊と慰安婦の混同」を「植民地の<嘘>」等と決めつけたことである。二点目は、被害女性の証言等を恣意的に選別することで朝鮮人「慰安婦」の大部分が「少女」であった事実を否定し、さらに「性奴隷」を記憶の問題にすり替えることで「性奴隷」にされた実態を否定する論法であることである。最大の問題は、日本軍より朝鮮人業者の責任が重いとしたことであり、「慰安婦」制度を立案・管理・統制した日本軍の責任を軽視・解除しようとしたことだ、とした。兵士との恋愛や同志的な関係、多様な「慰安婦」像を強調してリベラルとフェミニズムを装うが、日本軍の責任と植民地支配責任を否定する歴史修正主義的な「慰安婦」言説であると述べた。

 また、朴の著作には方法論的に大きな限界があるとし、研究史の最初期に位置する千田夏光(1973)や森崎和江(1976)などに依拠しているが、1990年代以降に被害女性の証言・公文書の発掘等によって飛躍的に進んだ「慰安婦」制度に関する研究をはじめとする膨大な歴史研究の成果を軽視したものである。事実とフィクションを混同する手法は、朴氏が「文学研究者だから」では言い訳できないレベルであるとも述べた。さらに、同書には、事実関係の誤解・誤用・憶測、不明確で恣意的な根拠・出典、引用のずさんさ(根拠なき「〜考えるべきだ」「〜はずだ」「違いない」の乱発)などがあることも指摘した。

 にもかかわらず、この著作が日本のリベラル系、フェミニズム系の知識人、メディアに絶賛されるのは、植民地朝鮮の実相や朝鮮人「慰安婦」、植民地主義に対する理解の浅さ、思想性に根源的課題があることを問題視した。つまり、朴氏の著作は、「朝鮮人は日本人」であり対等だった、植民地支配は「合法・有効論」だった、という日本で有力な植民地支配認識から導きだされた「帝国の慰安婦」説であるが、これは実際にあった民族の支配/被支配の関係性(植民地主義)をみえなくさせる効果がある。さらに本書は、韓国側が日本軍の責任、植民地支配責任を問えなくする構造をつくっているため、これに向き合いたくない(主に)日本側にとって都合のよい言説になっている、とまとめた。

(まとめ:斉藤正美)


2015年2月18日水曜日

日本軍「慰安婦」問題の現在と『帝国の慰安婦』

なぜ、こういうことが起こるのだろうか? その理由を推測するに、朴裕河の言説が日本のリベラル派の秘められた欲求にぴたりと合致するからであろう。
徐京植、「和解という名の暴力−−朴裕河『和解のために』批判」
(『植民地主義の暴力』、高文研、2010年)

 まるでデジャ・ビュを見ているように、かつてと同じ事態が繰り返されている。右派が声高に「慰安所」制度に対する日本軍・日本政府の責任を否認し被害者への二次加害を繰り広げている最中に、一般には「右派」とは認識されていないメディア、言論人が一冊の本を激賞している。

「朴がやろうとしたのは、慰安婦たちひとりひとりの、様々な、異なった声に耳をかたむけることだった。そこで、朴が聞きとった物語は、わたしたちがいままで聞いたことがないものだったのだ。」
(高橋源一郎、『朝日新聞』、14年11月27日 
「この本は、「慰安婦」を論じたあらゆるものの中で、もっとも優れた、かつ、もっとも深刻な内容のものです。これから、「慰安婦」について書こうとするなら、朴さんのこの本を無視することは不可能でしょう。そして、ぼくの知る限り、この本だけが、絶望的に見える日韓の和解の可能性を示唆しています。」
(高橋源一郎、Twitter、14年11月27日

「苦境の中で、複雑な問題に極力公平に向き合おうとした努力は特筆に値する。この問題提起に、日本側がどう応えていくかが問われている。」
(杉田敦、『朝日新聞』、14年12月7日

「『和解のために−−教科書・慰安婦・靖国・独島』(2006年)で大佛次郎論壇賞を受賞した韓国・世宗大学校教授が、慰安婦たちのさまざまに異なる声に耳を傾けながら、対立する左右の議論の問題点を考えた。」
(岸俊光、『毎日新聞』、14年12月28日 
 慰安婦問題で光ったのは、朴裕河(パクユハ)の『帝国の慰安婦』(日本語版)だった。植民地の故郷を離れ、日本女性の代替品として戦場に置かれた女性たちの重く多様な現実を考察した。  慰安婦は物理的に強制されたのか/それとも自由意思だったのか、君は愛国者か/非愛国者か――。そんな二分法の議論と一線を画していくための道を、「帝国」という概念を導入することで朴は示した。植民地出身の慰安婦は、帝国支配の被害者であると同時に帝国への協力者としての性格も帯びるという、複雑な立場に置かれていたのだ。 (塩倉裕、『朝日新聞』、14年12月30日 
「この問題について避けて通れない書物の日本語版がついに出た。朴裕河(パクユハ)さんの「帝国の慰安婦」である。韓国では元「慰安婦」の名誉を傷つけたとして出版差し止め訴訟が起きた論争的な書物である。前著「和解のために 教科書・慰安婦・靖国・独島」(平凡社)にわたしは「あえて火中の栗(くり)を拾う」と題した解説を書いたが、本書もそのとおりの本、それより自ら「火中に入る」ごとき本である。書き手も読み手も火傷(やけど)を負わずにはいない。」
(上野千鶴子、『毎日新聞』、15年1月20日

朴裕河『帝国の慰安婦』を丁寧に読了した。これは凄い本である。なかでも韓国の右派、日本の左派への批判は渾身のものである(正しくは右派左派と呼ぶべきではないがとりあえずこう書く)。この本で何か新しい次元が開かれるのかもしれない。私は支持する。
(森岡正博、Twitter、15年2月14日
 かつて『和解のために』に向けられた批判に著者がどう応えているのか(あるいは応えていないのか)の検討すらなしに本書を賞賛する論者たちには驚くほかないが、右派のメディアや論者が概ね本書を無視するか否定的に評価する(「著者の歴史観は古く、論理が混乱している」とする池田信夫など)状況では、本書が「中立的」なものとして受け容れられてゆく可能性は高い。

 『帝国の慰安婦』と、やはり昨年出版された『慰安婦問題』(熊谷奈緒子、ちくま新書)、『日韓歴史認識問題とは何か』(木村幹、ミネルヴァ書房)の3冊に共通しているのは、この問題の歴史において日本の右派が果たした役割を非常に過小評価していることである。そのため、これら3冊は「歴史認識問題がこじれたのは韓国のせいではないのか」という、この社会のマジョリティの間で広く共有されていると思しき感覚を“裏づけてくれる”ものとなっている。

 敗戦から70年、日韓国交正常化から50年となる今年、『朝日』による一部報道撤回により「慰安婦の『強制連行の事実は否定され、性的虐待も否定された」(自民党・国際情報検討委員会の決議)とするような極右路線とは別に、より「現実的」な−−なによりもアメリカの反対を招かないような−−かたちでこの問題に“解決”をもたらそうとする試みが、この社会の支配者層によってなされるであろうことは間違いないだろう。表面化した幾つかの事実の断片から浮かび上がってくるのは、アジア女性基金を肯定的に再評価させる路線であり、そのためにアジア女性基金を批判してきた支援者たちをスケープゴートにすることが目論まれているのではないだろうか。このような路線への支持を取りつけるうえで『帝国の慰安婦』は最も強力な手段となるだろう。

 本書が抱える問題点についてなるべく早く、またできる限り広く情報発信してゆくことが不可欠だと考える所以である。


(文責:能川元一)